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鳥獣戯画

 現在東京のサントリー美術館で、国宝「鳥獣戯画」(「鳥獣人物戯画絵巻」)が展示されている。鳥獣戯画といえば、日本のマンガ・アニメ文化、キャラクター文化の源流として有名だ。今回は、京都・栂尾の高山寺に所蔵される「鳥獣戯画」四巻を中心に今月16にまで展示されていると言うのだから、ぜひ見に行きたいとは思う。しかし、どうしたって東京までは出かけられないから、HPから借りてきた画像を貼り付けて満足することにする。

 

 擬人化された動物の姿が活写されていて、とても800年近くも前に描かれたものとは思えない。私が初めてこの絵を目にしたのは、中学校に入ってすぐに国語の副読本として与えられた「国文選」という教科書の表紙だった。最初に見たときはマンガが描かれてふざけた教科書だ、くらいにしか思わなかったが、授業で先生からその謂れを教えてもらって、いたく感じ入ったことを覚えている。それ以来私にとって大好きな絵となった。
 この「国文選」は古文・漢文、さらには明治時代の日本の古典から、今でも私の心の中に鮮明に残っている名文がいくつも載せられていた。その中に、徳富蘆花の「自然と人生」から次の一節が抜粋されていたように記憶している。

 家は十坪に過ぎず、庭はただ三坪。誰か言う、狭くしてかつ陋(ろう)なりと。家陋なりといえども、膝を容(い)るべく、庭狭きも碧空仰ぐべく、歩して永遠を思うに足る。
 神の月日はここにも照れば、四季も来たり見舞い、風雨、雪(せつ)、霰(さん)かわるがわる到りて興浅からず。蝶児来たりて舞い、蝉来たりて鳴き、小鳥来たりて遊び、秋蛩(しゅうきょう=こおろぎ)また吟ず。静かに観ずれば、宇宙の富はほとんど三坪の庭に溢るるを覚ゆるなり。  (「吾家の富(一)」)

 当時の私には難しい言葉が多くて理解するのに苦労したが、何度も読み返すうちに、日本語の豊かさ、美しさに圧倒されてしまった。この文章から受けた感銘がその後の私の人生を決定付けてしまったと言っても過言ではない。文学に目覚め、片っ端から本を読み始めたのもこの後からだった。夏目漱石を中心として明治の文章に深く馴染んだのも、この蘆花の文章の影響が大きかったからだろう。
 もうひとつ、この国分選の文章でいまだに覚えているものは、「群書類従」の編纂者として有名な塙保己一の逸話である。

 或夜弟子をあつめて、書物を教へし時、風にはかに吹きて、ともし火きえたり。
 保己一はそれとも知らず、話をつゞけたれば、弟子どもは
「先生、少しお待ち下さいませ。今、風であかりがきえました。」と言ひしに、保己一は笑ひて、
「さてさて、目あきといふものは不自由なものだ」と言ひたりとぞ。

 塙保己一は幼い頃に失明して盲目であった。それにも負けずに学問に励み、当代きっての学者となった、いわば偉人である。そんな彼の一面を伝えるエピソードは私の心に深く残った。障害を持ちながらも、それにひるむことなく、乗り越えた者が持つ気高さというようなものが表されているように思ったのだろうか。それとも、五体満足でありながら、全力を尽くさず不平不満を漏らしてしまいがちな自分に対する、戒めと捉えたのだろうか。

 先日私の塾に通っている、私の中学の後輩になる生徒に頼んで、国分選の教科書を見せてもらった。しかし、今では表紙が「鳥獣戯画」ではなく、南画のようなものに変わっていた。もう35年も前の話だから、教科書の表紙が変わっているのも当然だが、ちょっと寂しい気がした。
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