じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

映画「西部戦線異状なし」

2018-09-22 15:30:06 | Weblog
☆ 映画「西部戦線異状なし」(1930年)を観た。1930年と言えば昭和5年。その時代にこんな映画が撮れるなんて、アメリカの豊かさを見せつけられる思いだ。

☆ 舞台は第一次世界大戦中のドイツ。学校では老教師が熱弁をふるい、それに感化された青年たちが志願して戦地に赴く。しかしそこは彼らが思い描いていたような世界ではなかった。塹壕の中で砲弾に怯える日々、戦場に出れば生か死かの隣り合わせ。空腹にストレス、心を病むのも無理はない。

☆ 束の間の平穏な時期、兵たちが語り合う場面が面白かった。「なぜ戦争が起こるのか」「なぜ自分たちは戦っているのか」。皇帝やら国王やら将軍やら、戦争で儲ける人々を丸裸にして棍棒を持たせ、広場の中のリングで戦わせれば良いではないかとのこと。全くその通りだ。

☆ 戦争を指導する人々は、前線から遠く離れた安全な場所で、豊かな食事で腹を満たし、他人事のように戦況を眺めている。

☆ 一人の兵士が休暇で故郷へ帰った時、彼の父親たちが地図を広げて机上戦を繰り広げていたが、そんなものだ。前線との温度差が如実に表現されていた。

☆ 砲撃を逃れて、窪地で敵兵と1対1になる名シーン。兵士の一人ひとりに家族があり、何のために戦っているのかも知らず、ただ「祖国のため」と鼓舞され、命令に従って突進、退却を繰り返すだけ。

☆ 愚かしいがそれが現実だ。

☆ ドイツ兵が英語を話していることに違和感はあるが、それはお約束ということか。
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川上未映子「乳と卵」

2018-09-22 10:43:55 | Weblog
☆ 川上未映子さんの「乳と卵」(文春文庫)を読んだ。大阪弁の話し言葉、とぎれることのない文体に最初は戸惑ったが、読み進めると独特のリズム感に親しめた。

☆ 東京に住む私のところに大阪から姉の巻子とその娘の緑子がやってくる。巻子は東京で豊胸手術をするという。緑子は思春期。この時期特有の反発からか、現在、巻子をはじめ誰とも口をきかない「禁止令」を自らに課している。

☆ 言葉では言い尽くせない気持ち。それがクライマックスで爆発する。卵まみれの格闘の風景、当事者は真剣なのだろうが、なぜかコミカルでもある。

☆ 「乳」「卵」に女性ならではの複雑な思いが込められているように感じた。

☆ ところで、独特な文体を読みながら、どこか日本の古典、例えば「枕草子」に通じるものがあるように感じた。古典にはそもそも句読点がないし、風景がたたみかけるように、それもリズミカルに綴られていく。それから方言。「枕草子」など学校で習うときは標準語で訳す(解釈する)が、京ことばあるいは宮中言葉で訳した方が風情があるのかも知れない。「春は明け方がようおすなぁ」って感じかな。

☆ 橋本治さんの「桃尻語訳 枕草子」(河出書房新社)を読んだときは、「こういう訳もあるのか」と感心したものだ。

☆ さて作品に戻って、「お母さん、お母さん、ほんまのことゆうてや」と卵まみれで、涙まみれ、鼻水まみれで嗚咽する娘、こちらも卵まみれで「ほんまのことってなにやのよ」と繰り返す母、結局「ほんまのこと」が何なのかはわからないけれど、母と娘の休戦協定にはなったようだ。
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