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オリオン座流星群

 小学生の授業を終え、バスで送っていく途中、後ろの方から子供たちの会話が聞こえてきた。
  「見た?」
  「何を?」
  「流星」
  「流星?」
  「うん、流星」
  「流れ星のこと?」
  「そうだよ」
  「それがどうしたの?」
  「今よく見えるんだって」
ここまで黙って聞いていた私もとうとう我慢できなくなった。
  「オリオン座流星群のことだろう?」
  「うん、そんな感じ」
  「そうか、そろそろ一番の見ごろだよな」
  「水曜の夜だってお母さんは言ってけど」
2・3日前に新聞で見た記憶があったから会話に加われたけれど、実はよく知らなかった。そこで、塾に戻ってさっそく携帯の「ウエザーニュース」で調べてみた。

【オリオン座流星群】
■どんな流星群?
10月上旬から活動を始め、11月上旬まで見られるという息の長~い流星群で、毎年安定した活動が観測されています。また、時には明るい流星やアト(流星が流れた後に残る、プラズマの雲)を残すことがあり、その派手さにもぜひ注目。
特に今年は、ここ数年では最高の条件となり、1時間に50個以上の流星の出現や火球も期待できそうです。
■いつ見える?
《出現期間》 10/10~11/5
《ピーク》 10/21 23時
今年のピークは、10/21の23時頃が極大になるため、21(水)の夜から22(木)の夜明け前まで、目が離せません。
さらに今年は、18(日)が新月のため、、月明かりの心配も無く、ここ数年では一番の観測条件になります。この機会を逃さず、流星を探してみてください。
また、ピークが過ぎても出現期間は、観測の可能性があります。夜空が良く見える機会があったら、夜空を眺めてみてください。
■どこに見える?


放射点を見つけるのに、目印となるオリオン座は、夜遅くに東の地平線から登り始めます。
深夜に南の空に輝くオリオン座のほんのわずか左上が放射点。オリオン座が見える方角が広く見渡せるところで、ゆったりと観測して下さい。

 「ウエザーニュース」も先の台風18号では思わぬ失態を演じてしまったようだが、詳しくないので何とも言えない。だが、私には欠かすことのできない情報源として大いに役に立っているから、1度や2度の失敗にめげずにぜひこれからも頑張ってもらいたい。
 「ウエザーニュース」の詳細な情報のおかげで私も俄かにオリオン座流星群の観測がしたくなった。今日の夜、塾が終わったら上空360度すべて見通せる広いところまで出かけて行って、観測することにしよう。
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ホッチキス

 大きなホッチキス、問題集やプリントを留めるのに欠かせない道具。でも、なんだか調子が悪くなった。針をセットして紙を綴じようとすると、一回は作動するものの、連続して綴じようとすると、針が出てこない。針をセットする箇所を押してやるとまた一度はうまくいくが、すぐ後にはもう作動しない。どうしてだろう?調べてみた。


 すぐに分かった。写真の真ん中に見える金具が針の上を通って一番奥まで行き、それと結びついた留め金が針を押さえる役目をしているのだが、金具と留め金を結びつける板状のバネがなくなっている。これじゃあ、針を押さえることができず、連続して使うことができないのも当然だ。そのバネがどこかに挟まっているのかな、と探してみたがどこにもない。う~~ん、このままじゃもうお払い箱だな・・。
 しかし、直せるものなら直して使わねばならない。以前ならすぐに新しいものを買ってしまっただろうが、そんな無駄はできない。何とかre-useできないものか、と頭を捻ってみた。などと大仰に構える必要もないほど簡単なことだ。バネのような働きをするもので、身近にあるもの・・・、それは輪ゴムしかないだろう。きっと輪ゴムならうまくいく、そう思って試してみた。

 

 まずは、できるだけ押さえつける力が強い方が良いだろうと、輪ゴムを4重にして装着してみた。中に押していくと確かに力は強い。だが・・、あまりに引く力が強すぎて途中で切れてしまった。残念・・。
 

 ならば、次は3重で試すことにした。手ごたえはかなり小さくなったが、それでも限界を超えてしまったようで、途中でプチッと切れてしまった。3重でもだめだ・・。
 
 

