神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、ご自分の民の形式的な断食・不敬虔な行為を厳しく叱責されました(イザヤ58:3~5)。当然のことですが、神エホバは偽善を憎まれます。
神エホバがご自分の民に望まれるのは、単に罪に関して断食することではなく、真の悔い改めです。そうすれば、神エホバの民はみ父エホバの恵みを得ることが出来ます(エゼキエル18:23、32)。神エホバは、断食が意味あるものとなるためには、過去の罪を正すことが伴わなければならない、と説明しておられます。人間の心の中が分る神エホバのイザヤを通した次の問いかけに注目してください。
「いや、私(エホバ)が望む断食はこうである。不当な束縛を解き、てんびん棒の縄をほどき、虐げられている人を解放し、全てのてんびん棒を折ること」(イザヤ58:6)。
上の聖句のてんびん棒の縄は、苛酷な束縛の適切な象徴表現です。ですから、神エホバの民は、形式的な断食をし、仲間の民を抑圧するのではなく、「仲間を自分自身のように愛さなければならない」という神エホバの命令に従わなければなりません(レビ記19:18)。自分たちが抑圧し、不当に奴隷にしている人々をすべて解放しなければなりません。形式上の断食などは、純粋の敬虔な専心や、兄弟愛を実証する行為の代わりにはなりません。イザヤと同時代の預言者ミカは、このように書いています。「エホバがあなたに求めていることは何か。ただ公正を守り、揺るぎない愛を抱き、慎みを持って神(エホバ)と共に歩むことである」(ミカ6:8)。この言葉を読むとあなたもお父さんエホバに近づき、その教えを守り行ない、神エホバと共に歩みたいと思われるのではないでしょうか。
神エホバはイザヤを通して、引き続き何と呼び掛けられるでしょうか。引き続き次回にお伝え致します。
枇杷実り 袋掛けなし 時代かな 今日の一句
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鉢植えの「ニチニチソウ」