じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

塾経営が危なくなるとき

2010-08-05 12:42:44 | Weblog
★ 牛丼チェーンは過酷な値下げ競争に突入した。デフレ時代、学習塾の授業料にもじわじわと影響が出始めている。

★ 買い控え、省支出時代。不況に強いと言われる教育産業もかじ取りを誤れば破綻だ。

★ 塾経営が危なくなった時の兆候を考えてみた。

★ 例えば、特別な理由がないのに月謝制から半年や1年間の前納制に変わるとき。資金繰りが苦しくなっているのかも知れない。

★ 授業料を意味もなく安くするとき。なりふり構わず生徒を集めようとしているのだろう。仮に一時的に生徒が集まっても態勢が整っていなければ、結局悪い評判だけがついてしまい、ますます経営が苦しくなる。

★ そもそも低料金が目当てで入ってくる生徒は、すぐに逃げてしまいがちだ。

★ スタッフの質が落ちたり、人数が減ってくれば末期症状だ。

★ こういう事態にならないように心がけたいものである。
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再び階級闘争の時代か

2010-08-05 10:39:55 | Weblog
★ 恐慌、インフレ、世界経済は難しい綱渡りをしている。

★ リーマンショック以降、ばらまかれたマネーは行き場を求めて、原油、金、円など市場をさまよっている。ハイパーインフレの懸念は常につきまとい、ギリシャなど財政破綻する国家は現実のものとなっている。

★ マネーは体を循環する血液によくたとえられるが、最近は人々の欲望の塊が人格化した妖怪のように思えてならない。少しでも有利な条件があるとそこに一気に押し寄せて、市場を混乱させている。

★ 「妖怪」と言えば、マルクスの「共産党宣言」を思い起こす。今や歴史的遺産になりつつある共産主義だが、改めて「宣言」を読みなおすとその先見性に驚きもする。

★ 時代は再び階級闘争の時代へと移り変わろうとしているのであろうか。
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長寿社会の裏側

2010-08-05 00:05:53 | Weblog
★ 映画「楢山節考」は親を捨てに行く映画だった。過酷な寒村での生活。70歳になった人は「お山」に行くことが運命づけられていた。

★ 人骨が散らばる異様な光景。親を山に捨てるなど今の時代では考えにくいが、そうせざるをえない社会状況だったのだ。捨てる者、捨てられる者、それぞれに苦しみがあり、辛さがあった。しかし、掟としてそれを受け入れていた。

★ 時代は変わり、社会は豊かになった。日本社会にいる限り、最低食うだけなら困らなくなった。

★ しかし、社会は豊かになったけれど、所在不明の高齢者がどうしてこんなに多いのだろうか。調査をするほどに、行方不明の高齢者が増えている。 

★ 今、なぜこの問題が急浮上してきたのだろうか。東京の事件がきっかけなのはわかるが、誰もこの問題に真剣に取り組もうとしなかったツケが回ってきたのだろう。

★ 行政もこの問題には積極的ではなかった。手間はかかるものの手柄にはならないからか。

★ 老いた親を捨てる社会を批判するはたやすいが、ならば今のこの時代をどう考えれば良いのだろうか。

★ 高齢化の津波が押し寄せようとしている。1人暮らしの年寄りが急速に増えようとしている。孤独死が増えようとしている。

★ 「長生きして良かった」「またこの世に生まれ変わりたい」と思える社会をどうすれば築けるのだろうか。 
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