 2重でだめなら輪ゴムでは無理ということになる。だが、写真でも分かるように、弛んでしまってうまくセットできない。それでも注意してゆっくり押し込んでいくとそこそこ反発してくる力は感じるものの、途中で切れることなく奥まで押し込むことができた。これならどうだろう、うまくいきそうな感じだけれど・・。実際に紙を綴じてみた。


 これなら大丈夫。何度か試しても輪ゴムがちぎれることなくきっちり役目を果たしてくれている。我ながらナイスな思い付きだった。このところ実務方面でちょっと冴えている気がしなくもない。やはりプラクティカルな人間になりつつあるようだ・・。


 
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メヒカリ

 日曜日、塾が終ってすぐに出かけた。目的は刈谷オアシス、そこの魚売り場で売られているメヒカリを買うためだ。2週間前に新しい車が来た時に、試運転で高速を走った時に立ち寄って、びっくりするほど安くてたくさん買え、から揚げにして食べたら実がフワフワして柔らかくとても美味しかったので、もう一度買いに行くことになったのだ。
 2週間たって、車にもだいぶ慣れたが、高速道路をガーッと走れるほどにはなっていない。走行車線をおとなしく走っていたが、時々追い越し車線に入ると、その度に後続車があっという間に近づいてきて、ピタッと後ろにつけるものだから、怖くなってすぐに走行車線に戻る、そんなことが何度かあった。どうして車間距離をあんなに詰めることができるんだろうと、猛スピードで追い抜いて行く車の運転手を不思議に思った。なんだか高速道路での走り方のマナーが悪くなっているような気がして、無料化などしたらもっと危険な運転手が流れ込んでくるんではないか、どう考えても反対だなあ、と思った。

 家を出てから30分程で着いてしまうから、やはり高速道路を走ると早い。早速魚売り場に向かったが、店内は大勢の人で賑わっていた。

これがメヒカリ。


メヒカリという魚は、
「メヒカリは、青緑色に光る大きな眼をもっていることからこの名で呼ばれている全国的な通称です。分類学的にはまだ論議されており明確にされておりませんが、これまで漁業資源として注目されなかったことや、比較的深い所に生息しているので、あまり生態についての研究がされていません。肉質は白身にもかかわらず程良く脂肪があり、大変美味しい魚ですが、目が光って気持ちが悪いことや鮮度落ちが早いことなどから、獲れても水揚げしないで洋上で投棄されていた時代もあったそうです。薄塩で半日ほど干して、焼き魚や丸ごと唐揚げにするのが一般的ですが、鮮度がよければ刺身や寿司種にも使われています」
と説明されている。
 しかし、2週間前と比べて値段は高くなっていた。これでも安いんだろうから、伯母に渡す分と2箱買った。おいしいのは分かっているから、少しくらい高くなっていても我慢するしかない・・。他にもサンマが安かったので買ったが、来る度にいろいろ魚が変わっていて、季節によって漁獲が違うのが分かって楽しい。
「これから寒くなったら、ふぐも売るようになるかしら」
妻が楽しみにしているので、またしばらくしたから来なくちゃいけけない。

 帰り道は妻が運転して行った。助手席に乗ることはあまりないからたまには外の景色を見ながら車に乗るのもいい。暇なので何枚か写真を撮ってみた。

 

 

 ちょっといい感じだった・・。 

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金木犀

 金曜日の夜、塾を終えて自宅に戻ったら、甘い香りが庭に立ち込めていた。「あっ、金木犀の香りだ」。今年は樫の木が「すす病」にかかってしまい、その隣に生えている金木犀にも害が及んで、葉がかなり傷んでしまっていたので、今年は花が咲かないかもしれないと思っていた。つい先日もふっと思い立って、枝の間を探してみたが、花芽の付いている様子はまるでなかった。それなのに今年も無事咲いてくれたのだから、まことに喜ばしい限りだ。
 などと書くと、毎年金木犀の開花を楽しみに待っているように思えるが、実は家の庭に金木犀が植わっているのを知ったのは、去年のことであり、それまで自宅に金木犀の木があるなんてまるで知らなかった。去年にしてもだいぶ盛りを過ぎた頃に初めてその存在に気づいたのだから、なんて鈍感なんだろうと自分でもあきれてしまう。あの芳香に全く気づかずに過ごしてきたのだから、いくら何でもひどすぎる。昨年までにも金木犀を話題に記事を書いたことがあるが、自宅の庭に金木犀が植わっているのを知っていたなら、もっと楽に記事が書けたのにな、と今となっては己の迂闊さを哂うしかない・・。
 で、翌土曜の朝にその金木犀の写真を何枚か撮ってみた。

