デュランタの花木は、勢いがよく挿し木でぐんぐん育ちます。
庭に白のデュランタの花が咲き、緑の葉に映えとても爽やかです。
花期は7月~10月です。
用途は切り花、鉢植え、庭植えです。
花言葉は「独り善がり」と紹介されています。
今日は白のデュランタとピンクのバラを紹介致します。
庭に咲いている爽やかな「デュランタ」
暑さの盛りに咲いた庭の「バラ」
デュランタの花木は、勢いがよく挿し木でぐんぐん育ちます。
庭に白のデュランタの花が咲き、緑の葉に映えとても爽やかです。
花期は7月~10月です。
用途は切り花、鉢植え、庭植えです。
花言葉は「独り善がり」と紹介されています。
今日は白のデュランタとピンクのバラを紹介致します。
庭に咲いている爽やかな「デュランタ」
暑さの盛りに咲いた庭の「バラ」
聖書を学ばれたことのない方も、「伝道の書」という言葉をご存知の方も多いのではないでしょうか。私が「伝道の書」という言葉を知ったのは、高校生の時だったと記憶していますが、どのような内容が記されているかは、分かっていませんでした。聖書の「伝道の書」は「箴言」の次に収められています。「伝道の書」は西暦紀元前1000年にエルサレムで書き終えられています。日本の歴史を考えてくだされば、どれほど古い書か、ということが分かりますが、その内容は不変の真理の光を与えてくれています。「伝道の書」として聖書に治められている意味は、この書をお読み下されば、ご理解してくださるでしょう。「伝道の書」の筆者は、偉大な創造者エホバ神の霊感を受けて記したダビデ王の息子のソロモン王です。そのソロモン王は、自分のことを「王ダビデの子、招集者」と記しています。今日からは、しばらく「伝道の書」をシリーズで紹介致しますので、真理の言葉を親しんでくだされば嬉しく存じます。栄光栄華を極めたソロモン王が、冒頭から「何とむなしいことか!」と述べているのは、なぜか、人が求めるべきことは何が重要なことかをじっくり熟考してくだされば幸いです。
「エルサレムの王ダビデの子、招集者の言葉。「何とむなしいことか!」と招集者は言った、「何とむなしいことか!すべてはむなしい」。人が日の下で骨折って働くそのすべての骨折りに何の益があろう。代は去り、代は来る。しかし、地は定めのない時に至るまで立ちつづける。そして、日もまた輝き出、そして日は没した。それは自分の輝き出る場所へ、あえぎながら来るのである。
風は南に進み、循環して北に向かう。絶えず循環を繰り返しながら、風はその循環に帰ってゆく。
冬の奔流はみな海に出て行くが、それでも海に満ちることはない。冬の奔流はその出て行く場所へ、そこえ帰っては出て行くのである。そべての物事は疲れを生じさせる。だれもそれについて語ることができない。目は見ることに満ち足りず、耳も聞くことから満たされはしない。あるようになったもの、それがあるようになり、行われたもの、それが行なわれるようになる。したがって、日の下には新しいものは何もない。「これを見よ。それは新しい」と言えるものが存在するだろうか。それは定めのない時にわたってすでに存在しており、存在するようになったものは、わたしよりも前の時代からあったものである。先の時代の人々の記憶はない。後に起こる者たちについてもそうである。さらにその後に起こる者たちの中においても、彼の記憶はない。
招集者であるわたし(ソロモン)は、エルサレムでイスラエルを治める王であった。そして、天の下で今まで行われたすべての物事に関し、知恵を求めて探究しょうと心に定めた。ー 神(エホバ)が人間の子らに与えて携わらせた、災いの多い営みに関してである。わたしは日の下で行われるあらゆる業を見たが、見よ、すべてはむなしく、風を追うようなものであった。
曲がっているものは、まっすぐにすることはできない。欠けているものは、到底数えることができない。わたしは、わたし自ら心に語って言った、「見よ、わたしは、わたしより先にエルサレムにいただれよりも大いに知恵を増し加え、わたしの心は非常に多くの知恵と知識を見た」。
次いで、わたしは(人間の)知恵を知り、狂気を知ろうと心を向け、そして愚行を知ることになったが、これもまた風を追うようなものである。(人間の)知恵の満ちあふれるところには、いら立ちが満ちあふれる。したがって、(人間の考えに基づく)知識を増し加える者は痛みを増し加えるのである」(伝道の書1:1~18)。
「伝道の書」の結論が12章で記されますが、賢王ソロモンがエホバ神の霊感を受けた書は、読む私たちに光の道筋、真理が記されています。ソロモン王が冒頭に「何とむなしいことか!」と記した意味は次第に明らかにされてゆきます。
この伝道の書は、科学の発達していない時代の古い書物ですが、今日ではだれも学び知っている水の循環のシステムについて正しく記されています。その記述は、「冬の奔流はみな海に出て行くが、それでも海は満ちることがない。冬の奔流はその出て行く場所へ、そこへ帰っては出て行くのである」(伝道の書1:7)。こうした記述は、「伝道の書」が偉大な創造者エホバ神の霊感を受けた書である証しとなっています。
夏帽子 少し深めの 婦人かな 今日の一句
暑さの盛りに咲いた「庭のバラ」