神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、背信の者も癒し、導き、慰めることを明らかにされました(イザヤ57:17,18)。
続いて神エホバは、悔い改めた者たちの将来と、背信の邪悪な歩みを止めようとしない者たちの種将来を対比し、イザヤを通し、次のように断言されました。
「「私(エホバ)は唇の実を創造している。遠くにいる人にも近くにいる人にも絶え間ない平和が与えられ、私(エホバ)は彼(背信の邪悪な者)を癒す」と、エホバは言う。「しかし、邪悪な者たちは静まることができない荒海のようであり、その水は海藻や泥を打ち上げ続ける。邪悪な者たちに平和はない」と、私(イザヤ)の神(エホバ)は言う」(イザヤ57:19~21)。
上の聖句の「唇の実」とは、神エホバに捧げられる賛美、つまりみ名エホバの公の宣明のことです(ヘブライ13:15)。神エホバは、その公の宣明をどのように「創造している」のでしょうか。神エホバを賛美するには、人はまず神エホバについて聖書から学び、次いで、神エホバに信仰を持たなければなりません。神エホバの聖なる力の働きである信仰は、学んだ事柄を他の人に語るよう、その人を動かします。言い換えるとその人は公の宣言を行うのです(ローマ10:13~15.ガラテア5:22)。ご自分の民を解放し、その民が、そうした神エホバへの賛美を捧げられるようになさったのは、神エホバです(ペテロ第一2:9)。だからこそ、神エホバがこの「唇の実」を創造なさると言えるのです。
当時のイスラエル人は、神エホバへの賛美を歌いながら、故国に帰還する時、まさに感動的な唇の実を捧げることになるのです。「遠くにいる人」 - いまだ帰還を待ちつつ、イスラエルから遠く離れた地に - いようと、「近くにいる人」 - すでに故国に - いようと、神エホバの平和を知って喜びに満たされるのです。全く対照的に、背信の邪悪な者たちの状況は、それとは大きく異なっています。神エホバの懲らしめにこたえ応じない者全てには、誰であろうと、どこにいようと、邪悪な者には平和がありません。ざわめく海のように常に動揺し、「海藻や泥」を、つまりあらゆる汚れたものを絶えず生み出すのです。
今日、神エホバの僕たちは、世界の240の国や地域で神の王国の良い便りを宣明しています(マタイ24:14)。遠くや近くのエホバの証人のクリスチャンたちは、「唇の実」を捧げ、唯一まことの神エホバのみ名を公に賛美しているのです。その賛美の歌声は「地の果てから」聞こえるのです(イザヤ42:10~12)。
次回からはイザヤ58章を順次紹介致します。
糸トンボ 静かに休む 午後の庭 今日の一句
雨上がりの庭で休む「糸トンボ」