 

 この写真は修理に出してあったPanasonicのカメラが戻ってきたので、早速撮ってみたものである。やはりこのカメラの方がきれいに撮れる。ピントはぴったり合うし、遠景も近景もさほど気にせず写すことができる。試しにバスを運転中に見かけた立派な金木犀も写真に収めたから、以下に貼ってみる。


 ちょうど雨がポツリポツリと落ちてき始めてしまい、落ち着いて写真を撮ることができなかったのは残念だが、あまりに見事な枝ぶりに気づいて思わずバスを止めてみた。周りは金木犀の香りに包まれ、むせ返るようだったが、これだけ立派な枝ぶりはなかなか見つからない。あったとしても庭に咲いているものがほとんどなので、おいそれと写真を撮るわけにもいかない。この金木犀はたまたま家の塀の外に生えていたので、これなら写真を撮ってもいいのかな、と勝手に判断して撮ってみた。
 不思議なことにここ2・3日で至る所で満開となった金木犀であるが、示し合わせたように一斉に咲き始めたのはいったいどうしてなんだろう。地下水脈まで伸びた根を通じて、「もうそろそろ咲こうか」などと謀議しているわけでもないだろうから、自然の摂理と考えるしかないのだろう・・。が、なんともまあ、人知を超えた不思議な現象である。

 しかし、実を言えば我が家の金木犀、まだまだ病気からは完全に脱していないように思われる。すす病の痕跡を見せる葉は少なくなったが、枝に目を移すとこの金木犀の現状がよく分かる。


 このぶつぶつの点、いったい何なのか確かめる気が失せてしまうほど、気持ちが悪い。皮がめくれてくるような気もするが、下枝をかなり払っておいたから、風通しがよくなってそのうちこんな点など消えるかもしれない。そうなると良いんだけれど・・・。 


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「カイジ」

 藤原竜也主演の「カイジ」を見た。この映画が作られると知った時、私は見に行きたいとは思わなかった。それは、原作のマンガ「カイジ」の作者・福本伸行の描いた作品はいくつか読んでいたものの、その絵柄が好きになれず、しかもストーリーがグダグダ回りくどくて、どうにも好きになれないものばかりだった。この「カイジ」もきっと同じようなものだろうと、妻が原作のマンガ本を買ってきたのも全く読まなかった。それに加えて、藤原竜也も、映画「カメレオン」をDVDで見た時にあまりよくなかったので、余計に興味が湧いてこなかった。
 しかし、少し前に映画館でマンガ「カイジ」の第1話を載せた冊子が配られていて、それを家に持ち帰って読んでみたら案外面白かった。これなら映画を見に行ってもいいかな、と少し気が変わり始めた。
「うだつの上がらないフリーター生活を送っているカイジが数年前に友達の借金の保証人になったため、その友人が行方知れずになって彼に返済義務が生じる。しかし、利子で膨大な額にふくらんだ借金を返すことなどできないカイジは、借金取りの誘いに乗り、一攫千金の夢を求めて集まった同じような若者たちとギャンブルに命を賭ける・・」
といったようなところでその冊子は終わっている。これじゃあ、蛇の生殺しだ。どうしたって続きが知りたくなる。仕方ないなあ、製作者の陥穽にはまってみようか、という気になった。しかも、このところ続けて映画を何本も見ているため、いつの間にかポイントが貯まって一作はタダで見られると妻が教えてくれたのもいいきっかけになった。じゃあ、面白くなくてもいいな、そんな気軽な思いで映画館に出かけた。
 ところが、なかなか面白かった。130分はちょっと長すぎるだろう、と心配していたものの、その長さを感じさせることはなかった。カイジが自らの運命を賭けて挑む勝負が3つあり、その時々に苦悶する藤原竜也は今まで私が見た彼の映画の中では一番よかった。今までならベビーフェイスの彼特有の甘い表情が、シリアスな場面では邪魔になっていたように思うが、この作品では彼も年相応の男の顔になってきたな、という印象を受けた。年令を重ねるたびに男は自らの顔に責任を持たなければならなくなる、という故事に従えば、彼がこれだけしっかりした顔を持てるようになったのも、充実した時間を過ごしてきたことの表れだろう。20代にして早くも男を感じさせる役者になってきたようで、これからの彼のますますの成長が楽しみになった。
 だが、見終わった後、なんだか疲れた気がした。娯楽映画なんだから、そんな肩肘張ってみていたわけでもないのに、どうして?と考えてみたら、藤原竜也の活舌が見事で、せりふの一つ一つがはっきり聞こえてきて、知らず知らずのうちに気を抜くことなく出演者全員の台詞を追っていたからではないだろうか、と気づいた。以前から映画でもTVでのナレーターでも、藤原は舞台の台詞と同じような発声法をしているような気がしていたが、この映画では原作のマンガの台詞自体が説明くさくて、長ったらしいものが多いから、余計に台詞を聞いているだけでもう十分・・という気になったのかもしれない。活舌がはっきりしすぎているのも反って難点かな・・。


