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Wパンチ

 『愛知県がインフルエンザ警報
 新型インフルエンザが本格的に流行しているとして、愛知県は8日、インフルエンザ警報を発令した。愛知県は県内の医療機関195か所でインフルエンザ患者の数を調べているが、9月28日から10月4日の週に、1定点医療機関あたりの患者数が春日井で33.44人となり、判断基準となる30人を超えた。季節性インフルエンザは毎年12月上旬から1月にかけて流行が始まるため、この時期の患者のほとんどが新型インフルエンザとみられている。流行のピークはいつになるか不明だが、愛知県は、予防のための手洗いやうがいを徹底し、重症化の危険が高い慢性疾患の患者や妊婦は人込みを避けるなど特に注意が必要と呼びかけている』

という報道に接し、「ちょっと遅いんじゃないの?」というのが私の実感だった。学級閉鎖・学年閉鎖・学級閉鎖は数知れないと9月20日の記事に書いたように、中学生と高校生の間でのインフルエンザの蔓延はずいぶん前からのことであり、ピークは過ぎたかな、という気さえするこのごろであるから、今更そんな警報を出したところで、大勢に影響はないようにさえ思った。
 だが、中間試験が市内の多くの中学校で行われる予定であった先週は、インフルエンザの流行と台風の直撃とのWパンチで、大きく予定を狂わされた学校もあり、その余波を受けて私の塾でも試験対策授業を予定より長く行わなければならなくなり、なかなか対応が大変だった。しかも、中学校によって試験の時間割の変更の仕方がまちまちで、どこの中学校がどんな対応をするのかをきちんと把握するのには時間がかかった。その中でも代表的な変更の例をあげてみると・・、

A中学校・・木・金の二日の予定だったが、木曜日が台風のため休校となり、その日に予定されていた試験の時間割が火曜にスライドし(月曜は体育の日で休み)、金・火の二日間での実施となった。
B中学校・・木・金の予定が、木曜日が台風のために休校となったため、木曜と金曜の時間割を金曜一日で、つまり国数英理社の5教科の試験を金曜一日で実施してしまった。
C中学校・・木・金の2日の予定だったものの、3年生はインフルエンザで1週間学年閉鎖となってしまい、翌週の木曜1日で5教科の試験を一気に実施する予定にすでに変更されていたため、台風による休校の影響はなかった。だが、1・2年生は学年閉鎖とはなっていなかったため、A中学校と同じように、金・火の二日に分けて実施。

 今こうやって自分なりに整理してやっとすっきりした(この他にも台風直撃の木曜日に試験最終日であったD高校は、暴風警報が11時までに解除されたために、午後から登校させてその日に予定されていた試験を時間をずらして実施)。塾では水曜日、「台風が直撃するから、翌木曜日はきっと試験が延期になるだろうけど、気を抜かずに勉強しておけよ」と注意しておいたが、休校になった後の対応の仕方が一律にはならなかったのには少し驚いた。私としてはA中学校のような延期の仕方をするものだとばかり思い込んでいたので、金曜日に一日5時間の試験を受けた、と後でB中学の生徒から聞いたときには驚いた。私が中学生の時は、一日2時間の試験が主流で、時々一日3時間の日があったりすると、試験勉強が大変で、とにかく疲れたものだった。それなのに、一日5時間なんてとても信じられない。自分が学生だったら、一気にやる気をなくしただろうな、と思う。だが、B中学校は先月末にインフルエンザが流行って、いくつものクラスで学級閉鎖をしたばかりだから、試験に2日も使ったらますます授業時間が足りなくなってしまうのを恐れてのやむを得ぬ措置だったのかもしれない。だが、その中学校の生徒に5時間連続の試験についての感想をきいたところ、「もう二度といやだ・・」と答えたから、相当きつかったに違いない。もし私がその中学校の生徒だったら、絶対に先生に抗議しただろうなあ・・。
 
 しかし今年の受験生は可哀相だ。授業は思うように進まないし、いつ何時インフルにかかってしまうかもしれない。そうした心配で憂鬱にもなるだろうが、決して無理せず、体調管理に努めて、本番で己の力を出し切ることを念頭において頑張って欲しい。大変だけど、頑張れ!!


