愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

目立った言葉:「彼(イエス)はだれの子ですか」とパリサイ人たちに尋ねた。

2014-08-02 16:02:59 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは宗教上の反対者たちのパリサイ人たちやサドカイ人たちのわなを徹底的に論破したので、彼らはイエスに恐れを感じそれ以上は何も質問しませんでした。そこでイエスはご自分の方から、彼らが無知であることを質問し、暴かれます。その時の場面がマタイの福音書に次のように記されています。

 「さて、パリサイ人たちが集まっている間に、イエスは彼らにこうお尋ねになった。「あなた方はキリストについてどう考えますか。彼(イエス・キリスト)はだれの子ですか」。彼らは、「ダビデの子です」と言った。イエスは彼らに言われた、「では、どうしてダビデは、霊感によって彼(イエス)を「」と呼び、「エホバはわたし(ダビデ)の主に、「わたし(神エホバ)があなた(イエス)の敵たちをあなた(イエス)の足の下に置くまで、わたし(神エホバ)の右に座していなさい」と言われたと」と言っているのですか。それで、ダビデが彼(イエス)を「」と呼んでいるのであれば、どうして彼(ダビデ)の子でしょうか」。すると、だれも、一言も彼(イエス)に答えられなかった。また、その日以降は、だれもあえてそれ以上彼(イエス)に質問しなかった」(マタイ22:41~46)。

 イエスは、パリサイ人たちやサドカイ人たちに、「あなた方はキリストについてどう考えますか。彼(イエス・キリスト)はだれの子ですか」と、質問しました。すると彼らは、「ダビデの子です」と答えました。イエスは彼らに続けて上の聖句の通りに質問しています。その質問の時にみ言葉聖書の詩編110編1節を引用し、エホバの言葉から証しをされています。イエスはみ言葉聖書からご自身が誰であるかを証し、彼らに、「それで、ダビデが彼(イエス)をと呼んでいるのであれば、どうして彼(ダビデ)の子でしょうかと、明解に指摘し、彼らの無知を明らかにされました。

 パリサイ人たちやサドカイ人たちは、イエス・キリスト、つまり神エホバによって油注がれた者が実際にはどんな人であるかを知らないので、黙っています。イエスに敵対する宗教上の反対者たちは、キリスト、つまりメシアを単なるダビデ王の人間の子孫と考えていたようですが、そうではなく、イエスは地上に遣わされる前から天に存在しておられ、ダビデ王より上位の方、すなわちでした。イエスは独自の考えで説明をするのではなく、み父エホバの教えを用いました。ですから、イエス・キリストの教え・キリスト教はエホバの教えを学び、守り行うことです。イエスご自身がそのことを明らかにしておられます(ヨハネ12:50;14:10,31)。現在の真のクリスチャンたちはイエスの残された手本に見倣います(ペテロ第一2:21)。

          台風の 雨に降られし 老農夫 今日の一句

                お訪ねした家の鉢植えの「なでしこ」

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アイゼンカズラとシコンノボタン

2014-08-02 14:31:35 | 四季折々の花々

 道端に可愛いピンク系の花が咲いていましたので、お家の方に聞きましたら「アイゼンカズラ」と、教えて下さいました。かなり大きな花木で高さ2.5m位ありました。その花木に紹介のような可愛い花を咲かせていました。この花は私の手持ちの花図鑑には紹介されていませんでした。

 今日はアイゼンカズラとシコンノボタンを紹介致します。

              奉仕の道端に咲いていた「アイゼンカズラ」

          上のアイゼンカズラの傍に咲いていた「シコンノボタン」

 

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目立った言葉:「あなたは、心をこめ、魂をこめ、思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」

2014-08-02 02:15:05 | 神の言葉・聖書

イエス・キリストは復活などないというサドカイ人たちのわなに掛けようとする質問に対して、み言葉聖書から引用し、彼らの考えが間違っていることを明らかにしました。そのため群衆はイエスの教えに驚き入りました(マタイ22:23~33)。イエスがサドカイ人たちを沈黙させたのを聞いたのちパリサイ人たちは、一団となって、イエスを再び試そうとしてやってやって来て、律法の中の最大のおきてに関し質問します。その時の場面がマタイの福音書に次のように記されています。

 「パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人を沈黙させたことを聞いたのち、一団となってやって来た。そして、そのうちの一人で、律法に通じた者が、彼(イエス)を試して、こう尋ねた。「師よ、律法の中で最大のおきてはどれですか」。イエスは彼に言われた、「あなたは、心をこめ、魂をこめ、思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」。これが、最大で第一のおきてです。第二もそれと同様であって、こうです。「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」。律法全体はこの二つのおきてにかかっており、預言者たちもまたそうです」」(マタイ22:34~40)。

 イエスはパリサイ人たちのうちの一人で、律法に通じた者が、イエスを試して、律法の中の最大のおきてについて質問しました。イエスは彼らに申命記6章の5節を引用し、上記の聖句の通りに回答しました。

 上記の聖句の中の「魂をこめて」神エホバを愛する、とはどういう意味でしょうか。魂とは、命もしくは、身体的また知的な能力すべてを含む、人の全体を指しています。「魂をこめて」エホバを愛するとは、自分自身を神に差し出し、神エホバへの奉仕において、可能な限り自分の体力やエネルギーを用いる、ということを意味しています。そのようにイエスの教えを学び、守り行っている「思慮深い人」は幸いです(マタイ7:24,25)。

 一般の方々も、イエスが「隣人を愛するように」と教えられたことをご存じの方がいらっしゃいます。しかし、ほとんどの方は、イエスが律法の中の最大のおきての第一のものは、あなたは、心こめ、魂をこめ、思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」と、教えておられることをご存じありません。ですから、み言葉聖書を調べ、正しく理解し、適用することをエホバは望んでおられます(詩編1:1~3)。

          キュウリ切る まな板の音 軽やかや 今日の一句

                   玄関の鉢植えの「なでしこ」

 

 

          

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