毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
高卒テスト
2007年12月28日 / 塾
今月初めから塾の教室の壁に「愛知県高校入試日程」を貼り出した。毎年、問題集屋が作成して持ってきてくれるのだが、これを貼り出すと入試が近づいてきたのを実感する。だが、そんな気持ちになるのは私だけのようで、当の中学3年生たちはいたって呑気だ。もともと今年の中3生はピリッとしたところがない。なんとかしっかり勉強させようと私もあれこれ腐心してきたのだが、なかなか学習意欲の高まりが見られず、ずっと私の頭痛の種であった。入試というものを軽く見ているのか、この高校に入りたいという意欲が欠けているのか、勉強に集中せず、私がちょっと気を許すと私語が始まってしまう。その度に注意するのだが、怒ってばかりいるのも雰囲気が悪くなってしまって、かえってやりづらくなってしまう。優しい言葉もかけなくちゃ、そっぽを向かれてしまう。その加減が例年よりも難しい。そんなことに気を遣ってばかりいるので、今年の中3生との授業は精神的にとても疲れる。一人一人と話せば、いい子ばかりだと思うが、何人か集まると扱いにくくて仕方がない。私だって大人の対応をしたいと思っているが、ついついカーッとなってしまうこともしばしばだ。だが、変に取り繕わずに、そのままの自分で子供たちと接することが私の基本方針だから、思い通りにやっていると言えなくもないかもしれない。
そんな彼らも冬期講習には大部分が参加してくれた。冬休み中は12月31日、1月1・2日を除いて毎日塾で2時間から4時間勉強することになる。この冬休みに勉強しなくていつ勉強するんだ、と私が檄を飛ばしたせいなのだろうが、やっと少しずつ入試に対して正面から向かい合おうという意識が芽生えてきたようだ。後はこの気持ちを大切にして、志望校合格まで結び付けてやるのが、これからの私の大事な役目だ。できるだけの努力は惜しまないから、なんとか最後まで挫けずに頑張って欲しい。
いささか旧聞になるが、政府の教育再生会議の検討項目に「高卒学力テスト」が挙がっていると報道された。高校を卒業する大学進学希望者に基本的な科目の学力検査をし、それに合格することを進学資格の条件にする案だ。高校を卒業するには所定の単位取得が必要だし、大学に入学するには入学試験に合格しなければならない。それで十分なはずなのに、何故「高校学力テスト」などが必要なのだ、と疑問に思う人も多いだろうが、少しなりとも高校教育の崩壊を現実のものとして味わっている私としては、そうしたテストの必要性を認めざるを得ない。大学全入時代を迎え、AO入試や推薦入試での入学者が全体の4割を超えるようになった現状では、高校でほとんど勉強しなくても、赤点ぎりぎりの点数さえ取っておけば、卒業もできるし、大学入学だって簡単にできてしまう。こんな現状を肌で感じている高校生が、とりあえず大学卒の資格さえもらえればどこの大学だっていいと思ってしまえば、苦労して勉強しようと思わなくなるのも当然だ。高校で「学ぶことの楽しさ」を教えないからいけないんだ、と大上段に構える意見もあるだろうが、学ぶことよりも何倍も楽しいことが街に氾濫している現代社会では、あえて苦しい路を選択する者などごく少数しかいないだろう。それを反映するかのように、一部難関国公立大・私立大では少数の学生が昔のように激しい競争を繰り広げているが、それ以外では定員割れする私立大学も多く、フリーパス状態の学校も数多くある。
高校教育が大学入試の現状に左右されるのは、本質的には間違っているのだろうが、建前のきれいごとを言っても仕方がない。高校でまともに勉強しなかった学生を定員合わせのために入学させてしまう大学では、高校レベルの「復習」を行っているところも多いのだから、大学で学ぶのに最低限必要な知識くらいは強制してでも身につけさせる仕組みを作らねばならない、という考えが起こってくるのも自然だと私は思う。大学が自分で自分の首を絞めているだけのような気もするが、こうした上からの学力低下をなんとか食い止めたいと真剣に考えている大学の人々も多いはずだろうから、この「高卒テスト」も短期間で考えれば有効な手段かもしれない。
中学3年生の、少なくとも半年間くらいは、真剣に勉強に取り組んだ生徒が高校に入学した途端に、勉強などというものを意識の外へ飛ばしてしまうのはどう考えても勿体無い。継続して勉強させるようなシステムを作ることが、学力低下の根本的な解決になるように思う。何かうまい方法はないものだろうか・・。
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