日本人は長い間大げさな表現を嫌って来たのだと思う。そのためにある基準値を上回って大変な状況になっていることを言い表す言葉を持たない。「すごい」とか「大変」とか「非常に」などと言う言葉ばかりが並ぶ。
戦後すぐ日本に入って来た、すごいことを表す言葉は、「スーパー」だった。すごい人「スーパーマン」すごい市場「スーパーマーケット」すごい急行列車「スーパーXX」。スーパーも聞きなれると、なんだかちっともすごくない気がしてきた頃、開発されたのが、もっとすごいを意味する「ウルトラ」だ。「ウルトラC」「ウルトラマン」。だがウルトラQやウルトラマンに使われたのが運の尽きだったようで、ウルトラはお子様言葉として一般に広く使われなかった。紫外線を表すUV(ウルトラヴァイオレット)だけが、日常大人が頻繁に使うウルトラかもしれない。
その後、やはり英語の「グレート」「エクセレント」などが、たまに世の中に現れては消えて行った。そこに登場してたちまち若者たちを席巻したのが、「超(ちょう)」だ。ひらひら舞うように誰も彼も「チョウ」「チョウ」言うようになった。ニュアンスは微妙に異なるが同じような使い方をされるのが「マジ」だ。「チョウスゲエ」も「マジヤべエ」も話者にとっては、それなりに大変なことである。
つい数日前、地下鉄車内で2人の男子学生が不思議な言葉で話しているのを小耳にはさんだ。学校の話をしていたので、学生であったのは間違いないと思う。新しい表現がすでにチョウ流行しているのだろう。
「ガチ、厳しいことになんぞ」「ガチぃ~?」「ガチ!」
「本当に大変なことになりそうだぞ」「本当か?」「本当さ」同時通訳的に翻訳すると、このようになる。つい数年ほど前までは、このガチがマジの用例だったはずだ。外見は同じように見えて若者文化の中に変化が訪れているのだろう。話し言葉が異なるというのは、伝えられる概念が異なる、ということで、会話によってやりとりする概念が異なれば、形作られる人間性も少しずつ異なるものになって行くだろう。数年前に入社したまだ若い先輩も、これから入社してくる若者たちとは、すでに文化背景や考え方がわずかに異なる状況になっているのだろうと思う。
3までは数えられるが、3以上は「たくさん」と言う、というような文化の帰着が、今回の地震による被害や、その後の対応に現れているように思えてならない。日本人は、良いことも悪いことも、「すごい」とか「大変」とか言うだけでない、もっとうまく表現できる語彙を持たなければならない。
特に「想定外」という言葉は今後使用禁止にしてもいい。すごいという意味の「想定外」を使うことで自分以外の誰かに責任があることを暗にほのめかしている責任者が大勢いる。想定できなかった知恵の無さを恥じ、責任を受け止めなければ、また同じことが起きる。責任ある役所や部署や企業のすべてが全員、今回は「想定外」の惨事だったのだ、と言うだけで終わってしまっていいわけがない。何をどこまで想定していたのか明らかにして、次世代の「想定」をどの数値にするか決めなければならない。そしてその数値以上の事態が発生した場合は、どのように対応するか考えておかなければならない。つまり、それらすべてが「想定内」であっていいはずなのだ。例えば、次世代の町づくりには、津波の高さを何メートルまで想定するのか、それ以上の高さの津波が襲ってきた場合は、どのように対応するのか、想定しておかなければならないだろう。原発については、今この時点で「想定外」などそもそもあってはならなかったことだと思っている。ガチそう思う。
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その後、やはり英語の「グレート」「エクセレント」などが、たまに世の中に現れては消えて行った。そこに登場してたちまち若者たちを席巻したのが、「超(ちょう)」だ。ひらひら舞うように誰も彼も「チョウ」「チョウ」言うようになった。ニュアンスは微妙に異なるが同じような使い方をされるのが「マジ」だ。「チョウスゲエ」も「マジヤべエ」も話者にとっては、それなりに大変なことである。
つい数日前、地下鉄車内で2人の男子学生が不思議な言葉で話しているのを小耳にはさんだ。学校の話をしていたので、学生であったのは間違いないと思う。新しい表現がすでにチョウ流行しているのだろう。
「ガチ、厳しいことになんぞ」「ガチぃ~?」「ガチ!」
「本当に大変なことになりそうだぞ」「本当か?」「本当さ」同時通訳的に翻訳すると、このようになる。つい数年ほど前までは、このガチがマジの用例だったはずだ。外見は同じように見えて若者文化の中に変化が訪れているのだろう。話し言葉が異なるというのは、伝えられる概念が異なる、ということで、会話によってやりとりする概念が異なれば、形作られる人間性も少しずつ異なるものになって行くだろう。数年前に入社したまだ若い先輩も、これから入社してくる若者たちとは、すでに文化背景や考え方がわずかに異なる状況になっているのだろうと思う。
3までは数えられるが、3以上は「たくさん」と言う、というような文化の帰着が、今回の地震による被害や、その後の対応に現れているように思えてならない。日本人は、良いことも悪いことも、「すごい」とか「大変」とか言うだけでない、もっとうまく表現できる語彙を持たなければならない。
特に「想定外」という言葉は今後使用禁止にしてもいい。すごいという意味の「想定外」を使うことで自分以外の誰かに責任があることを暗にほのめかしている責任者が大勢いる。想定できなかった知恵の無さを恥じ、責任を受け止めなければ、また同じことが起きる。責任ある役所や部署や企業のすべてが全員、今回は「想定外」の惨事だったのだ、と言うだけで終わってしまっていいわけがない。何をどこまで想定していたのか明らかにして、次世代の「想定」をどの数値にするか決めなければならない。そしてその数値以上の事態が発生した場合は、どのように対応するか考えておかなければならない。つまり、それらすべてが「想定内」であっていいはずなのだ。例えば、次世代の町づくりには、津波の高さを何メートルまで想定するのか、それ以上の高さの津波が襲ってきた場合は、どのように対応するのか、想定しておかなければならないだろう。原発については、今この時点で「想定外」などそもそもあってはならなかったことだと思っている。ガチそう思う。
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