毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
秋の点描
秋空というのは本当に清々しい。空気がからっと澄んで、実に心地よい。こんな日は車で遠出をするか、近くの野山を散策するか、どちらを選んでも楽しいときが過ごせるだろう。しかし、私は毎日塾だ。そんな時間をとりたくてもどうしようもない。とうに慣れっこのはずでも、やっぱり気持ちのいい日には、自分の境涯が恨めしく思える。しかし、恨んだところで何も起こらないので、さっさとあきらめて少しでも鬱屈を晴らす手立てを考えたほうがいい。遠出は無理だけど、土曜は生徒の送迎で郊外を車で走る。せっかくなら秋の風景を楽しみたいなといつもよりゆっくりとバスを走らせた。

今の時期、山野のどこを見てもススキとセイタカアワダチソウばかりだ。私の市の中だけに特有の現象なのか、それとも日本中どこでも同じなのかは分からないが、本当にその2種類がペアーになっているかのように並んで生えている。ススキは昔から日本にあるものであろうし、詩歌などにもよく題材として取り上げられている。
おりとりて はらりとおもき すすきかな 飯田蛇笏
見かけはか細く弱々しくさえ感じられるススキを手折ってみたら意外にも重い感じがした、などというのはどんな心境を表したものなのだろう。あれこれ想像してみるのも楽しいが、こうした物思いにふけりたくなるような日本的な風情をススキからは感じられる。いくら群生していても、どこか寂しげで頼りなさそうな雰囲気は、日本の秋の深まりを私たちに感じ取らせてくれる。それに比べると、セイタカアワダチソウは、いつの間にか日本の山野を席巻してしまったようで、その勢いの強さを気持ちがいいと思う人もいるだろうが、眉もひそめる人も多いだろう。周りの草木が枯れ葉色に染まっているのを背景にすると、セイタカアワダチソウの黄色は否が応にも目に飛び込んでくる。夜になってもわずかな月明かりでぼーっと浮かび上がるほどの強さを持った黄色だ。生命力の強さを象徴しているかのようなその色は、少々枯れ始めた私にはきつすぎて余りいい気持ちがしないし、どうしても馴染めない。
やはり、ススキには萩が似合う。萩の控えめな花弁の淡いピンクが秋を楽しむ情緒にはぴったりだ。萩がいい。と、思ってあちこち気をつけて見たのだが、萩が咲いているのが見つからない。十五夜も過ぎてしまったから、もう萩の花は散ってしまったのだろうか。そうは思ってもあきらめきれず、塾に戻って裏山を探してみた。すると萩らしき枝がほとんど枯れてしまっていた中、運良く1株だけ何とか花びらをつけていた。なんとも可憐な花だ。

一ツ家に 遊女と寝たり 萩と月 松尾芭蕉
やはり、「ススキ、萩、満月」これが秋の夜の3点セットだ。いくら花びらが小さくて、色もはっきりしないといっても、萩が日本の秋を代表する花なのだ。
などと言っても、賛成してくれる人は少ないかもしれない。道を歩けばセイタカアワダチソウにも負けないくらいコスモスの花が爛漫と咲いている。コスモスこそ秋の象徴であるかのようだ。私は去年の今頃このブログで、コスモスは嫌いだと文句をつけた覚えがある。それは今でも変わっていないが、か細い茎に似合わない繁殖力が旺盛なのも気に入らない理由の一つなのかもしれない。

どんな花がいつどこでどのように咲こうが勝手だとは思うが、昔から慣れ親しんできた秋の風景が少しずつ変わって行ってしまうのは、やはり寂しいものである。それも時の流れ、仕方ないことなのだろうが。


今の時期、山野のどこを見てもススキとセイタカアワダチソウばかりだ。私の市の中だけに特有の現象なのか、それとも日本中どこでも同じなのかは分からないが、本当にその2種類がペアーになっているかのように並んで生えている。ススキは昔から日本にあるものであろうし、詩歌などにもよく題材として取り上げられている。
おりとりて はらりとおもき すすきかな 飯田蛇笏
見かけはか細く弱々しくさえ感じられるススキを手折ってみたら意外にも重い感じがした、などというのはどんな心境を表したものなのだろう。あれこれ想像してみるのも楽しいが、こうした物思いにふけりたくなるような日本的な風情をススキからは感じられる。いくら群生していても、どこか寂しげで頼りなさそうな雰囲気は、日本の秋の深まりを私たちに感じ取らせてくれる。それに比べると、セイタカアワダチソウは、いつの間にか日本の山野を席巻してしまったようで、その勢いの強さを気持ちがいいと思う人もいるだろうが、眉もひそめる人も多いだろう。周りの草木が枯れ葉色に染まっているのを背景にすると、セイタカアワダチソウの黄色は否が応にも目に飛び込んでくる。夜になってもわずかな月明かりでぼーっと浮かび上がるほどの強さを持った黄色だ。生命力の強さを象徴しているかのようなその色は、少々枯れ始めた私にはきつすぎて余りいい気持ちがしないし、どうしても馴染めない。
やはり、ススキには萩が似合う。萩の控えめな花弁の淡いピンクが秋を楽しむ情緒にはぴったりだ。萩がいい。と、思ってあちこち気をつけて見たのだが、萩が咲いているのが見つからない。十五夜も過ぎてしまったから、もう萩の花は散ってしまったのだろうか。そうは思ってもあきらめきれず、塾に戻って裏山を探してみた。すると萩らしき枝がほとんど枯れてしまっていた中、運良く1株だけ何とか花びらをつけていた。なんとも可憐な花だ。

一ツ家に 遊女と寝たり 萩と月 松尾芭蕉
やはり、「ススキ、萩、満月」これが秋の夜の3点セットだ。いくら花びらが小さくて、色もはっきりしないといっても、萩が日本の秋を代表する花なのだ。
などと言っても、賛成してくれる人は少ないかもしれない。道を歩けばセイタカアワダチソウにも負けないくらいコスモスの花が爛漫と咲いている。コスモスこそ秋の象徴であるかのようだ。私は去年の今頃このブログで、コスモスは嫌いだと文句をつけた覚えがある。それは今でも変わっていないが、か細い茎に似合わない繁殖力が旺盛なのも気に入らない理由の一つなのかもしれない。

どんな花がいつどこでどのように咲こうが勝手だとは思うが、昔から慣れ親しんできた秋の風景が少しずつ変わって行ってしまうのは、やはり寂しいものである。それも時の流れ、仕方ないことなのだろうが。
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