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「どろろ」

 2年前に映画「どろろ」について書いた記事がある。
 「体の48の部位が魔物に奪われた主人公百鬼丸が、数々の魔物と戦って己の体を取り戻していく過程が面白く、毎週読むのを楽しみにしていたのだが、何故だか途中で中断してしまい、そのまま未完で終わってしまった。どろろというのは、百鬼丸の体に仕組まれた妖刀を狙う子供の泥棒のことだが、この映画では大人に設定して柴咲コウが演じるらしい。私の大好きな作品だけに、期待と不安の交錯した気持ちで2007年の完成を待ちたいと思う」
 しかし、劇場では見ることができず、DVDを買うことも忘れていた。それがやっと日曜日にWOWOW で見ることができた。面白かった。2時間を越える作品であったが、長さを感じさせないくらいコンパクトに話がまとまっていて見ていて、楽しかった。
 なんと言っても、柴咲コウがよかった。薄汚れた顔から眼光鋭く相手を睨み返すあの目の力強さには圧倒される。大人なのか子供なのか、男なのか女なのか判然としない妖しげなどろろを軽やかに演じていた。娘の大学でTVドラマ「ガリレオ」の撮影があって、それを見た娘の友人が「柴咲コウからはオーラが出ていた」と言ったそうだが、それだけの存在感があるとはすごいことだ。私は彼女の名前は知っていたが、出演したドラマや映画はあまり見たことがなかったので、正直これだけの力量を持った女優であることに驚いた。これからはもっと注目していきたいと思う。
 妻夫木聡が百鬼丸の持つ悲しみを十分に演じていたとは思えなかったが、それでも時々見せる苦悶の表情にははっとさせられた。彼のこともよく知らなかったが、これからの成長が楽しみな役者である。男優にはやはり年齢の積み重ねが必要なのだろうと、中井貴一を見て思った。「ふぞろいの林檎たち」の頃は、ただのぼっちゃん役しかできないような感じがしたが、「どろろ」の中では重厚な演技が光っていた。顔つきもに精悍さが加わって、いい役者になったなと実感した。
 自分の野望のために生まれ来る子供の体を魔物に渡してしまった父(中井)とそれを取り戻すために旅を続ける息子(妻夫木)が巡りあえば、親子の相克が生まれるのは当然であろう。父と息子のせめぎ合いはやはり永遠のテーマだ。妖怪を倒すたびに魔物に奪われた体の部位が戻ってくるというシーンばかりを延々と繰り返していたなら、途中で飽きてしまったかもしれない(ひょっとしたら原作者の手塚治虫が行き詰ってしまったのもこの辺りだったのかもしれない)。それを物語の中程からは、どろろの生い立ちも含めて人間の葛藤に視点を移していったのは、この映画の監督の技量なのだろうなと、見終わってから感心した。「男は父を超えて行かなければ真の男になれない」などとまともな息子でも父親でもない私だから思ってしまうのかもしれないが、こうした物語を見るたびにそんなメッセージを勝手に受け取ってしまう。
 でも、この映画が撮られた地がニュージーランドであることを、エンドロールを見て初めて知ったが、それがこの映画に途中から感じていた違和感の原因だと分かった。私は手塚作品から「どろろ」とは室町から戦国時代あたりの日本を舞台にした話ではないかと想像していた。それなのに映画では広大な土地を映し出す場面が多く、とても日本の風土ではないと感じられた。日本の鬱蒼とした森の中にこそ魑魅魍魎が潜み、人に害をなすような気がするのだが、映画ではまるで西部劇のような草原や岩地で話が展開する場面が多く、どうにも違和感がぬぐいきれなかった。それは映画全体とっては小さな瑕疵なのかもしれないが、もうちょっと怪しげな雰囲気を醸し出して欲しかったと思う。
 とは言え、映画の最後に「残りの体の部位24」というようなテロップが流れたので、続編が期待できるかもしれない。それとも、手塚作品に倣って百鬼丸が人間の体をすべて取り戻さないまま終わってしまうのだろうか。
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