神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通し、ご自分の民にご自身が望むのは、人々への不当な束縛を解き、虐げられている人を解放することを明らかにされました(いざや58:6)。神エホバは、公正を行い、親切を愛し、慎みを持って神エホバと共に歩むことを望まれているのです(ミカ6:8)。
神エホバが模範を示されている、公正、親切、慎みは、他の人に良いことを行うように人を動かします。それが、神エホバの教えの真髄です(マタイ7:12)。当時のイスラエル人は形式的な断食をするよりも、自分たちが豊かに持つ物を困窮した人々に分かつ方がはるかに勝っているのです。神エホバは、イザヤを通して次のように問いかけられました。
「また、空腹の人にパンを分け与え、貧しくて家のない人たちを自分の家に招き入れ、裸の人を見たなら服を着せ、肉親に背を向けない事である」(イザヤ58:7)。
上の聖句に示されている通り、自分の資力が許すなら、形式的な断食を行うよりも、むしろ仲間である困窮しているイスラエル人に、つまり自分の肉親に衣食住を与えるのが、神エホバのご意志なのです。
兄弟愛に関する、また神エホバが示される優しい同情心に関するこうした優れた教えの原則は、イザヤの時代のイスラエル人だけに適用されるのではありません。現在の人々、特にクリスチャンに取っても導きとなります。それで、使途パウロは次のように書いています。「ですから、機会がある限り、全ての人に、特に同じ信仰を持つ兄弟姉妹に,善いことを行いましょう」(ガラテア6:10)。クリスチャン会衆は、愛と兄弟の愛情の満ちる平安な場所でなければなりません。特に、今の時代は対処しにくい危機の時代であるゆえに、一層そういうことが出来ます(テモテ第二3:1.ヤコブ1:27)。
麦笛の 習慣消えし 日は巡る 今日の一句
庭に咲いている「アジサイ」