人間は、若さと強さのある時、また活力が十分にある時にそれらを思慮深く生かしたいと思うものです。私たちは活力が十分ある時に、ソロモンが霊感を受け、伝道の書を通して助言している言葉を心に銘記しておきたいものです。人生において何が最も重要な事かの結論を伝道の書12章に記されています。伝道の書はこのように勧めています。「あなたの若い成年の日にあなたの偉大な創造者(エホバ神)を覚えよ。災いの日々がやってくる前に、「自分はそれ(人生)に何の喜びもない」という年が到来する前に」(伝道の書12:1)。さらに、この事物の体制下では必ず生じる老化に伴う影響、つまり「災いの日々」を明らかにし、若い成年の日に偉大な創造者エホバ神を覚え、心の留めることによって、私たちを益するエホバ神の言葉が永続する平安と義の道を歩めるようになることを教えています(イザヤ48:17,18)。
伝道の書12章の前半には、次のように記されています。
「それで、あなたの若い成年の日にあなたの偉大な創造者を覚えよ。災いの日々がやってくる前に、「自分はそれ(人生)に何の喜びもない」という年が到来する前に」。太陽と光と月と星が暗くなり、雲が帰って来て、その後に豪雨が降りだす前に。その日には、家(人体)を守る者たちは震え、活力のある男たちはかがみ、粉をひく女たちは自分のものが少なくなったので働くことをやめ、窓で見ている婦人たちは暗くなったことに気づいた。ちまたへの扉は閉ざされ、そのときには、ひき臼の音が低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌の娘たちすべても低い音に聞こえる。さらに、彼ら(老人)はただ高いものを怖がり、その道には恐ろしいものがある。そしてアーモンドの木は花を咲かせ、ばったは身を引きずって歩き、ふうちょうぼくの実ははじける。それは、人が自分の永続する家(墓場)へと歩いており、泣き叫ぶ者たちがちまたを歩き回ったからである。銀の綱が取り除かれ、黄金の鉢が砕かれ、泉の傍らのかめが壊され、水溜めの水車が砕かれてしまう前に。その時、塵はそうであったように地に帰り、霊(命)もこれをお与えなったまことの神(エホバ)のもとに帰る」(伝道の書12:1~7)。
伝道の書12章の前半は、上記に示しました通り、私たちが、「若い成年の日に」なぜ「偉大な創造者エホバ神を覚えなければならないか」の理由を示しています。偉大な創造者エホバ神について学ばないなら、老化に伴って「自分は人生に何の喜びもない」という年、つまり「災いの日々が来る」ことを教えています。
伝道の書12章の前半は老化の影響の種々の困難を挙げて説明しています。「家(人体)を守る者たち」とは、腕と手です。腕と手は体を守り、体の必要とするものを供給しますが、老化に伴って腕や手は弱り、神経が侵され、手が震える場合も少なくありません。「活力のある男たち」とは、脚のことです。老化すると脚力は弱くなり、体を支えることが不自由になり、すり足になってしまいます。「粉をひく女たち」とは、歯のことです。年を取ると歯が抜けたりしてわずかしか残らない場合があります。昔は入れ歯がなかったので、固い食べ物をかみ砕くことは難しかったのです。「窓で見ている婦人たち」とは、目および物を見るための機能は、老化に伴って衰えることを示しています。
「ちまたへの扉は閉ざされ、」とは、唇はもはや十分に開かないことを意味し、神エホバに仕えていない高齢者は、自分の体の中にあるものを十分に人々に送り出せなくなる状態を説明しています。福音宣明者は高齢になっても、最善を尽くし神の王国の良いたよりを宣明し、エホバを賛美しています(ヨブ41:14.詩編113:1.マタイ24:14)。「ひき臼の音が低くなる」のは、歯の抜けた状態で食べ物を噛むからです。老人は熟睡もできなくなる場合があります。早朝の小鳥のさえずりで目が覚めてしまうこともあります。歌も弱弱しくなり、その「歌の娘たち」つまり旋律も「低い音に聞こえ」ます。しかし、高齢のエホバの証人のクリスチャンたちは、若者と共に賛美の歌に和して歌うことができます。さらに高齢になると「高いところが怖く」なり、歩くことも困難になります。
「アーモンドの木は花を咲かせる」とは、髪の白髪が増え、ついには真っ白になり、白髪はアーモンドの白い花のように抜け落ちることを説明しています。老人は「ばった」に例えられています。年老いて腰が曲がり、手を腰に当て、ひじが後ろに突き出た姿がばったににている状態を指しています。
「ふうちょうぼくの実がはじける」とは、どんな意味でしょうか。ふうちょうぼくは、美味しい食べ物ですが、高齢化すると食欲が減退します。老化し食欲が減退すると、ふちょうぼくの実をもってしても、かっての食欲を呼び戻すことは出来ないことを暗示しています。こうした老化に伴う種々の影響は「永続する家」、つまり墓に近づいていることを、教え、意味しています。
「銀の綱」は脊髄を、「黄金の鉢」は貴重な脳を、「泉の傍らのかめ」は心臓を、「水溜の水車が砕かれる」とは、命を支える血液の循環の停止を、それぞれ、説明しています。ここに挙げたどれかの人体の機能が停止すると人は死に至ります。こうした貴重な脳や血液の循環機能が停止する前の、活力ある成年の日に偉大な創造者エホバ神について学び、その教えを適用するように諭されています。そうしないなら、高齢になって、身体が不自由になった時、「人生に何の楽しみもない」と言って、保証された希望のない「災いの日々」となることを教えています。若い成年の日に偉大な創造者エホバ神について覚えられた方々は幸いです。
西日照り 東は豪雨 異変なり 今日の一句
庭に咲いている「ムクゲ」