 しかし、この映画の全編の底流に流れる「勝ち組」と「負け組」という区別の仕方には最後まで抵抗があった。確かに香川照之演じる利根川が、借金で首の回らなくなってしまった若者たちに言い放つ厳しい言葉には「その通りだ」と言いたくなるものも多かったが、それでも複雑怪奇な現代を単純に勝者と敗者に分けてしまう基準がすべて「お金」であるという発想には、少しばかり時代感覚がずれているように思った。もちろんこのマンガが始まった90年代後半の世相を反映したものであろうが、拝金主義の世界観をぐいぐい押し付けられるのは、もうこりごりだという気がどうしても拭えなかった。あのホリエモンがこの映画の試写を見て、絶賛していたという話を妻から聞いたが、さもありなんと思ってしまった・・。
 でも、そうした不満な点をいくつか差し引いても、なかなか面白い映画だったという印象は変わらない。松山ケンイチも出ていたしね。
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差別

 野中広務・辛淑玉「差別と日本人」(角川oneテーマ21)を読んだ。この書が出たのを知ったとき、対談者2人の組み合わせに意外な気がしてぜひ読んでみたいと思った。差別と在日朝鮮人差別、日本の深部に巣くうこの差別の真ん中で苦しみ、それと戦ってきた2人ではあるが、その拠って立つところが対極に位置するものと思ってきた私には、どういった内容の対談になっているのかぜひ知りたいと思ったのが一番の動機だった。
 確かに重いテーマであり、私などが軽々に論じる問題でもない。しかし、「差別と日本人」という題名であり、私が日本人である以上、私自身の問題として「差別」というものを考えることも必要だと思った。子供の頃を振り返ってみると、私の通った小学校では学年の5~10%くらいの生徒が在日朝鮮人だった。40年ほど前のことであるから皆日本名を名乗っていたが、誰が在日朝鮮人であるかは皆分かっていた。だからと言って大っぴらにそれを理由に苛めたりすることはなかったように思う。勿論私が彼らに差別的な言葉を投げかけたことがないなどと、奇麗事を言うつもりはない。何かの拍子でそんな言葉を吐いては、自分を優位に見せていたことも多々あったように思う。だが、いつも一緒に遊んでいたし、そこそこ仲がよかったようにも思う。だが、それは私の側からの一方的な思いであって、彼らにしてみれば私に言われた差別語によってひどく傷ついていたのかもしれない。差別する側からの目線で差別を語れば何事もなかったようになってしまうこともよくあることだから・・。
 在日朝鮮人に対する差別はごく身近にあったが、私は差別というものを中学校になるまで知らなかった。そういった集落が近くになかったからかもしれないが、周りで話題になったこともなかったように思う。中学校に入って島崎藤村の「破戒」を読んで初めて差別を知った。瀬川丑松の苦悩は、今まで私が知らなかった苦悩であり、日本にはこんな差別があったのか、と愕然としたのを覚えている。とは言え、その後高校を卒業するまで、問題をさほど意識することもなく過ごしたが、大学入学後に京都で住むようになったら、大学の近くに地区と呼ばれる所があるのを知った。その地区の歴史的背景を何も知らない私には、他の場所とどこが違うんだろうと不思議な感じがしたが、それも私の意識の低さのなせる思いだったのかもしれない。ただ、岩波新書の「狭山事件」を読んだことがきっかけで、「被差別の歴史」(朝日選書)という本なども熟読したから、日本社会に根付く差別の奥深さは以前よりもずっと理解するようになった。しかし、今思えば、そんなものはただの上辺の理解に過ぎず、差別に苛まれている人たちの苦しみの一端を垣間見たに過ぎなかったのだが・・。
 