 ちなみに現在のインフルエンザの流行状況。


北海道、愛知、大阪、福岡が警報レベル・・。

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やきもの

 今月3日から11日まで、私の住む市では「やきもの世界大交流」という名を冠したイベントが開かれている。と言っても、市民の大多数はこんな催しのことなど知らないであろうし、私にしても新聞折込をたまたま見かけたから知っているだけの話で、実際何の盛り上がりも見せていない。世界大交流という名の通りに世界中から焼き物を集めてきて展示・即売などするならそれなりに活況を呈するかもしれないが、景徳鎮(中国)・リモージュ(フランス)・ナブール(チュニジア)・利川(韓国)という我が市の友好・姉妹都市となっている4つの都市から物産や食べ物をちょろちょろと集めて来るだけの催しでは、「世界」という冠をかぶせるには少々無理がある。先週の土・日がイベントのメインであって、今週末は目立った催しもないようなので、もう終わったも同然なのだろうが、あえてそんな寂しいイベントをここで取り上げてみたのにはちょっとした理由がある。それは・・、
 半月前の「招き猫まつり」で街を歩いた時に、市の中心部に少し前に完成したばかりの歩行者用の橋を初めて渡った。初物に弱い私はちょっとうれしくなって、欄干に設置されたアクリル製の展示箱に並べられていた陶製品の写真を何枚も撮った。その時はブログのネタにでもなればいいな、との下心も少しあったが、展示されていたものがすべて外国製のものであるのに興味を引かれたためでもあった。全く事情を知らなかった私は、中国・フランス・チュニジア・韓国の国旗で作られた国が表示されているのを見て、「何でわざわざ外国の陶器を展示する必要があるんだ、この街で作られたものを展示しなくちゃいけないだろう」と、少しばかりむかっ腹が立ったが、今にして思えば、それはこの「やきもの世界大交流」の一環だったんだ、と己の短絡さを戒める結果となった。だが、その時撮った写真をこのままお蔵入りさせるのも勿体無い気がして、今こうやって記事にしているのだが、実を言えば、せっかく写真に収めた陶製品も一週間ほど前に撤去されて、今は違う陶製品に差し替えられてしまっているので、いささか時期を外した御バカな記事となってしまった・・。
 でも、世界各地で作られている陶器の一部を見物することに少しくらいは意味があるだろうから、あえて以下にその写真を貼ってみる。

 

 

 

 

 それぞれの特徴が現れた面白い作品ばかりだが、陶器というものは見ているだけではその良さはわからない。手にとって感触を確かめたり。細部にどれだけの意匠が注がれているかを吟味しなければ味わいは伝わってこない。この外国製もこの写真だけで好悪を決めるわけにはいかないだろうが、この街で育った私にはやはり地元の陶器の風合いの方に親しみを感じてしまう。例えば、街に設置してあったこの織部の陶椅子。


 街並みにとけ込んでいて、なかなか乙なものだ。
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台風一過

 台風18号が愛知県を直撃する恐れがあると天気予報がさかんに言うようになった頃から、雨脚が強まり、もっと台風が近づいたらどうなるんだろうと、だんだん心配になった。それでも塾の授業時間帯は、バスの運転に支障が出るほどまでに風雨が強まることはなかったので、通常通りの時間割を終えることができた。家に戻ると、台風情報をチェックしていた妻から、居間と座敷の雨戸を閉めてくれるように頼まれた。2年間台風が日本に上陸したことがなかったそうなので、雨戸を閉めるのも久しぶりだ。そのため合計7枚もある雨戸を閉めるのにはかなり時間がかかってしまったが、家の周りも簡単に見回って飛びやすいものは片付けておいた。
 その後いったん塾舎に戻り、このブログに記事を書いた。家に戻る時はさほど天候が荒れてはいなかったが、「嵐の前の静けさかな」と警戒を怠ることはなかった。風呂に入って早めに眠ろうとしたのはいいが、フッと気を許した瞬間に眠りこけてしまったようで、意識が戻った瞬間に慌てて風呂から出たものの、2時半近くになっていた。「しまった」と思いながら急いで布団にもぐりこんだのだが、運悪くその頃から急に風が強くなり始めた。初めはピューと音を立てていただけなのに、すぐにゴーッと唸るような音に変わり、眠いのに物すごい風音が気になってなかなか寝付けなかった。時々物が転がる音もしたし、近所の家の戸がガタガタ言うのも聞こえてきた。家の横手の斜面に生えている木が揺れてガサガサひどい音を立てるのを聞いていたら
「このまま激しい雨が続いたら、土砂崩れが起こるかもしれないなあ・・」
となんだか心配ばかりが心に浮かんできて、もう眠れなくなってしまった。このままずっとこんな状態が続いたら、朝まで眠れないのかな・・と気持ちが焦り始め、しばらく布団の中で悶々としていたら、何故だか突然風が弱くなった。おお、少し静かになった・・、と思ったら安心できたのか、いつの間に眠りに落ちていた・・。

