ソロモン王は、賢王として知られ、栄光栄華を極めた王として知られています。そのソロモン王はエホバ神のご意志を行なう時に祝福を得、エホバのご意志を守り行わない時に失敗した王としても知られています。今日紹介する伝道の書2章の前半には、浮かれ騒ぎは真の幸福をもたらすことないこと、ソロモン王は大きな仕事を経験し栄光栄華を極めましたが、そうした物質中心に築き上げた人生、手の業の富みは「すべてむなしく、風を追うようなもの」と述べています(伝道の書2:11)。さらにエホバ神からの知恵は多くの益をもたらすことを記しています。以下の通り伝道の書2章の前半を紹介致しますので、熟考してくだされば幸いです。
「わたしは、わたし自らの心の中で言った、「さあ、来なさい。(一次的な)歓びもってお前を試そう。また、良いことを見よ」と、だが、見よ、それもまたむなしいことであった。わたしは笑いに向かって、「狂気だ!」、歓びに向かって、「これは何をしているのか」と言った。
わたしはぶどう酒で自分の肉対を元気づけることにより、心を用いて研究した。そうしながらも、わたしは(エホバ神からの)知恵によって自分の心を導くのであった。それは、人間の子らがその命の日数の間に天の下で行うことに、彼らにとってどれほどの良いことがあるかを見ることができるようになるまで、わたしが愚行をとらえて置くためであった。わたし(ソロモン)はより大きな仕事に携わった。自分のために家々を建て、自分のためにぶどう園を設けた。自分のために園や庭園を造り、その中にあらゆる種類の果樹を植えた。自分のために水の溜まる池を作った。それによって、樹木の生え出る森林に水を注ぐためであった。わたしは下男やはしためを得、家の者の子らを持つようになった。また、畜類、すなわち非常に多くの牛や羊を持つようになった。わたしより先にエルサレムにいた者すべてに勝ってである。わたしはまた、自分のために銀や金を、そして王たちと管轄地域に属する特殊な財産をためた。わたしは自分のために男の歌うたいや女の歌うたいたち、また人間の子らの無上の喜び、つまり淑女、淑女たちおも設けた。そしてわたしは、私より先にエルサレムにいただれよりも大いなる者となり、増し加わった。しかも、わたしの知恵はわたしのものとしてとどまったのである。
そして、わたしは自分の目が願い求めるものは何物おもそれから遠ざけなかった。わたしは自分の心からどんな歓びおも差し控えなかった。わたしの心は、わたしのすべての骨折りのゆえに喜びに満たされたからである。これはわたしのすべての骨折りによるわたしの分となった。そしてわたし自身、自分の手の行ったすべての業と、成し遂げようとして自ら骨折って働いたその骨折りを振り返って見たが、見よ、すべてはむなしく、風を追うようなものであり、日の下には益となるものは何もなかった。
そしてわたしは、わたし自ら知恵と狂気と愚行とを見ようとして振り向いた。というのは、王の後に入って来る地の人に何が出来ようか。人々が既に行なったことだけではないか。そしてわたしは、わたし自ら愚行よりも(エホバからの)知恵に多くの益があるのを見た。それは闇よりも光に多くの益があるのと同じである」(伝道の書2:1~13)。
伝道の書の2章の前半、冒頭に記した三つの要点が記されています。イエス・キリストは有名な山上の垂訓の中で、神エホバから出る教え・霊的必要を自覚している人たちは幸いです、神の王国と神の義をいつも第一に求めなさい、と教えられたことに思いを巡らし、引き続き伝道の書から益を得られる方は、幸いです(マタイ5:3;6:33)。
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