夏の風物詩こいわしが解禁になったようです。昭和40年まで広島には「鷹匠町」という町名がありました。江戸時代に鷹匠が住んでいた町です。鷹狩りのない日は鷹のえさに小鰯を与えていたといいます。
だから行商の人は「なんまんえ」(生餌という意味)と売って歩いていたといいます。
本通りのわきでは今でも小鰯の刺身を売っている荷車を見ることができます。アンデルセンの横辺り見てください。でも今では一人か二人しか見ることが出来なくなりました。そのうち消えてしまう広島の原風景です。
小鰯をさばく道具は、竹を薄く削りくるっと輪にしたもので作っていましたが、先日出かけた時に見かけた行商のおばぁさんは、かたい荷づくり用のビニールひもを輪にしてさばいていました。これも近代化?
ついでに、ちりめんじゃこも解禁になりました。以前も書きましたがちりめんじゃこは一日3回網を入れるそうです。朝一番の網の品が一番いいそうです。夜のうちにえさのプランクトンを全部消化して、おなかが空の状態のものが雑味がなくていいそうです。安いのは二番網・3番網のもので小さなちりめんの腹の部分を見てください。ピンク色をしたり黒くなっています。えさのプランクトンの色が見えます。
こちらのほうがおいしいと好む人もおられるからいいのです。
ちなみに、昔の鷹匠町は現在は本川町一丁目から三丁目・十日市町1丁目2丁目あたりです。

梅が膨らみました、今年は不作です。

かたらの葉が雨に

スイカズラ?ですがこの花を抜いて蜜を吸っていましたね。
だから行商の人は「なんまんえ」(生餌という意味)と売って歩いていたといいます。
本通りのわきでは今でも小鰯の刺身を売っている荷車を見ることができます。アンデルセンの横辺り見てください。でも今では一人か二人しか見ることが出来なくなりました。そのうち消えてしまう広島の原風景です。
小鰯をさばく道具は、竹を薄く削りくるっと輪にしたもので作っていましたが、先日出かけた時に見かけた行商のおばぁさんは、かたい荷づくり用のビニールひもを輪にしてさばいていました。これも近代化?
ついでに、ちりめんじゃこも解禁になりました。以前も書きましたがちりめんじゃこは一日3回網を入れるそうです。朝一番の網の品が一番いいそうです。夜のうちにえさのプランクトンを全部消化して、おなかが空の状態のものが雑味がなくていいそうです。安いのは二番網・3番網のもので小さなちりめんの腹の部分を見てください。ピンク色をしたり黒くなっています。えさのプランクトンの色が見えます。
こちらのほうがおいしいと好む人もおられるからいいのです。
ちなみに、昔の鷹匠町は現在は本川町一丁目から三丁目・十日市町1丁目2丁目あたりです。

梅が膨らみました、今年は不作です。

かたらの葉が雨に

スイカズラ?ですがこの花を抜いて蜜を吸っていましたね。