愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

ヒノマルムクゲの花と淡いピンクのフヨウの花

2016-08-12 17:56:07 | 四季折々の花々

 近くの道端にヒノマルムクゲの花が咲いています。

 白い花びらが緑に調和して暑い盛りの日にも爽やかさを与えてくれます。

 花期は8月~9月です。

 用途は切り花、鉢植え、庭木です。

 花言葉は「強い精神力」と紹介されています。

 今日はヒノマルムクゲと淡いピンクのフヨウの花を紹介致します。

                 近くの道端に咲いている「ヒノマルムクゲ」

                   道端で爽やかさを見せる「フヨウの花」

 

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伝道の書の紹介(その9): 富と物質の所有物と人間の知恵に基づく賢さはむなしい

2016-08-12 17:46:07 | 神の言葉・聖書

 伝道の書は、まことの神エホバに健全な怖れを抱き、エホバ神から出る教えを学び、その教えを守り行わない限り永続する幸福な生き方は出来ないことを教えています(伝道の書12:13,14)。今日紹介する伝道の章の6章は、富と物質の所有物を得たとしてむなしいこと、それは、どんなに長生きしたとしても人間は、だれも「ただ一つの場所」、つまり人類共通の墓に行く、つまり死に至るからであることを教えています。さらに、人間の知恵に基づく「賢い者」は「愚鈍な者」に勝ることはなく、富と物質の所有物と同じように、むなしく風を追うようなものである、と記しています。人間は将来に生じる事柄も預言する能力もないことも明らかにしています。

 今日は伝道の書6章を紹介致しますので、熟読くださり、人間に永続する益をもたらすのは何かをお考えくだされば幸いです。次の通り伝道の書6章を紹介致します。

 「わたし(ソロモン王)が日の下で見た災いがあるが、それは人の間でしばしば起こることである。まことの神が富と物質の所有物と栄光をお与えになり、自分の魂(体)のために、欲しいと思うものに少しも不自由していない人(ソロモン)がいる。それにもかかわらず、まことの神は、ただの異国の者がそれを食べることがあっても、本人がそれから(永遠に)食べることを可能にされない。これはむなしいことであり、それは悪い病気なのである。

 たとえ人が百回父となり、長年生き、その年の日数が多くなったとしても、その魂が良いものに満ち足りておらず、墓さえもその人のものとなっていないのなら、わたしは言わなければならない、月足らずで生まれた者のほうが彼(長生きして死んだ人)よりもましである、と。彼はむなしく来て(長生きした人も生まれた時はなにも持たず誕生し)、闇のうちに去って行き、その名も闇に覆われる(人の名は忘れ去られる)。彼(死んだ人は)は太陽をさえ見ることはなく、知ることもなかった。先の者より、この者(生きている者)の方が休みを得る。仮に彼が千年の倍生きたとしても、良いことを見なかったのであれば、すべての者はただ一つの場所(人類共通の墓)に行くのではないか。

 人間の骨折りはすべてその口のため(食べ、また飲むため)であるが、自分の魂(命)でさえ満たされはしない。(神エホバから出ていない人間の知恵に基づく)賢い者には愚鈍な者に勝るどんな益があるのか。苦しむ者が生ける者たちの前でどのように歩むからといって、一体何を得るところがあろう。目で見ることは魂(体)の歩き回ることに勝る。これもまたむなしいことであり、風をおうようなものである。

 あるようになったものは何であれ、その名はすでに付けられており、人が(名を付けられたものが)何であるかを知るようになった。彼は自分より強力な者に対して自分の言い分を弁護することは出来ない。

 多くのむなしさをもたらしている事柄が沢山あるので、(エホバのご意志を守り行わない)人にどんな益があるというのか。むなしい命の日数の間、人の命にどんな良いことがあるかを、一体だれが知っているだろうか。人は影のようにその日々を過ごすのではないか。だれが日の下でその後に何が起こるかを人に告げることができようか」(伝道の書6:1~12)。

 上の伝道の書は、人に悲嘆をもたらすために記されているのではありません。人間は謙遜に自分の能力に限界があることを認め、まことの神エホバに健全な恐れを抱き、エホバ神から出る教えを守り行うことが永続する平安の道、義の道であることを教えているのです(エレミヤ10:23.伝道の書12:13,14.イザヤ48:17,18)。イエス・キリストは有名な山上の垂訓の始めに、神エホバから出る教えの必要を自覚している人たちは幸いです、と教え、締めくくりの話しの中でイエスは、み言葉を聞いて学び、守り行う「思慮深い人」として歩むように促されています(マタイ5:3;7:24,25)。聖書は、つまり「金銭に対する愛あらゆる有害な事柄の根」として教え、生活の中で優先順序を間違えないように教えています(テモテ第一6:10)。神エホバからの知恵や識別力を得る人は快い道、平安の道、命の道を歩むことができるのです(箴言3:13~18)。

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      道の駅 「暑いですね」と 交わす日々 今日の一句

              満開の「サルスベリの花」

 

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