イエス・キリストは宗教上の反対者たちのパリサイ人たちやサドカイ人たちのわなを徹底的に論破したので、彼らはイエスに恐れを感じそれ以上は何も質問しませんでした。そこでイエスはご自分の方から、彼らが無知であることを質問し、暴かれます。その時の場面がマタイの福音書に次のように記されています。
「さて、パリサイ人たちが集まっている間に、イエスは彼らにこうお尋ねになった。「あなた方はキリストについてどう考えますか。彼(イエス・キリスト)はだれの子ですか」。彼らは、「ダビデの子です」と言った。イエスは彼らに言われた、「では、どうしてダビデは、霊感によって彼(イエス)を「主」と呼び、「エホバはわたし(ダビデ)の主に、「わたし(神エホバ)があなた(イエス)の敵たちをあなた(イエス)の足の下に置くまで、わたし(神エホバ)の右に座していなさい」と言われたと」と言っているのですか。それで、ダビデが彼(イエス)を「主」と呼んでいるのであれば、どうして彼(ダビデ)の子でしょうか」。すると、だれも、一言も彼(イエス)に答えられなかった。また、その日以降は、だれもあえてそれ以上彼(イエス)に質問しなかった」(マタイ22:41~46)。
イエスは、パリサイ人たちやサドカイ人たちに、「あなた方はキリストについてどう考えますか。彼(イエス・キリスト)はだれの子ですか」と、質問しました。すると彼らは、「ダビデの子です」と答えました。イエスは彼らに続けて上の聖句の通りに質問しています。その質問の時にみ言葉聖書の詩編110編1節を引用し、エホバの言葉から証しをされています。イエスはみ言葉聖書からご自身が誰であるかを証し、彼らに、「それで、ダビデが彼(イエス)を「主」と呼んでいるのであれば、どうして彼(ダビデ)の子でしょうか」と、明解に指摘し、彼らの無知を明らかにされました。
パリサイ人たちやサドカイ人たちは、イエス・キリスト、つまり神エホバによって油注がれた者が実際にはどんな人であるかを知らないので、黙っています。イエスに敵対する宗教上の反対者たちは、キリスト、つまりメシアを単なるダビデ王の人間の子孫と考えていたようですが、そうではなく、イエスは地上に遣わされる前から天に存在しておられ、ダビデ王より上位の方、すなわち「主」でした。イエスは独自の考えで説明をするのではなく、み父エホバの教えを用いました。ですから、イエス・キリストの教え・キリスト教はエホバの教えを学び、守り行うことです。イエスご自身がそのことを明らかにしておられます(ヨハネ12:50;14:10,31)。現在の真のクリスチャンたちはイエスの残された手本に見倣います(ペテロ第一2:21)。
台風の 雨に降られし 老農夫 今日の一句
お訪ねした家の鉢植えの「なでしこ」