 今私の塾には在日朝鮮人を母に持つ生徒がいる。その子は、自分のことを日本人と朝鮮人のハーフだとあっけらかんとして言うから、そうであると知ったのであるが、時代はずいぶん変わったものだと正直思った。私が子供の頃には自らの出自を明らかにする在日の子供たちはいなかったから、彼のオープンさには驚きもしたが、今の時代、子供たちの方が日本の国際化に慣れていて、私たちの頃のような民族的な意識はだいぶ薄くなってきたのかなあ、とその時思った。クラスの中にブラジル人やフィリピン人も何人かいるという小学校のことなので、そうした民族的しがらみからの締め付けは緩くなっているのかもしれないが、それでも自らの出自を何のためらいもなく明らかにできるということは、学校全体に外国人に対する差別意識が希薄であることの表れではないだろうか(もちろん個別には言うに言えない差別を受けているかもしれないが・・)。この例から見ても、民族的な差別意識を払拭するには小さな頃からいろんな国々からの同年齢の子供たちと触れ合うことが大切なんだな、と実感できる。地方都市の一番山間に属する地域の小学校でさえ国際化の波は押し寄せていることの証左でもあり、この子供たちが大人になる頃には、旧来の民族差別は弱まってはいないだろうか、と思わず期待してしまう。
 
 本書を通読して日本人と差別の問題は、長い歴史に根ざしたものであり、そうは簡単になくなるものではないことも改めて理解したつもりではあるが、それでも今の子供たちにはそうした旧弊を乗り越えるだけの力をもっているものと期待したいし、そう信じたい。
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プラクティカル?

 車庫の前にちょっとした排水口があって、その上に置いてある鉄製の覆いが、車庫から車を出し入れするたびに、ガタついてどうにもいやな感じだった。きちっとセットしておいても、何度か車がその上を通るうちにずれてしまい、ひどい時には角を踏むともう一方が跳ね上がってしまって、車体に当たりそうなほどだった。車が新しくなったのに、すぐに傷ついたりしたらバカらしいから、この機会に直そうと思ってはみたが、残念なことに私はまったくプラクティカルな男ではない。日常生活に役立つような知恵は持ち合わせていない。しかも実生活での経験値があまりにも少ないため、困ったことを解決するには全く不向きな男だ。この覆いのガタガタを直すにはどうしたらいいのか、すぐには最善の方法が浮かんでこない。
 

 セメントで周りを固めるのかな・・としばらく考えてやっと解決策らしきものが浮かんできたが、それじゃあ、どうやってセメントで固めるのか?う~~ん、困った・・。道具はある。父親がずいぶん前に使った残りのセメントは塾舎の片隅に置きっ放しになっているし、セメントに混ぜる砂も塾舎の横手にたっぷりある。セメントを混ぜる鏝だっていくつもある。そうした道具一式は、ちょっと探せば見つけだせる。だが、どうやって使えばよかったのか、かなり曖昧だ。若い頃は父の手伝いで、セメントを捏ねたりしたことは何度もある。これでも大工の息子だ、ある程度の段取りは分かる。ただ自分ひとりでその段取りをこなしたことがないし、昔の記憶をたどってやろうにもかなり前のことなので、記憶があやふやだ。だが、ごちゃごちゃ考えていても何も始まらないから、とりあえず適当に始めてみることにした。

