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昭和史

 自衛隊の田母神俊夫・前航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」という論文が問題になったのは、記憶に新しい。彼の個人的な考えを述べた論文らしいので、言論の自由の保障された日本ではとやかく言う筋合いのものではないのかもしれない。ただ、どうしたって公人たる役職を担っている人物であるから、もう少し世間の反響を考えた行動を取るべきだったのではないか、と思う。(まあ、それを狙ったのなら、彼の思い通りだから何も言うべきことはさらにないのだが・・。)
 その影響を受けて、と言うわけでもないが、私としては珍しく昭和史をテーマにした新書『「昭和」を点検する』(講談社現代新書)を読んでみた。保阪正康と半藤一利という「昭和史研究の第一人者」たる二人の人物の討論形式でまとめられたものであるが、教科書程度の歴史知識しかもっていない私には、なかなか刺激的な書であった。
 「世界の大勢」「この際だから」「ウチはウチ」「それはおまえの仕事だろう」「しかたなかった」という私たちが日常生活でよく耳にする5つの言葉をキーワードとして、昭和史を読みとろうという試みのもとに対話は進められていくが、これらの言葉が、日本の戦争へと突入していった過程を如実に表しているのには驚いた。驚いたと言うよりも、戦争へと突き進んでいった軍部の指導者たちが、これらの言葉に収斂されるほどの無責任さと無自覚さに満ち溢れていたというのは、恐ろしいことであり、情けなくもあり、悲しいことでもあると思った。
 映画「私は貝になりたい」は、戦争の記憶が生々しい時代に撮影されたかつての名作と比較すればどうしたってアラが見えるのは仕方ないことであるが、それでも、日本の軍隊のありようを少しでも知るためには多くの若者に見てもらいたい映画だと思う。映画では、アメリカ軍捕虜を殺害した咎で戦争裁判にかけられた上官たちの多くが、「しかたなかった」とか「それはおまえの仕事だろう」などと言って、己の責任をより弱い立場の者たちになすりつけようという責任逃れに終始する醜い姿勢が描かれているが、そうした己の行動にまったく責任を持とうとしない無自覚な態度が、軍部の中枢を担う者たちの間にも蔓延していたというのが本書を読んで痛いほどよく分かった。
 もちろん潔くすべてを己の責任として、一切の罪科を一身に引き受けようとした人々も多くいただろうが、それよりもはるかに多くの者たちが、責任の所在をうやむやにしようとしたのは、長い間私が不思議に思っていたことだ。いやしくも軍隊として命令系統は整備されていたはずであったから、少し調べれば誰が命令を下したのかなどすぐに分かるだろうに、何故それをしないのだろう・・。日本軍が内外でとった行動に言い訳ができないことも山ほどあっただろうに、それを平気で我関せずといった態度ができる人々が多くいたのはどうしてなのだろう、不思議でたまらなかった。
 それに対する答えが本書でやっと見つけられた。

 保阪:昭和20年8月14日の閣議で、行政や軍事機構の末端まで、資料を焼却せよという命令を出したんですね。大本営から発せられた命令のなかにもすべての資料や文書を焼却せよという通達が流れています。全部燃やしているわけですよ。
 半藤:8月14日から16日にかけて、どこの地域の官庁からも煙が上がっていた。
 保阪:日本の戦争に関する資料はほとんど残っていない。軍事裁判での戦争責任の追及を恐れたんでしょうが、次の時代に資料を残して、判断を仰ぐという国家としての姿勢がまったくなく、燃やせということを平気でやる。
 半藤:こんな国はありませんよ。
 保阪:記録がないから事実が存在しないということはありません。記録がないからといって居直るようなスカスカの歴史認識、史実についての不勉強を、国際社会に対して平気で言う神経が私には信じられません。(中略)私は基本的には政治・軍事の当事者たちが、自分の時代しか見ていなかったのだと思います。それは歴史に対する責任感の欠如ではないか。
 半藤:ポツダム宣言の実施でわれわれは裁かれる軍事裁判がおこなわれる、それが怖いから都合の悪い資料は残さない、燃やしてしまえというのは、明らかに自分の時代しか考えていない、「おれの時代」しか考えない、後世への信義にかける。

 これ以上何をか言わん・・。

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