毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「真珠の耳飾りの少女」
1年ほど前に、オランダの画家フェルメールについての記事を書いたとき、ビーバーさんと勇者さんから「真珠の耳飾りの少女」という映画について教えていただいた。それ以来、いつかは見たいとずっと思っていた映画だが、先日偶然にもBS朝日で放送されているのを見つけ、あわてて録画した。それをここ2・3日かけてやっと見終わった。見終わった感想を一言で言うなら、「静謐な感じのする映画」。しかし、主人公の少女を巡って、その周りの者たちの心の奥底に潜むものは決して穏やかなものではなかった。あらすじは・・、
「1665年、オランダ。天才画家ヨハネス・フェルメール(コリン・ファース)の家に使用人としてやってきた少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)。下働きに追われる中、色彩における天賦の才をフェルメールに見出される。グリートは、やがて弟子・モデルとなり、その存在は画家に創造力を与えるようになるのだった。表面的には、主人と使用人としての距離を保ち続けるが、本能で理解しあえる運命の相手だとお互いに気づくフェルメールとグリート。だがそれは、許されぬ恋。触れ合うこともできぬまま、胸の奥に秘め―。
ところがフェルメールのパトロン、ファン・ライフェンからグリートを描くようにという制作依頼が入ったのだ。それまで以上に多くの時をともにし、画家とモデルとして向き合うことになった二人は、その想いを押しとどめてはいられなくなる。もちろん、そんな二人を周囲は認めない。なぜならフェルメールは、妻子ある身。敬愛する画家と芸術のためにその身を危険にさらしていくグリート…二人の想いは・・」
何せ深夜の眠い時間に見たものだから、こうしたあらすじを十分理解していたとは言い難い。ただ、少女を演じた女優が絵のモデルとなった少女にそっくりだったのには驚いたし、光が絵画に与える影響をフェルメールが熟知していたことや、パトロンなしでは画家も暮らしていけなかった時代のことなどが分かって、なかなか興味深かった。

フェルメールの作品として最も有名だと思われる「真珠の耳飾りの少女」は一度見たら忘れられない奥深い力を秘めた作品だ。背景など何もなく、振り向いたように見える少女は唇をかすかに開いて何かを言いたげだ。何か喜ばしいことがあったのだろうか、かすかに微笑んでいるようにも感じられる。この絵をじっと見ていると様々なことが心に思い浮かんでくる・・。そうした感覚は何も私だけのものではないようだ。調べてみたら、この映画はアメリカの作家・トレーシー・シュヴァリエがこの絵から着想を得て書き上げた小説をもとにしているのだそうだ。小説は、「この絵のモデルとなった少女とフェルメールの関係を描く。フィクションであるが、まるで実話のように書かれている」と評されているが、映画を見ていても、この絵が描かれた裏にはこんなエピソードがあったのか、とつい思ってしまいそうなほど現実感がある。
一枚の絵が人の想像力を刺激することはよくあるだろうが、それを小説や映画として形あるものにする作業を実現できる人はなかなかいないだろう。インスピレーションを受けたとしても、それを広げて纏め上げていくのにはかなりの才能が必要だ。私はこの映画を見ていて、その内容よりも、画家の描いた1枚の絵から想像を膨らまして物語を作り上げた作家の力の方に気を取られてしまった。もちろんそうした着想を作家に与えたフェルメールの絵が測り知れない魅力を持っていることは言うまでもないことだが・・。小説と絵画、さらには映像とが絶妙なコラボレーションを果たして出来上がった映画だと思った。
東京都美術館で開かれているフェルメール展は今月14日で閉幕してしまう。やっぱり行けずに終わってしまったが、「真珠の耳飾りの少女」が展示されていたなら、どんなことがあっても行っただろう・・。一度はこの目で実物を拝観したいものだ。
「1665年、オランダ。天才画家ヨハネス・フェルメール(コリン・ファース)の家に使用人としてやってきた少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)。下働きに追われる中、色彩における天賦の才をフェルメールに見出される。グリートは、やがて弟子・モデルとなり、その存在は画家に創造力を与えるようになるのだった。表面的には、主人と使用人としての距離を保ち続けるが、本能で理解しあえる運命の相手だとお互いに気づくフェルメールとグリート。だがそれは、許されぬ恋。触れ合うこともできぬまま、胸の奥に秘め―。
ところがフェルメールのパトロン、ファン・ライフェンからグリートを描くようにという制作依頼が入ったのだ。それまで以上に多くの時をともにし、画家とモデルとして向き合うことになった二人は、その想いを押しとどめてはいられなくなる。もちろん、そんな二人を周囲は認めない。なぜならフェルメールは、妻子ある身。敬愛する画家と芸術のためにその身を危険にさらしていくグリート…二人の想いは・・」
何せ深夜の眠い時間に見たものだから、こうしたあらすじを十分理解していたとは言い難い。ただ、少女を演じた女優が絵のモデルとなった少女にそっくりだったのには驚いたし、光が絵画に与える影響をフェルメールが熟知していたことや、パトロンなしでは画家も暮らしていけなかった時代のことなどが分かって、なかなか興味深かった。

フェルメールの作品として最も有名だと思われる「真珠の耳飾りの少女」は一度見たら忘れられない奥深い力を秘めた作品だ。背景など何もなく、振り向いたように見える少女は唇をかすかに開いて何かを言いたげだ。何か喜ばしいことがあったのだろうか、かすかに微笑んでいるようにも感じられる。この絵をじっと見ていると様々なことが心に思い浮かんでくる・・。そうした感覚は何も私だけのものではないようだ。調べてみたら、この映画はアメリカの作家・トレーシー・シュヴァリエがこの絵から着想を得て書き上げた小説をもとにしているのだそうだ。小説は、「この絵のモデルとなった少女とフェルメールの関係を描く。フィクションであるが、まるで実話のように書かれている」と評されているが、映画を見ていても、この絵が描かれた裏にはこんなエピソードがあったのか、とつい思ってしまいそうなほど現実感がある。
一枚の絵が人の想像力を刺激することはよくあるだろうが、それを小説や映画として形あるものにする作業を実現できる人はなかなかいないだろう。インスピレーションを受けたとしても、それを広げて纏め上げていくのにはかなりの才能が必要だ。私はこの映画を見ていて、その内容よりも、画家の描いた1枚の絵から想像を膨らまして物語を作り上げた作家の力の方に気を取られてしまった。もちろんそうした着想を作家に与えたフェルメールの絵が測り知れない魅力を持っていることは言うまでもないことだが・・。小説と絵画、さらには映像とが絶妙なコラボレーションを果たして出来上がった映画だと思った。
東京都美術館で開かれているフェルメール展は今月14日で閉幕してしまう。やっぱり行けずに終わってしまったが、「真珠の耳飾りの少女」が展示されていたなら、どんなことがあっても行っただろう・・。一度はこの目で実物を拝観したいものだ。
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