 しっかり目が覚めたのは7時半過ぎ。途中2時半や5時半にも一瞬目が覚めたが、さほど家の外から荒れた様子も伝わってこなかったので、大丈夫なんだろうな、とすぐにまた眠ってしまった。だが、7時半ならもう起きなくては、なんと言ってもヤンキースの地区シリーズ第1戦がもう始まっている。慌ててベッドから起きたが、居間に下りていく前に窓を開けて外を見てみたら、なんと雨が降ってはいないではないか。携帯に送られてくるウエザーニュースやNHKからのニュース速報を見ると、「台風19号は5時半に愛知県の知多半島に上陸」とあったが、私が住んでいるあたりには甚大な影響を及ぼすことなく過ぎて行ったようだ。念のため、外に出て塾舎まで歩いていったが、川も大して増水していなかったので、正直拍子抜けしてしまった。塾舎の前にどこからか飛んできただろう葉が何枚も落ちていたが、その他に何も目立った変化は起こっていなかった。よかった・・。
 家に戻ってTVを点けてみると愛知県のピークはもう過ぎたようなので、安心してヤンキースの試合を見始めた。なかなかの好ゲームであったが、しばらく見ているうちに、雨戸を閉めたままではなんとなく気持ちが高まってこない気がしていやなので、開けることにした。


これだけの雨戸を元に戻すのはかなり時間がかかったが、何とかやり終えて気持ちを新たにして試合を見始めたら、松井がセンターへ大きな2ランホームランを放った。雨戸を開けたのが奏功したのかな・・。勿論その頃はまだまだ日本各地で台風の被害に遭われている人たちが大勢いただろうから、あまり喜んでばかりいてはいけないのだろうが、台風が無事去ったことと松井がホームランを打ったことが二重の喜びとなって私の心を弾ませてくれた。
 昼頃からは陽が差し始め、気持ちの良い青空も広がった。「台風一過の青空」など簡単に拝むことができないから、記念に写真を撮ってみた。


 ああ、気持ちいい。
  
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「カムイ外伝」

 映画「カムイ外伝」を見た。9月から順次公開された「BALLAD」「TAJOMARU」とこの「カムイ外伝」は必ず見ようと見ようと決めていたから、やっとその思いを果たせてすっきりした。特にこの「カムイ外伝」が3作の中で一番見たいと思っていただけに、台風の近づくのも物ともせずに出かけた。
 スト-リーは、

『十七世紀の日本。身分制度の最下層の出身であるカムイは貧しさから伊賀の忍になるが、自由を求めて抜け忍となる。ある日彼は伊賀の追い忍達との戦いの直後、領主の愛馬の白い足を切り落とした半兵衛という漁師に出会う。途中半兵衛によって船から突き落とされたカムイは半死半生で半兵衛の住む島に流れ着くが、そこにはかつてカムイが仕留め損ね、今は半兵衛の妻・お鹿として生きる同じ伊賀の抜け忍・スガルがいた・・』

と簡単にまとめられるだろう。しかし、私のように「カムイ外伝」を始め、白戸三平の作品はほとんど読んだことのある者にとっては、物語の背景が分かっているので、映画だけを見てもある程度は理解できるが、そうした下知識なしに見始めた人にとっては、なぜカムイが抜け忍とならねばならなかったのか、どうして抜け忍となった者の命を追い忍たちが執拗に狙うのか、少しばかり理解ができなかったのではないだろうか。確かに山崎努がナレーターとして最初に物語の成り立ちを説明してくれているが、いくらその語りの見事さに感心しても、もう少し実際の映像でその辺りの事情を丁寧に描写してくれたら理解しやすかったのではないだろうか。原作を読んでくるのが映画を見る者たちに課せられた予習だということはないだろうし・・。
 妻は見終わって「詰まらなかった」と言った。妻も白戸三平の原作はいくつか読んでいるはずだから、物語の芯となるべきはずの江戸時代の身分制度の苛烈さが十分描かれていなかった、という感想を持ったようだが、私もそれに同意した。だが、そうした物足りなさをかなりの程度補ったのが、松山ケンイチだったと私は思う。私は「デスノート」で初めて彼を知ったのだが、彼の演じたLは完全に藤原竜也のライトを圧倒していた。藤原のファンの妻の手前、その時はそうそう松山ケンイチを持ち上げられなかったが、それ以来若手俳優の中では私のもっとも注目する役者となった。都会的ではない彼の風貌が、影のような存在であるカムイにぴったりだったとも言えるだろうし、朴訥な雰囲気が人を決して信じることのできないカムイの孤独を反映しているようでもあった。CGばかりが目だって、超人的な動きをする忍者に現実感が削がれてしまう中、松山の人間くささがギリギリのところでこの映画を人間ドラマにしたんではないだろうか、そんな気さえした。