 

まず砂を拾ってきて、その上にセメントをかける。しかし、このセメントがかなり前の物のようで、紙袋の中で所々が固まってしまっていて、粉状のままのところが少なく、いったいどれだけ混ぜたらいいのか分からず、全くの目分量で加えてみたのだが、果たしてこれでいいのかはなはだ覚束ない。ただ、昔「砂とセメントはよく混ぜろよ」と父に言われたことはよく覚えていて、かなりの時間をかけて混ぜ合わせた。

 

丹念に混ぜ合わせたものに水を加える。水の加減もよく分からないから、これくらいかな、と思って蛇口を止めたのだが、なんだか水が多すぎていくら混ぜ合わせても水がダブダブ残ってしまう。仕方ない、砂とセメントを後少しずつ加えよう・・。などとやっている間にやっとそれらしい雰囲気になってきたので、これで準備完了、セメントで排水口の覆いの周りを固めていくことにした。

 

 そんなに量は多くないから、簡単に全部使い切ることができたが、出来栄えはあまりよろしくない。セメントが少なく、水気が多いような気もしたが、果たしてどうだろう・・。

 1日たった写真がこれだ。


 自分としては最善を尽くしたつもりだったが、触ってみたら、まだ少し柔らかかった・・。やはり、少ないセメントに水を加えすぎたので、うすいコンクリートとなってしまったのだろう。だが、上に乗ってみたところガタガタしないし、悪くはないようだ。車も一度出し入れしてみたところ、少しばかりカタッと音はしたが、おおむね良好だった。まあ、これならしばらくは様子を見ることにしてもいいんじゃないだろうか・・。
 我ながら「いい仕事」をした!ような気がしなくもない・・。
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映画 「探偵物語」

 日曜日、「BS11デジタル」というチャンネルで「探偵物語」を見た。妻の部屋にある新しいTVは今まで知らなかったチャンネルがいくつか見えるようになっていて、このBS11もたまたまチャンネルを変えていたら、昔懐かしい「探偵物語」の一場面が流れていたので見始めただけのことで、まったくその存在を知らなかった。有料のチャンネルでもなさそうだし、どんな番組を放送しているのかよく分からなかったが、まあ、見られりゃ何でもいいわけで、途中からであったが、久しぶりに最後まで「探偵物語」を見た。
 「探偵物語」と言えば、松田優作主演のTVドラマが最初に頭に浮かんでくる私だが、薬師丸ひろ子の映画「探偵物語」にも松田優作は探偵役で出ている。この映画のDVDはもちろん持っているが、TVで見る時の方が緊張感があっていい。DVDだと好きなところで停止させることができ、自分のペースで見られるから便利ではあるが、そこに油断が生じて見る者に緊張感がなくなってしまう。やはり映画は劇場で見ることを前提に作ってあるものだから、始まったら最後まで一気に見るようにしなければならないだろう。
 などと立派なことを考えながら見ていた私だが、今年は松田優作が亡くなって20年、節目の年だ。そんな時にこの「探偵物語」をTVで放送しているのを見つけるなんて、さすがに私との縁は深い・・。おっ、そう言えば11月に松田優作を取り上げた映画が公開されると、少し前に映画館にチラシがおいてあった。たしか・・、「SOUL RED 松田優作」という題名のドキュメンタリー映画・・。私の中では、何をおいても見に行かねばならないという思いと、松田優作は今でも私の心で生きているからわざわざそんなもの見なくても、という2つの思いが交錯しているが、やはり公開日が近づけばいてもたってもいられなくなるような気がする。
 松田優作が40才で亡くなったとき私は31歳だった。それなのにいつの間にか彼の享年を過ぎ、10年以上も長く生きてきてしまった。確かに40年という生涯はあまりにも短かい。だが、彼の鮮烈な生き様は今でも多くの者を惹きつけてやまないのだから、彼の人生は40年で見事に完結したと考えるのが一番いいように思う。それ以上短かかったり長かったりしたら、松田優作という一個の伝説はこうまで完全なものとはならなかったであろう。時代を切り裂いていく力を持った人間には長い時間は天から与えられないのかもしれない・・。


