何年か前に、「頭のよい子が育つ家」(四十万 靖 文藝春秋)という本を読みました。
勉強部屋があってもそこを使わずに、わざわざ家族がいるリビングやダイニングのテーブルで勉強する、家族の会話する声や生活の音がする場所で勉強をする子どもの方が良い成績をとり、難関の私立中学に多数合格しているという内容です。日本古来の住環境が頭のよい子を育てているという見方をしていました。
私自身、家で仕事をしたり勉強をする時は、やはり家族がいる空間を好んでいるように感じます。
2年ほど前に、以前より少し広い家に引っ越しをしたのを機に、小さいけれど念願の仕事部屋(ワークルーム)を持つことができました。それまでずっと、食事をするところや家族がテレビを見ているところと別の部屋で仕事をしたら、さぞかしはかどるだろうなと、ずっと思っていたのです。
でも、いざその空間を手に入れてみると、実はあまり有効に使っていないのです。
どういうわけか、私はわざわざパソコンをワークルームから家族がテレビを見ているダイニングのテーブルに運んで、そこでパチパチとやっているのです。
家族には「せっかくワークルームをつくったんだから、仕事はそこでやって!」と言われるのですが、しかし、今夜もダイニングのテーブルでこのブログを書いています。
私はどうしてワークルームで仕事をしないのか?
改めて考えてみると、ワークルームにこもると、その時点で何か「大げさ」になるような気がします。つまり、ダイニングでちょこちょこと打ったり書いたりする方が机に向かうより敷居が低く、やりやすいように感じるのです。
さらに、何かを生み出さなくてはならない時も、一人で集中して考えているより他人に自分のアイディアや考えを伝えることで、思いがけず自分の考えが整理できる時があります。人に話しながら、「私ってこういうことを考えていたんだ」と自分で驚くことがあります。
また、相手から時々鋭い「突っ込み」を入れられると、一所懸命考えなければならないので、さらに頭が整理できたりすることもあります。
つまり、人から自分の考えを引き出してもらったような感じです。英単語に置きかえるならば、まさに「Educe」されたように思います。
個室にこもるよりも、ついつい人の動きが感じられる空間に寄り付きなくなるのは、案外無意識のうちにそういうことを求めているからなのかもしれません。
組織においてもパテーションで区切ったりせずに、人の気配が十分に感じられて、顔が見られるような空間の方が、仕事の成果が出るのかもしれません。
(人材育成社)