真っ赤なカンナの花が近くの道端で比較的長く咲いています。
カンナの花は背丈が1~1.5m位になりますので目立つ花です。
花期は6月~10月です。
用途は切り花、花壇、鉢植えです。
花言葉は「美涙沙女」と紹介されています。
今日は真っ赤なカンナと越後の向日葵を紹介致します。
近くの道端に咲いている「カンナ」
新潟の写真家の提供の「向日葵」
- 向日葵の種の並びが描く模様はとても美しいです -
真っ赤なカンナの花が近くの道端で比較的長く咲いています。
カンナの花は背丈が1~1.5m位になりますので目立つ花です。
花期は6月~10月です。
用途は切り花、花壇、鉢植えです。
花言葉は「美涙沙女」と紹介されています。
今日は真っ赤なカンナと越後の向日葵を紹介致します。
近くの道端に咲いている「カンナ」
新潟の写真家の提供の「向日葵」
- 向日葵の種の並びが描く模様はとても美しいです -
昭和40年前半頃までは、「その人の名の評価は亡くなった時に決まる」と、いうことを両親や教師や諸先輩から聞く機会がありました。ですから、人はどのように他の人に貢献できたか、良いことを成し遂げて来たかによって評価されるので、人に喜ばれる利他的な生き方をするようにと励まされたものです。しかし、いつしかそのような利他的な生き方を教える声は極めて少なくなり、自己主張の強い利己的な生き方が蔓延する対処しにくい危機の時代であることを実感するようになっています(テモテ第二3:1~5)。
今日紹介する伝道の書7章の前半には、「名は良い油に、死ぬ日は生まれる日に勝る」と教え、歓びの宴に行くより「なげきの家」に行き、亡くなられた人の忍ぶ話しをし、励ましや慰めの言葉を話すように励まされています。さらに、伝道の書は「金が身の守り」と教え、私たちが生活に必要なものであることを教えています。しかし、お金よりも神エホバからの知恵が人を生きつづけさせることを教えています。人はまことの神エホバの業を見、神エホバの善良さに見倣って「自分が善良であることを示せ」、つまり利他的な生き方を求めるように諭しています。伝道の書7章前半には次のように記されています。
「名は良い油に、死ぬ日は生まれる日に勝る。嘆きの家に行くことは、宴会の家に行くことに勝る。それ(死)がすべての人の終わりだからである。いら立ちは笑いに勝る。顔の気難しさ(人の死に深い悲しみを表わすこと)によって心は良くなるからである。賢い者たちの心は嘆きの家にあるが、愚鈍な者たちの心は歓びの家にある。
賢い者の叱責を聞くことは、愚鈍な者たちの歌を聞く人たちとなることに勝る。愚鈍な者の笑いには、なべの下のいばらの(燃える)音のようだからである。これもまたむなしい。単なる虐げが賢い者に気違いじみた行動を取らせることがあり、贈り物が心を滅ぼすこともあり得るからである。
事の後の終わりはその初めに勝る。辛抱強い者は霊のごう慢な者に勝る。自分の霊にせき立てられて腹を立ててはならない。腹立ちは愚鈍な者たちの胸に宿るからである。
「先の日々のほうが今よりも良かったのはどうしてか」と言ってはならない。あなたがこれについて尋ねるのは、知恵によるものではないからである。
知恵が相続財産に伴うのは良いことであり、(神エホバからの知恵によって)日を見る者たちに益となる。金は身の守りであるように、知恵も身の守りだからである。しかし、知識の利点は、知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある。
まことの神(エホバ)の業を見よ。神(エホバ)の曲げたものをだれがまっすぐにすることができようか。良い日には、自分が善良であることを示せ。災いの日には、まことの神(エホバ)がこれおもあれと全く同じようにされることを見よ。それは、人間が自分たちの後のことを何も見いだせないようにするためである(伝道の書7:1~14)。
ご年配の方であれ、伝道の書が教えている通り、「死ぬ日は生まれる日に勝る」ということを十分にご存知であり、同感されるに違いありません。神エホバは義なる方ゆえに、聖なる者たちに仕え、神エホバのみ名に示した愛を忘れたりはされず、エホバ神から是認を受けるのです(ヘブライ6:10)。私たちは「愛する家族を亡くした人」に真の命の希望の励ましと慰めを与えることができる人として歩みたいものです。
私たちは「お金が身の守り」となることを理解し、勤勉に働き、その報酬によって命の糧を得ます。しかし、エホバからの知恵と識別力はお金に勝り、快い道、平安の道、命の道に至ることを忘れないようにし、優先順序を間違わないようにしたいものです(箴言3:13~18)。
夕焼けの 美しきこと 車止め 今日の一句
庭に咲いている爽やかな「デュランタ」