 私は髪を短くしてからの松田優作が好きだ。ハードボイルドな彼がかっこいいのは言うまでもないが、人間的に深みを増した頃の松田優作が好きだ。「家族ゲーム」で、それまでとは一線を画した役柄を演じた彼が、薬師丸ひろ子を相手に見せる、どこか頼りなさそうで、その実深い思いを心の奥に秘めた探偵役は、TVドラマで演じたファンキーな探偵とはまるで違っていて、松田優作の深化を如実に表している。私が一番好きな映画「それから」の代助の原型が探偵・辻山の中に見つけられて、薬師丸ひろ子が話題の中心になったこの映画の中でも、しっかりとした存在感を見せているのはさすがだと改めて感心した。
 と言っても、やはりこの映画の薬師丸ひろ子は可愛い。文句の付けようがないほど可愛い。何故こんな可愛い女の子が、玉置浩二などというバカの毒牙にかかってしまったのだろう、とずっと悔しく思いながら見ていた。若い頃にはとても信じられないような暴挙を熱に浮かされて犯してしまうことがよくあるが、薬師丸が玉置浩二と結婚したことは、20世紀最大の愚行だといっても過言でないような気がする。


 この映画のラストシーンは空港で松田優作と薬師丸ひろ子の長いキスシーンだが、25年以上も経ってしまうと、いろんな感情が入り混じってきて、なかなか公開当時のような新鮮な気持ちで見ていられなかったのは、ちょっと残念だった。でもやはりいい映画だった。
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「逢いたいね」

 金曜日、車に乗りながらNHK-FMを聴いていたら、心に沁みる曲が流れてきた。今まで一度も聞いたことのない曲なので、終わった後に司会者がもう一度曲名を読み上げるのを待った。すると、歌っているグループの名はうまく聞き取れなかったが、曲名は『逢いたいね』だと教えてくれた。家に戻って早速検索してみたら、歌っているのは、SMOOTH ACEという「ア・カペラを得意とする4人組のR&Bコーラスグループ」だと分かった。今は重住ひろこと岡本玄の2人での活動になっているようだが、この『逢いたいね』は、4人で活動していた2003年に発表されたミニアルバム「INTRODUCING」に収められた一曲だ。運良く、YouTubeにビデオクリップがあったので、貼っておく。




 さほど新しくもなく、さほど有名な曲でもないだろうが、こんな良い曲があったなんて!!と紹介してくれたNHK-FMに感謝しなければならない。まずは歌っている重住ひろこの声と歌い方がいい。切ない歌なのにべとついた感情を表すでもなく、とは言えしっかり思いは伝わってくる。わざとらしくないナチュラルさとでも表現すべきなのか・・。
 また森雪之丞の詞も良い。

   凍りついたまま
   捨てられもしない 感情があるのよ
   溶けてしまったら
   今愛するもの 何もかも裏切るでしょう

ふむふむ・・、何かの事情で離れなければならなかったのに今だ心でくすぶる思いがあるのか。その思いを解き放したら、今の暮らしを台無しにしてしまう・・。でも、

   逢いたいね でも逢えない
   決めたから もう逢えない
   微笑んでランチをして
   5年分の話をしたら
   きっとまた好きになるね
   あの頃と 同じだね
   サヨナラを許すくらい
   優しい人は そう 残酷

悲しいなあ、切ないなあ・・。でも、我慢しなくちゃね。できるかなあ、我慢・・。さらにこんな言葉も・・。

   遠い風が 胸の森で
   騒いでる

 いいなあ、この表現。風なんだ、心の奥でざわめくのは・・。

   恋をするのは
   寓話を読むようなもの
   まぶしいのは夢だけじゃない
   すぐ横でナイフも光る
   ねえ 痛みもなしに
   愛を知るなんて できないわ

