じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

教員免許の「国家資格」化について

2011-10-21 10:38:10 | Weblog
★ 教員免許の「国家資格」化が検討されるという。

★ 現行、教員免許は大学で教職課程の単位をとれば都道府県から授与される。しかし教員免許は教壇に立つためのあくまで基礎資格で、公立学校の場合は都道府県が実施する採用試験に合格しなければ正式な教員にはなれない。

★ そのギャップが多くのペーパーティーチャーを生んでいる。

★ 教員免許はあくまで教職課程を修了したという証明に過ぎず、教員としての力量や資質を証明するものではない。もっと長期的な視点で言えば、教員は養成、採用、そして研修によって、力量や資質が高められていく。現場経験が教員を育てているとも言える。

★ 教員の「国家資格」化は、全国的に教員の水準を高めていこう、「教員の権威」にお墨付きを与えようとするものだろうが、弊害も多いように思う。

★ 先に述べたように、教員免許は教員としての入り口に過ぎない。その段階でふるいをかけることによって、多様な教員の確保が難しくなるのではないか。

★ ただでさえ閉鎖的だと言われる教員社会。教員の多様さこそが学校を活気づかせ、多様な一人ひとりの子どもたちに多様な対応ができる。悪く言えば国家によって規格化された教員に時事刻々と移り変わる教育課題が解決できるだろうか。

★ 国家試験と言えば医師などの専門職が例に出される。教職の専門職制の論議は半世紀以上に及んでいる。

★ 教員が教育の専門家であること(あるいはそうあって欲しいこと)には、多くの人が賛同するが、専門職となると意見が分かれる。教員一人ひとりが高い専門性に裏付けされて自己責任で教職活動を行い、また教員の職能団体が教員の質を高めあるいは教員の非行に対して自己浄化できる機能を持ちうるのだろうか。

★ 教員の多数が公立学校の公務員であるという現実がある。町の開業医とは勤務形態が違う。そもそも30万人足らずの医師と本務だけで130万人を超える教員では絶対数が異なる。

★ 多数のペーパーティーチャーが結果的に教員の水準を維持しているとも言える。

★ 都道府県の教員の偏在も露呈するのではないか。うがった見方をすれば教員の国家公務員化、人事の国家管理を目指すのだろうか。いや、公務員削減が叫ばれる中、それはないか。

★ 戦前、教員の勤務条件は良くなかったが、判任官、奏任官として、国家官吏というプライドと権威のもとに教職に従事した。その再来を目指すのだろうか。

★ 要は日本の教育が何を目指し、そのためにいかなる教育者や組織が求められるかだ。更に大きく言えば、これからの日本がどのような国づくりを目指すかと言うことだろう。

★ 議論が盛んになることを願いたいものだ。
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