中肉中背という表現がある。どの程度の範囲を指して言うのかわからないが、私の場合、明らかに中背を超えている。小学校の6年生の頃からみんなで並んでもひょろりと大きいのが一人いるというのがどうも変で嫌で、少しでも小さく見せようとあらん限りの努力をしたものだ。いわゆるコンプレックスである。年を重ねて厚くなってきたつらの皮のお陰で最近ではようやく気にならなくなって来ていた。
と、思っていたところ、既製服のお店にスーツを買いに行って、いきなり中肉中背へのあこがれが私のもとに回帰した。買い物に行ったお店は、大きな売り場を構える洋服の専門店である。遠くに霞む売り場の彼方からずらりと並べられたスーツの品数はやけに多い。フォーマルからカジュアルまで選り取り見取り、似合うものを楽しく選択することができる。が、それは中肉中背の皆様に限っての話しであった。
私は売り場に売り子さんが立っていれば、必ずその人にすべてを託すタイプの客である。その日もわが社の社員になってくれたら良さそうだなと思うタイプのイケメン店員さんを選んで声をかけた。店員さんは私を上から下まで見回した末、私からその店の会員カードを奪い去り過去の買い物リストを確認するために端末のあるところまで飛んで行った。息を切らして戻って来て「少々お待ちくださいませ。合うサイズがご用意できるかどうか少し探して参ります」、もうすでに待っている、また待つのか、とは言わずに私は待った。
少し待つと、「こちらに揃えましたので」と案内された所に6着のスーツがかかっている。この広大な何万何千とありそうなスーツの海のような場所で私の体に合うサイズのスーツがわずか6着。しかも店員さんの言葉が涙を誘う。「お客様、これまでもご苦労なされたでしょうね。最近大きなサイズは作られるようになってきたのですが・・・」。そのとおり。私はこれまで、買い物に行って選ぶ、ということをあまりしたことがない。あれば(あったものを)買う。無ければ買えない。それだけである。中肉中背へのあこがれが休止していた活火山がボンと火を吹いたように吹き出した。
私はその日、紺色のスーツを買いたいと思っていた。サイズが合う6着のスーツのうち3着は黒系、2着がグレー系。紺系は最後の1着。1着でも売っていてくれて良かったと思うほかない。
紺のスーツを着てみる。店員さんはじっと見ていたが少し間を置いて「このスーツは生地が良い」と言う。私は吹き出したが店員さんはお構いなしだ。「シルクが混ざったいい生地の製品なんです」。正直な店員さんである。せめてお追従に「お似合いです」の一言でも言えばいいものを。
スーツは作業着である。無ければ仕事にならない。紺の1着を購入することにした。
いろいろな選択肢があるというのは羨ましい。しかし、選択肢が多すぎてもいけないものらしい。選択肢が増えすぎると人は選択すること自体を止めてしまうという。情報が多すぎると処理し切れなくなってしまうということかもしれない。
人生の選択肢についても同じようなことが言えるだろう。あんな人生もこんな人生もある、いくつになってもまだまだ何でも選べる、そういう優しい言葉に甘えて今をいいかげんに生きていると、つまらない未来ばかりがやって来る。
今いるここが自分の場所。今できることを、できる限り精一杯やって行くしか道はない。そう思ってがむしゃらに頑張っている人のところにこそ面白い未来が見えてくるものだ。
裾の長さを決めるために試着室に入った私は、人生の選択肢について店員さんと大いに盛り上がった。選択肢のない買い物だったが、楽しく買い物をした、と言えるだろう。
試着室から出ると店員さんは言った。「選択肢はまだ5着ございますよ。どうですか?もう1着」(三)
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製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
と、思っていたところ、既製服のお店にスーツを買いに行って、いきなり中肉中背へのあこがれが私のもとに回帰した。買い物に行ったお店は、大きな売り場を構える洋服の専門店である。遠くに霞む売り場の彼方からずらりと並べられたスーツの品数はやけに多い。フォーマルからカジュアルまで選り取り見取り、似合うものを楽しく選択することができる。が、それは中肉中背の皆様に限っての話しであった。
私は売り場に売り子さんが立っていれば、必ずその人にすべてを託すタイプの客である。その日もわが社の社員になってくれたら良さそうだなと思うタイプのイケメン店員さんを選んで声をかけた。店員さんは私を上から下まで見回した末、私からその店の会員カードを奪い去り過去の買い物リストを確認するために端末のあるところまで飛んで行った。息を切らして戻って来て「少々お待ちくださいませ。合うサイズがご用意できるかどうか少し探して参ります」、もうすでに待っている、また待つのか、とは言わずに私は待った。
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今いるここが自分の場所。今できることを、できる限り精一杯やって行くしか道はない。そう思ってがむしゃらに頑張っている人のところにこそ面白い未来が見えてくるものだ。
裾の長さを決めるために試着室に入った私は、人生の選択肢について店員さんと大いに盛り上がった。選択肢のない買い物だったが、楽しく買い物をした、と言えるだろう。
試着室から出ると店員さんは言った。「選択肢はまだ5着ございますよ。どうですか?もう1着」(三)
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