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ふくろう

 時々自分が死んだ後に何が残るだろうか、考えてみることがある。財産など残すほどの器量はない。かと言って、俺の生き様を見ろ、と豪語するだけの立派な生き方をしている訳でもない。ただただ気ままにダラダラと生きてきただけだから、誇れるようなものは何もない。形として残せる物といったら、唯一このブログに書き連ねてきた下らないことだけのような気がする。子孫に田畑を残すのが男の甲斐性などとは思っていないが、残せるものがこのブログの記事ばかりではあまりに悲しい。笑うしかない・・・。
 などと思ったのも、昨日突然私の一番年長の従姉の連れ合いが亡くなったからだ。陶器会社を経営する人であるが、陶芸作家としても名の知れた人であり、かつてこのブログにもその作品の写真を載せたことがる。最近は会社の経営を長男に任せて自分は趣味の料理屋を開いていたが、その人が突然亡くなってしまった。連絡を受けたとき、私はあまりに急なことで話がすぐには理解できなかった。人の世の無常を嘆くのは簡単だが、近しい人の突然の死は「無常」という言葉で片付けてしまうほど生易しくはない。安置された遺体に向き合ったときどうしようもなく流れ落ちた涙は、「なぜこんなに突然・・」という無念の気持ちと、長くお世話になった感謝の気持ちが錯綜したものであった。今、こうやってここに書き込んでいいのかどうか自分でも分からないが、己の素直な気持ちを記しておきたいと思った。
 人の一生など泡のようなものだが芸術は永遠だ、などと知ったかぶりをする気もないが、亡くなったTさん(畏敬の念をこめていつもそう呼んでいた)の作品のうち、私が写真に収めていたものをここに載せて、私の哀悼の心を表しておきたいと思う。


 


 Tさんの窯元の名前でネット検索してみたら、
  「自由奔放な作風をお楽しみください。
   お気軽にお立ち寄り下さい。」
とあった。そのとおりの人柄だったので、また涙がこみ上げてきた・・。

 「いろいろありがとうございました。もう一度話がしたかったです」


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