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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

卒業

2011-03-11 08:59:22 | 日記
 卒業式シーズンだ。卒業されるお子さんとお母さんの団体を電車やあちこちの駅前などで見かけるようになった。卒業を繰り返すたびに少しずつ大きくなっていく息子や娘の姿を目で追いながら、お母さん達は何となく晴れがましい。卒業する当の本人以上に、卒業式は意味深いものなのだろう。
大学の卒業式ともなると、育児の全過程終了の感もあり、肩の荷が降り、ほっとするとともに、かなり寂しい思いも去来するに違いない。

 今やイクメンばやりである。これからは、両親揃って卒業式・入学式に参列するのが普通になってくるのだろう。いや、すでに普通になっているのかもしれない。わが社の若いお父さん達はお子さんの学校行事にきちんと対応している。街で見かける卒業式の団体には、今すでにお母さんとお父さんが混在しているののだろうが、おそらく私には晴れがましいお母さんしか見えていないのだ。

 私も何十年か前、大学を卒業した。母が卒業式に出たいと言ってついて来た。母はそんな時はきちんと着物を着る。彼女の正装と言えば着物である。息子の卒業式にはきちんとした格好で行かなければならない。大学の最寄り駅は地下鉄の駅であるが、私は国鉄の駅を降りて商店街をぶらぶら歩いて通学するのが好きだった。それなりの距離がある。しかし、私のお気に入りの、そんな通学路を、せめて卒業式の日ぐらい母に見せてやりたいと思ったのだ。が、その日は雨が降っていた。雨の中を着物を着て長い距離歩かされた母はいい迷惑だったろう。しかも、式の後は母をほったらかしにして友達と遊びに行ってしまったはずだ。何となく母と一緒にいるのが気恥ずかしかったのかもしれない。

 あれからいろいろな卒業を経験したはずだが、子供の卒業式はさておき、自分自身に関わる何かの卒業式に参列したことはない。つまり人生における最後の卒業式が、あの雨の日の卒業式だったのか、と今思う。多くの方々の手に支えられ励まされ育てられてきたことに気付かないまま、卒業式を過ごしてしまった。卒業式を平和に元気に迎えられるというのは何と幸せなことだろうか。

 「卒業する」と言う言葉には、前を向いて新たな一歩を踏み出す、という意思が感じられる。初心に帰る、という場合の初心は、入学式や入社式にあるのではなく、卒業式にこそあるのかもしれない。自分は何を卒業し何になろうとしていたのか、その原点は卒業式にある。それが、にぎにぎしい盛大な式でなく極めて個人的でささやかな式であっても。
 社会に出ると、盛大な卒業式に参列することは無いが、自分で決めた「卒業」を執り行うことはよくある。自分の向かうべき方向を見つけ、決心して進む。その際、今までのしがらみとは少なからず決別しなければならない。「卒業」は前を向いて進むことではあるが、今までの自分から離れていくことでもある。一度足を踏み出してしまったら振り向かずに進むしかない。外から見ると何も変っていないのに、心根だけは「卒業」している、そんな春を迎える人にエールを送りたい。


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株式会社ジェイエスピー
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