毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
歌舞伎
どういうわけだか「功名が辻」をほとんど毎週見ている。NHKハイビジョンで日曜の夕方6時から始まるのを楽しみにしている。NHK総合で8時から始まるのは、大概は居眠りしているので見られない。夕方6時ならば夕ご飯に近い時間だから起きていられるのだろう。山内一豊のサクセスストーリーにさほど興味があったわけでもない。主演の上川隆也と仲間由紀恵に期待していたわけでもない。なんとなく見始めて、舘ひろしの織田信長はちょっと線が細すぎるのじゃないかとか、豊臣秀吉役の柄本明がはまり役だとか勝手に思っているうちに見逃すのがだんだん惜しくなってきた。それが大河ドラマの魅力なのかもしれないが、これほど欠かさず見たのは初めてなので自分でも不思議な気持ちがする。まあ、話の筋が分かりきっているので安心して見ていられるということもあるが、共演する役者がなかなかの実力者ぞろいなのも思わず見てしまう理由なのかもしれない。
なかでも、五藤吉兵衛役の武田鉄矢はじつに存在感があった。そういう作りをしているかもしれないが、同じく山内一豊の腹心役の前田吟とともに出色の役柄だった。金八先生以来いささか説教くさい役どころが多い武田にとってはもってこいの配役だったのだろう、彼が死ぬ場面では私も思わず涙してしまった。
その他にも歌舞伎界から、明智光秀役に坂東三津五郎、石田光成役に中村橋之助が出演していてドラマを引き締めている。ロンブーの田村淳とかプロレスラーの高田延彦のような者も出演している中、さすがの演技力は特筆ものだろう。ドラマ前半のヒーロー織田信長に比べれば影のような存在ながらも、明智光秀を好演した三津五郎もよかったが、彼に負けない演技を見せている橋之助が関が原の戦いまで、どういう演技をしてくれるのか楽しみだ。圧倒的な存在感を見せ付けている西田敏行扮する徳川家康に果たしてどれだけ対峙できるものだろうか、これからの展開がわくわくする。
やはり、生半可なタレントよりも古典芸能で修行している人は背筋をぴんと伸ばした姿勢からして違うなどとは思うが、そうした思いを持てるには見るものの側にもある程度の修練が必要なのだろう。というのは、名古屋の女子校に通う生徒たちの「歌舞伎鑑賞会」の話を聞いたばかりだからである。
国語の授業の一環として先日名古屋の御園座に顔見世を観に行ったそうである。
「面白かった?」とたずねた私に、
「よく分からない」と、いまどきの中学生らしい中途半端な答えを返してきた。
「なんで?」とさらたずねる私に、予想もしなかった返事をした。
「音楽を聴いてたから」
「えっ?」と聞き返す私に実にあっけらかんと次のように説明してくれた。
「入り口でイヤフォンガイドというものが渡されて耳につけると、歌舞伎の場面ごとに解説が流れてくる。途中までは聞いてたけど、面倒くさくなってiPod にイヤフォンをつないで音楽聴いていたから、そのあとはまったく観てない」
「何やってるの。もったいないことするなよ。みんなそうなの?」
「うん、ほとんどがiPodo かMDにつないでた。あとの人は寝てたかな・・・」
ここまで聞いたら、その先を聞くのがいやになってしまった。
確かに古典芸能に触れる機会を学校が増やすというのは画期的な試みであろう。よく聞けば、通常20,000円する席が団体と学生の割引で6,500円で買えたそうだ。各関係者が努力したお陰なのだろうが、それに答えるだけの気構えが生徒の側にないのだからどうしようもない。iPod だけでなく、携帯で遊んでいた者たちもきっと多くいたことだろう。こうした者たちに古典芸能が現代に持つ意味など説いてみても仕方がないのかもしれない。しかし、いつかは分かってくれる日が来るものと信じて、日々努力していくしかないのだろう。大変だ、先生も・・・
なかでも、五藤吉兵衛役の武田鉄矢はじつに存在感があった。そういう作りをしているかもしれないが、同じく山内一豊の腹心役の前田吟とともに出色の役柄だった。金八先生以来いささか説教くさい役どころが多い武田にとってはもってこいの配役だったのだろう、彼が死ぬ場面では私も思わず涙してしまった。
その他にも歌舞伎界から、明智光秀役に坂東三津五郎、石田光成役に中村橋之助が出演していてドラマを引き締めている。ロンブーの田村淳とかプロレスラーの高田延彦のような者も出演している中、さすがの演技力は特筆ものだろう。ドラマ前半のヒーロー織田信長に比べれば影のような存在ながらも、明智光秀を好演した三津五郎もよかったが、彼に負けない演技を見せている橋之助が関が原の戦いまで、どういう演技をしてくれるのか楽しみだ。圧倒的な存在感を見せ付けている西田敏行扮する徳川家康に果たしてどれだけ対峙できるものだろうか、これからの展開がわくわくする。
やはり、生半可なタレントよりも古典芸能で修行している人は背筋をぴんと伸ばした姿勢からして違うなどとは思うが、そうした思いを持てるには見るものの側にもある程度の修練が必要なのだろう。というのは、名古屋の女子校に通う生徒たちの「歌舞伎鑑賞会」の話を聞いたばかりだからである。
国語の授業の一環として先日名古屋の御園座に顔見世を観に行ったそうである。
「面白かった?」とたずねた私に、
「よく分からない」と、いまどきの中学生らしい中途半端な答えを返してきた。
「なんで?」とさらたずねる私に、予想もしなかった返事をした。
「音楽を聴いてたから」
「えっ?」と聞き返す私に実にあっけらかんと次のように説明してくれた。
「入り口でイヤフォンガイドというものが渡されて耳につけると、歌舞伎の場面ごとに解説が流れてくる。途中までは聞いてたけど、面倒くさくなってiPod にイヤフォンをつないで音楽聴いていたから、そのあとはまったく観てない」
「何やってるの。もったいないことするなよ。みんなそうなの?」
「うん、ほとんどがiPodo かMDにつないでた。あとの人は寝てたかな・・・」
ここまで聞いたら、その先を聞くのがいやになってしまった。
確かに古典芸能に触れる機会を学校が増やすというのは画期的な試みであろう。よく聞けば、通常20,000円する席が団体と学生の割引で6,500円で買えたそうだ。各関係者が努力したお陰なのだろうが、それに答えるだけの気構えが生徒の側にないのだからどうしようもない。iPod だけでなく、携帯で遊んでいた者たちもきっと多くいたことだろう。こうした者たちに古典芸能が現代に持つ意味など説いてみても仕方がないのかもしれない。しかし、いつかは分かってくれる日が来るものと信じて、日々努力していくしかないのだろう。大変だ、先生も・・・
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