 何歳くらいの女性の心を歌っているのだろう。30代くらいだろうか、もうちょっと上かな・・。いや、歳なんて関係ないかもしれない、心の中の風を感じるには・・。
  
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戦力外

 日曜日、塾が終ってはんなりとTVを見ていたら、中日ドラゴンズ応援番組の中で、元ドラゴンズで今シーズンは西武ライオンズに在籍した岡本慎也投手が球団から戦力外通告を受けたことを特集していた。松井秀喜がヤンキースに移籍して以来、めっきり日本のプロ野球に興味を失ってしまった私でも、岡本慎也というセットアッパーの名前くらいは知っている。07年にドラゴンズが日本一に輝いた年には大車輪の活躍をしたものの、そのオフにはFA宣言した和田一浩選手の人的補償として西武ライオンズに移籍することとなった。そのニュースを知ったときには、「なぜ?」と私でさえ不思議な気がしたが、その後西武では目立った働きをすることもなく、いつの間にかその名前を聞くことも少なくなってしまった。今シーズンは途中からずっとファーム暮らしで、そのままシーズンを終えたというから、戦力外通告を受けるのはある程度仕方がないかもしれない。
 だが、彼もまだ34才。自分の力には自信を失っていないようで、11月に行われる合同トライアウトにも参加して来季も現役続行を希望していると、その番組では熱く語っていた。20歳の時から交際を始めたという奥さんも、彼を全面的にバックアップする姿勢を表明していたが、夫婦一丸となって来季もユニフォームを着られるように願う姿には、見ていた私もぐっと熱い思いがこみ上げてきて、思わず「頑張れ、岡本!!」と叫びたくなった。


 ポストシーズンで熱くなっているメジャーリーグに遅れはしているが、日本のプロ野球もほぼ全日程を終えようとしている。後はCS、さらには日本シリーズを楽しみにするだけだが、この時期戦力外通告を受けた選手の話題も新聞紙上で散見される。中日の立浪や井上、さらには広島の緒方というような引退を決めた主力選手には引退試合という花道が用意されるが、自分の思いとは裏腹に戦力外通告を受けてしまった選手は、現役続行を願って他球団からのオファーを待ち、それも叶わぬなら合同トライアウトで自分を拾ってくれる球団を探すという、まさに崖っぷちに追い込まれている。私などからみれば、まだまだ十分動ける肉体を持った年齢の選手ばかりなので、どこか活躍する場所を与えてくれる球団があればいいのに、と願うばかりだが、そうは簡単にはいかないようで、いったん戦力外の烙印を押されてしまうと、浮かぶ瀬はなかなか見つからないようである。

 そういう意味では今シーズンの楽天の躍進は改めて注目する必要がある。「野村再生工場」などと言われるように、今の楽天は他球団をお払い箱になった選手がたくさんいる。などと言ってもさほど楽天に詳しい私ではないから、元中日の山崎武と元横浜の福盛、そしてパ・リーグの首位打者に輝いた鉄平という選手しか思い浮かばないが、これらの選手が素晴らしい働きをしたからこそ、マー君と岩隈の二本柱も存分の働きをすることができたのではないだろうか。
 特に鉄平という選手は元中日の選手で土屋鉄平という名前の選手らしいが、私は全く知らなかった。金銭トレードで楽天に移籍したというのだから、中日時代は全く期待外れの選手だったのだろうが、野村監督の薫陶を受けてその才能を開花させたと言われている。山崎武も楽天に来て、「初めて頭で野球をやるようになった」と述懐しているのを聞いたことがあるので、ブツブツぼやいているだけに見える野村監督は、やはり古だぬきだなと思わざるを得ない・・。


 そう考えてみると、岡本投手が合同トライアウトでも何でも、野村監督の目に留まるのが彼の再起には一番いいように思う。が、野村監督の去就が微妙な現時点では何とも言えない。私としては、野村監督が死ぬまで楽天の指揮を執れば何人もの野球選手が再生されていいのにな、と無責任なことを思ってしまうが、そんなに簡単なことではないのかな・・。

 ひるがえって、松井も35歳、ポストシーズンでクラッチヒッターの名誉を汚すことがあったなら、来季のヤンキース残留どころか、メジャーリーグでプレーすることも難しくなってしまう。
 頑張れ、松井!!
 目指せ、チャンピオンリング!!
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