 

 その逆の意味でスガル役の小雪も適役だと思った。元々私は彼女の能面のような顔が好きではなかった(稲垣吾郎と共演したTVドラマ「佐々木夫妻の仁義なき戦い」の役柄があまりにひどかったのが一番の原因のような気がする・・)が、この映画の中では反ってその無表情さが抜け人の悲哀を体現しているようで、初めて小雪っていいなと思った。もちろんその夫役の小林薫がいい味出しているのは当然のことであるが、勿体無いと思ったのは、バカ殿を佐藤浩市が演じたことだった。佐藤浩市もあんな下らぬ役を引き受けなくてもいいのに、とかなり残念に思った。
 
 この時代劇3作を見終わって自分なりの評価を付けるなら、「BALLAD」>「カムイ外伝」>「TAJOMARU」の順になるように思う。「BALLAD」はなかなかの興行収入を上げているようだが、誰が見ても楽しめる映画というのはそうざらにないだろうから、この映画のようにどの世代にも見るように勧められる作品は稀だと思う。その点で言えば、「カムイ外伝」は松山ケンイチを見たい人には彼の魅力が伝わってくる映画だろうな、と思う。だが、白戸三平の「カムイ外伝」ファンが、この映画を見たなら、「原作ってもっと違っただろう」と物足りなさから、改めてページを開くきっかけになるような気がする・・。。
 私もどこにやったのか本を探さねばならない。

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ジオラマ(2)

 9月6日の記事にした「ジオラマ」、その後も順調に号を重ね、第6巻まで配巻された。が、しかし・・。毎日の忙しさにかまけて封さえ開けられず、3号から6号までが手付かずのままになってしまっていた。本屋さんが配達してくれるたびにチラッと見て、「ああ、今週はこれか・・」とか思った瞬間に、ジオラマのことなど忘れてしまうことが続いていた。何号かたまったら作るのが面倒になるだろうな、と思いはするもののなかなか時間がとれずに、部屋の片隅に積み上げられていった。


 さすがにこれではいかん!と思い立ったのが日曜日。塾が終わった夕方からビール片手に組み立て始めた。
 まずは第3号。第2号で組み立てた「里山駅」の駅舎にホームを取り付ける工程。細かな部品が多いので少しばかり面倒だったが、ゆっくり時間をかけて丁寧に組み立てた。

 

 プラスティックとは思えないような質感が出ていて、何十年も前の駅舎が再現されたようでちょっと郷愁を誘う。付属されていたボンドで柵を接着させたら、しっかり固定できて、部品が取れてなくなる心配がなくなりほっとした。
 次は第4号。レールの一部分が4号の付属部品。すべてのレールが揃うのは22号になるそうだが、やはりレールを見ると列車を走らせるんだという実感が湧いてくる。簡単に接続して、その上に第1号に付いていた列車を乗せてみた。

 

 おお!!いい感じ!迂闊な私はまるで知らなかったが、このレールには電気が通って列車は電動で走るようになるのだそうだ。軽い気持ちで買い始めたこのジオラマシリーズ、かなり本物っぽい気がしてきて、だんだんワクワクしてきた。
 で、第5号。「駅前踏切と道路」を組み立てる。駅前の商店街に通じる踏切のようだが、細い部品が多くてちょっと難儀した。特に街路灯は少し力を入れたら途中で折れてしまった。びっくりしたが、ボンドでくっつけたらなんとか元通りになった。ヒヤッとしたがこうしたドキドキもジオラマ作成の醍醐味かもしれない・・。

 

 そしてやっと第6号。これにはバスとバスの待合所が付属品となっている。バスが精巧にできているのには驚いたが、待合所も私が子供の頃には、こんな掘っ立て小屋のような小さな建物があちこちにあったよなあ、と感慨に耽ってしまった。自分ではそんなに年寄りのつもりなど毛頭ないのだが、こうした物を懐かしく思うというのは、やっぱりそれなりの年令に達している証拠なんだろうなあ・・。

 
 
 で、一応ここまで作ったパーツを2号に付いていた原寸大のレイアウトシートに並べてみると・・、


 いくら毎週一号出るといっても、全75号まで集めるには再来年までかかってしまうが、6号まで組み立てたところ、ジオラマ作成の楽しさが少しずつわかってきたような気がする。早く次の7号が来ないかなあ・・。
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14本を振り返って・・。(2)

 メジャーリーグは全日程を終了した。松井の後半戦は優勝目指して驀進するチームの5番にほぼ定着し、時には派手な活躍も見せてくれた。HRは14本打ち、打点も50をあげた。それなりの数字ではあるが、この成績をどう評価するかは、すべてポストシーズンの活躍いかんにかかっているように思う。やはりこれからの試合こそが真の勝負なのだ。
 しかし、松井は最後の数試合、明らかに調子を落としてしまった。心配にはなるが、それでも、地区シリーズが始まれば松井は間違いなく、ヤンキースをワールドチャンピオンに導くために鬼神のような活躍をしてくれるものと信じている。そこで、松井が後半戦に打ったHR(奇しくも前半と同じ14本)を振り返り、豪快なバッティングに思いを馳せることができれば、ポストシーズンでの応援にも一段と熱がこもるではないだろうか、そんな思いから、前半戦に続いて私のヤフーブログから、松井がHRを打った試合に残した寸評を写してみることにした。

第15号【7月21日】 サヨナラHR!!
やった!!
これぞ松井の真骨頂!!!
有言実行、男だねえ!!
できればライブで見たかった・・。

第16号【8月5日】
やったぜ!!
ハラデーから今季2本目!!
こうやって出た試合に活躍するのみ。
頑張れ、松井!!

第17号【8月12日】
第4打席、同点HR!
その後ポサダのHRなどで一気に逆転!!
見事な働き。
まあ、初回に決めとけば楽勝の展開になったんだろうけど・・。
まあ、贅沢言っちゃいけないなあ・・。

第18・19号【8月15日】
まさに盆と正月が一度に来たような大活躍!!(2ランHR含む5打点)
できればライブで観戦したかったけど、旅行中で携帯でチェックするしかできなかった・・。
ちょっと残念だったけど、こんな活躍をまたしてくれればいいわけだから、遠慮せずにどんどん打ってちょうだいな!!

第20号・21号【8月22日】
第1打席で見逃し三振に終わった時は、不甲斐なさに腹が立った。
第2打席でフェンスぎりぎりのフライを打ったのを見た時は、ひょっとしたら、と思ったが、まさか3ラン2本も打つとは!!(7打点)
松井ってよく分からんなああああ!!!

第22号・23号【8月24日】
ベケットから、あの苦汁をなまされ続けた不倶戴天の敵ジョシュ・ベケットから、夢にまで見たHR!!
しかも2本も!
松井よ、確かに時間はかかったけど、君がメジャーリーガーとして過ごしたこの7年は、君を確実に成長させたね。
だが、これくらいで満足してくれちゃ困る。
悲願のワールドシリーズ制覇目指して、これからも頑張れ!!

第24号【9月14日】
久しぶりのHR!
5打点の活躍!!
これで100打点も少し近づいた気がする。
そのためには、あと2回は爆発しなくちゃね。
がんばれ、松井!!

第25号【9月17日】
泳がされそうな球を、しっかり腰を残してのHR!!
いい感じ!!
チームもサヨナラ勝ちして、松井もヤンキースもこれからが楽しみ!!
頑張れ、松井!!

第26号【9月20日】
よし!!これであと4HR、14打点!!
チームの優勝マジックは9。
松井もヤンキースも一気に行ってしまえ!!!

第27号【9月22日】
初めての代打HR、などと喜んでいられるか!!
松井を出さずにこの山場を乗り越えられると思っているのか?
アホが!!
でも、こんな監督の下じゃあ、PSでLAAには勝てないよなあ。
どんなことがあっても地区優勝して、DETかMINと対戦しなくちゃいけない。
LAAはBOSに退治してもらって、BOSと決戦、そしてWSへ!!

第28号【9月23日】
力強いHR!あんなに立派なHRを打てるようになったなんて、ちょっと感激!!
でも、9回の第5打席で1本打って、LAAの息の根を止めなくちゃいけない。
まだまだ甘いぞ、松井!!
がんばれ!!
5-0を追いついたLAAもしぶといけど、それを跳ね除けたヤンキースも勝負強い。
ポストシーズンが楽しみ!!


 これを見ると今季の松井は、短期間に集中してHRを放つ傾向があるようだ。ならばより集中力の高まるポストシーズンのような短期決戦の場では、松井がHRを量産する可能性は十分ある。めちゃめちゃ楽しみになってきた。
 がんばれ、松井!!

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踏んばるには

 中川昭一氏の訃報に接して思ったことは色々あった。人間生まれてから死ぬまで何の苦もなく生きられるのが理想なんだろうが、そうは簡単に行かないのもまた人生の面白みでもある。「楽あれば苦あり」、それは、51年かなり浮ついた年月を生きてきて、死にたいほどの苦しみを味わったことのない私のような甘ちゃんならではの言辞なのかもしれないが、呑気そうに見えてもそれなりに苦しんでいる昨今であるから、「浮かぶ瀬もあるのに・・」と中川氏の死は残念でならない。詳細が明らかにされていない現時点では、「なんで?」と思わざるを得ないが、これが彼の宿命だったのかな、と思わないでもない。
 彼の心の弱さが酒の上での失敗を招いたという指摘が、かの一件以来散々なされてきたが、言わずと知れたチキンである私には何となく、彼にシンパシーを感じる面もあった。だからと言って、公の場に酔った勢いで臨む程の蛮勇は私にはない。それが許されると思ってしまったところに彼の過ちがあるのだろうと思うが、死者に鞭打つのは人倫の道に反する所業であるから、これ以上は言わないことにする。ただ、ふっと思ったことは、ピンチに陥った時にどう対処するか、自分なりのマニュアルを持っているかどうかは、その人の逆境での強さを左右するのではないだろうか、ということだ。人はヤバい状況に立ったとき、そこから抜け出すことは難しいとしても、何とかそこで踏みとどまらなければならない。全身に力を込めて耐えられるかどうか、そこが「生きる力」なのだろうが、その対処法についてこのブログで2006年3月25日に書いた記事のことを思い出した。井上ひさしが「ふふふ」という著作の中で、自分の好きなものを10選定し、それを呪文のように唱えて恐怖を乗り越えているとあったのを真似して、私自身「自分の好きなもの」を10選んでみたものだ。
 ちなみに、その10とは、
  1.志望校に合格したときの生徒たちの笑顔
  2.娘のとりとめのないおしゃべり
  3.飲み始めたときの1口目のビール
  4.息子が塾の教室で私を『お父さん』と呼ぶ声
  5.アクセルを踏み込んだ瞬間に加速する車
  6.酔っ払った父が話し出す昔話
  7.あつあつのご飯にかけたとろろ汁のしみこむ音
  8.難しい数学の問題の解法がひらめいた瞬間
  9.妻がSMAPのTVを観ているときの呆けた横顔
  10.湯船に沈んでふっと眠りに落ちる瞬間
であったが、今でもそれはほとんど変わっていない。(4だけは、「私がたまに息子に電話すると『どうしたの?』と聞き返す声」と直さねばならないが・・)。
 他愛もないものと言われてしまえば正にそうである。己の周りのことしか頭にない私ならではの選択であろうが、しかし、最後の最後に心の支えとなるものは自分の身近な存在であり、自分の周囲を幸せにできないようでは自分も幸せになることはできない、と思っている私であるから、何一つ恥じるものではない。逆にこれだけのものが私を支えてくれれているのか、と改めて認識できて嬉しくさえなる。
 天下国家を論ずる人と私のごとき卑近なことに齷齪する者とでは比べるべくもないかもしれないが、両者にさほどの違いはないと思ってしまえるほど古狸になりつつある私であるから、あえて言いたくなってしまう、「自分の好きなもの」を10個選んでそれを呪文のように唱えていれば、かなりの確率で危機を乗り越えることはできるのではないか、と。もちろん「大甘」の誹りは受けるであろうが、それくらい楽観しなければやっていられないのも事実であるように思う・・。
 
 またぞろマスコミが中川氏の死の謎についてあれこれ報道するだろうが、そっとしておいてほしいなあ、そんな気持ちでいっぱいだ。内面はともあれ、外見だけは一番かっこいい政治家だと思っていただけに、ご冥福を祈る。
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さらば・・

 なぜお前と別れることになったのか、実のところよく分からない。
 お前に何も不満はない。
 それどころか、ノーブルなたたずまいも、私の意のままに動いてくれるところも、みんなみんな大好きだ。
 それなのにお前と別れることにしたのはどうしてだろう・・。

 昨日からずっとそれを考えているのだが、どうしても分からない。
 まるでそのつもりがなかったのにいつの間にか別れることになってしまった、そんな感じだ。
 無責任な言い方だが、そうとしか言いようがない・・。

 お前とはいろんなところに出かけた。
 二人だけで京都から戻ってきたこともあったね。
 あのときのことは決して忘れないよ。
 手持ち無沙汰でやたら力を込める私にお前はよく応えてくれた。
 そのとき初めてお前と一体化できたと思った。
 
 それ以来お前はまさしく私の手足となってくれた。
 自由自在にお前を駆る喜びは常に私のものとなった。
 「駆けぬける歓び」が私とお前をつなぐ合言葉となった。
 お前の息吹を感じながらどこまでもどこまでも走りたい、何度となくそんな気持ちになった。
 
 この夏黒部まで行ったのが、最後の長いランデヴーとなってしまった。
 その間ずっと私はお前と語り合っていたように思う。
 今思えば、お前と心行くまで時を共有できたのは幸いだった。
 あの時はこんな日が来るとは思ってみなかったのだが・・。

 だが、もうさよならを言わねばならない。
 判然としない理由であれ、心を決めてしまった以上、潔く別れよう。
 ただ、正直言えば、もう少しお前を大切にしておくべきだった、と些かの後悔は感じているのだが・・。
 
 私はお前と過ごした4年半を誇りに思う。
 ありがとう、本当にありがとう。
 楽しかったよ。

 いつまでも元気で・・。




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じゅうたん(2)

 月が変わって10月になったので、お稲荷さんに月参りに行った。しかし、あいにくの雨。できれば気持ちのいいドライブをしたかったのだが、思うようにはいかなかった。だが、少しばかり胸に去来するものもあって(その辺りは後日記すつもり・・)、思い出深い一日となりそうな気がする。
 などと大仰なことを言ってみても、ほぼルーティンとなったお稲荷さん詣であるから、大して代わり映えしない道中だが、それでも行くたびに新しい発見がいくつかあって、興味の尽きない場所であるのは確かだ。
 昨日はいつも昼ごはんを食べるうどん屋「ちょぼ蔵」があいにく休業していたので、仕方なく参道の入り口にある店に入ってみた。そこを選んだ理由は、ただ妻の好物の串かつとどて煮も食べられるためであったが、壁に貼られたお品書きに「名物よもぎうどん」とあるのを見つけて、物珍しさに注文してみた。勿論珍しいものが大好きな妻も・・。


 よもぎがうどんに練りこんであって緑がかった麺は、口に入れるとよもぎの風味がいっぱいに広がって、なかなかの美味だった。すると、
「よもぎもちのことを草もちって言うけど、よもぎうどんを草うどんて言ったら、食べる気がしないよねえ・・」
とわけの分からぬことを言い出だした妻には笑ってしまった。あまりお客が入っていない店だったが、案外な拾い物をしたような気がして少し嬉しかった。

 お稲荷さんを出てしばらく行くと、全面をコスモス畑にした休耕田が広がっている。横道を曲がって車を止めても、雨が降っていては辺りを散策する気も起こらない。道の左はコスモス畑、右はたわわに実った稲穂が頭を垂れている。ちょっとしたパノラマだなあ、と思いながら写真に収めていたが、なんだか既視感に襲われた。いつだったっけ、コスモスのじゅうたんとかなんとか書いた覚えがあるんだけど・・。喉に物が詰まったようなもどかしさを感じたが、どうしても思い出せない。なんとか家に着くまで我慢してすぐに「じゅうたん」という言葉でブログ内検索してみた。すると・・
 驚くなかれ、ちょうど一年前の10月3日に「じゅうたん」という題名で、コスモスと稲穂がじゅうたんのように広がる景色の写真が載せてあった!と言うことは、1年前にも10月2日にお稲荷さんに参拝したのだ。何たる偶然!!ただ、1年前は晴天に恵まれ、今年は雨にたたられたという違いはあるものの、この写真から見る限り、季節のめぐりは一年前とほぼ同じようなサイクルで回っているようだ・・。

