goo

お月見どろぼう

 金曜日は中秋の名月だったそうな。そんなことまるで忘れて暮らしているのも情けない話だが、そういえば妻が月見団子を買いに行かなくちゃと言っていたのを思い出した。あれこれ色んなヒントは生活の中に転がっているのだろうけど、それを拾い上げるだけの心のゆとりとうるおいが今の私には大分弱まっているのかもしれない。一昨夜は雨が上がっていたから、きっと雲の切れ間に満月が見えただろう。なんだか損をしたような気がするが、知らなかったものはどうしようもない。代わりに一日遅れで昨夜、夜空を眺めてみた。まだまん丸だった。月は新月から始まって右側から太っていき、三日月・上弦の月となる。ここまでが約一週間。それからさらに一週間経つと満月。それが過ぎると今度は右側からやせていく。一週間経てば下弦の月、そしてまた一週間で新月に戻る。この月の周期を基にした暦が太陰暦だが、月の満ち欠けのほうが目にはっきりと時間の経過が分かるような気がする。太陽暦のほうが都合がいいことが多いのだろうけど、太陰暦もなかなか風情があるからもっと活用すればいいのにと思う。
 満月も、天頂付近にあったためかなり小さく見えたのだが、記念に写真を撮っておこうと思った。しかし、何度撮っても光がぼやけてしまって満月のようには見えない。どうやったらうまくいくのかとネットで調べたら、露出を調節すればいいようなことが書いてあった。「ふ~ん、露出ねえ・・」と思ったところで露出の何たるかを全く知らない私は、説明書を見ながらいい加減に調節してもう一度写してみた。しかし、やっぱりあまりうまくいかなかった。でも、やけくそで一番よさそうなのを一枚載せておく。


 虫の音が一帯に響き渡る中、夜空を見上げるのはなかなか風情があっていい。かなり涼しくなったが、そうした凛とした空気と月光の清清しさはよく似合う。自分の体の中にある汚れたものが浄化されるような気になる。「気持ちいいなあ」、お月見なんて久しぶりだったが、貴重な時間をすごすことができた。
 そういえば、昼間バスを運転しながらラジオを聴いていたら、お月見のことが話題になっていた。その中で、「お月見どろぼう」という風習について報告していた人がいた。私の家の近所ではそんな慣わしはないが、少し山間部に行くとそうした行事が行われていると聞いたことがある。「お月見どろぼう」というのをGoogleで検索してみたところ、次のような記述があった。

 『日本版ハロウィンとも言うべき「お月見どろぼう」という風習が全国にあります。家々では軒先や玄関に月見団子を縁側にお供えし、それを子どもたちが盗み食いするのです。もちろん本当のどろぼうではなく、各家庭ではあらかじめ玄関先などにお団子を置いておくわけです。団子は多く盗まれた方が縁起がよいとされました。最近では、子どもたちにお菓子を配るような場合もあるようです』
 
ラジオの人は名古屋近郊に住む人で、お菓子をおいておくと子供たちが集めにやって来ると言っていたが、私が知っている地域も同じようにお菓子を置いているという話だった。なかなか面白い風習だと思うが、こうした昔ながらの風習が残っている地域がだんだん少なくなっていると思う。核家族化して、古来から伝わる風習を継続していくことが難しくなっているからだろうが、特にこの「お月見どろぼう」というのは暗くなってから子供たちが出歩くわけだから、子供たちが事件に巻き込まれることが多くなっている昨今では、続けていくのも難しいかもしれない。しかし、逆に言えば、こうした風習を続けられることはその地域が安全であることの証左でもあるわけだから、長く続けられるよう、地域ぐるみで安全を守るように努力していかなければならないだろう。
 暮らしにくい世の中だ・・・
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )