じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

山城通学圏の類型廃止

2010-08-26 01:33:26 | Weblog
★ 京都府立高等学校の山城通学圏で、Ⅰ類(いわゆる標準クラス)、Ⅱ類(いわゆる特進クラス)の廃止が正式に決定した。

★ Ⅰ類、Ⅱ類といった制度は1985年までさかのぼる。

★ 戦後、京都府は革新勢力の蜷川府政が続いていた。公立高校は高校三原則のもと小学区制が採用され、進学できる高校は小学校区ごとに割り振りされていた。つまり公立高校の自由な選択は不可能だった。

★ そもそも、小学区制によってどの高校もほぼ均一なレベルであったために、越境をする意味もなかった。

★ しかし、1970年代後半から難関国立大学などに進学しようとする優秀な生徒が私立高校に進路を変えてきた。

★ そうした中、京都の公立高校からいわゆる有名な大学に進学するには一浪(いちろう)が「ひとなみ」であるといった皮肉も囁かれるようになってきた。「高校は大学進学の予備校ではない」といったことが教員によって公然と語られていた時代である。大学入試に向けた指導などあるはずもなかった。こうして公立高校から「いい大学」に行けないことが社会問題化してきた。

★ 府政が革新から保守に転換する中、公立高校のあり方も再検討され、エリート校を作りたい府教委と小学区制を維持したい運動体(教員組合など)との妥協の産物がⅠ類、Ⅱ類といった類型であったように思う。

★ 学校間の序列化を生まないといった建前だった。Ⅰ類へは地元以外の小学区からでも受験できたが、その割合は30%以内(?)と限られ、スポーツや特別活動など大義名分が必要であった。実際はクラブに入らないのに「クラブに入る」として入学し、問題になったことも多い。

★ 府教委は莵道や南陽と言った新設校に優秀な教員を配置し、進学校化を目指した。そして着々と序列化が進んでいった。

★ しかし府教委の思惑通りに進んだとも言い難い。社会のニーズが変わってきたのだ。序列化はより上位の高校への進学を目指し競争が激化することによって進むが、生徒たちがⅡ類への進学、あるいは進学校への進学を敬遠するようになってきたのだ。

★ Ⅱ類の生徒がⅠ類の生徒より成績が低いと言った矛盾した状況が生まれてきた。

★ また、堀川、嵯峨野、西京と言った高校には専門学科が設置され、京都大学を目指すようないわゆるエリート達はそうした御三家を目指すようになってきた。

★ 山城通学圏はかつて北と南に分かれていたがそれが統合された。より広い通学圏となり学校の選択肢が増えた。学校の序列もほぼ決まった。昨今はⅠ類、Ⅱ類も「教育課程特認校」といった名目で実質形骸化していた。

★ こうした流れの中で、今回ようやく制度改革に踏み切るようになったようだ。制度を改変するにはどれだけの年月が必要か、それを物語るようなできごとだ。

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