  

 違っているのは、天気の悪さとカメラの性能の悪さ。セミプロのゴジ健さんとは違って、己の技術のなさをカメラにカバーしてもらわねばならぬ私には、PENTAXのカメラではやはりこれくらいが限界だろう。
 しかし、一年前の同じ日に同じ場所で同じ写真を撮る・・、なんて進歩がないんだろう。ただ自分で一年前の記事を探し出すことができただけ、物笑いの種にならずにすんだと思わねばいけないのだろうか。それだけはラッキーだったかも・・。
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臨時に

 この間の日曜、「栗きんとん」を作りながら、ブログ用に写真を何枚も撮った。出来上がったものをおすそ分けしに行った叔母の家から戻ってきた私に、妻が申し訳なさそうに言った。
「カメラ落としたら、戻らなくなっちゃった・・」
椅子の上にカメラを置いて出かけたのだが、少し片付けようとした妻があれこれやっている内に、カメラがコトッと床に落ちたのだそうだ。拾い上げてみたら、レンズが出っ放しで戻らないから、慌てて押し入れてみようとしても動かない、どうしよう、と思っていたところに私が戻ってきたのだそうだ。しかし、私はそのときかなり酔いが回っていて、物事が深く考えられなかったので、「いいよ、こんなの、こうやって押し込めば何とかなる」と力づくでギューギュー押したら、変な形で入って行った・・。「直ったかな?」とスイッチをいったん切ってから入れ直してみたが、うんともすんとも言わない。液晶に「電源を入れなおしてください」などと今まで見たこともないメッセージが浮かんできた。「何?これ・・」と電池を一たん外して入れ直してみた。だが、又同じメッセージが出るだけで何ともならない。「壊れちゃったみたいだなあ・・」と苦笑するしかなかったが、同じように酔っ払っていた妻も、私と同じように苦笑いを浮かべていた・・。
 だが、大事なカメラだ。直さなくてはいけない。だが、待てよ、1年間の保障期間はもう過ぎたんじゃないだろうか・・。確かこのカメラを買ったときのことを記事に書いたはずなので調べてみたら・・、ほぼ一年前の9月27日の記事になっているのが分かった。ううぅ、微妙な感じだなあ・・。
 しかし、直さなくちゃ色々困る。なんとか保証期間扱いしてくれるよう交渉してみようと、カメラを買った家電屋に持っていった。「動かなくなって・・・。」といつも相手をしてくれる店員さんに相談すると、「そうですか」と言いながらパソコンで伝票を調べ始めた。
「ちょっと過ぎてるなあ・・。でも、いいです、何とかやっておきます」と簡単に答えてくれた。
「ありがとうございます。それでどれくらい日数がかかるんですか?」
「10日から2週間みといてください」
「分かりました。お願いします」
 
 しかし、2週間もカメラなしでは困ってしまう。どうしようかな、と頭を巡らした末、以前使っていたPENTAXのカメラを使ってはどうだろう、と思いついた。修理には出してあるから、ひょっとしたら前よりも写りが良くなっているかもしれない。そう思って、1年前に修理から戻ってきたままの状態で放置してあったカメラの包みを開けてみた。確かピントが合わなくて、ボケボケの写真ばかりになっていたような・・。もし以前のままだったらとても使えないから、他の手段を考えるしかないが・・。試し撮りしてみた。

 

 コスモスを接写してみたが、これはきれいに撮れていると思う。Pnasonicが壊れる前に撮った次の写真と比べても遜色がないように思う。

 

 ならば、と意気込んでズームを使って撮ったのが下の写真だが・・。

 

 左の柿の実はまだ見れるが、右の鴨は何が写っているのかすぐには分からない。何だ、ちっとも良くなっていなかった・・。残念だけど仕方がない・・。
 さすがに2週間は長い。その間にきれいな写真が撮れなくても我慢するしかないよなぁ。
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