日常の瑣末のことがらにまで仏教的な悟りに似た境地にある一般人「妙好人」と言われる人がいます。
- 赤尾の道宗(?-1516年)
- 因幡の源左(足利喜三郎、1842年-1930年)
- 石見の才市(浅原才市、1851年-1932年)
- 有福の善太郎(1782年-1856年)
- 讃岐の庄松(1799年-1871年)
- 六連島のお軽(1801年-1857年)
などが有名ですが「妙好人」と言う言葉を初めて使ったのは我が邑南町市木の「浄泉寺」の祖先だそうです。上にあげた人のうち、因幡の源左・石見の才市・有福の善太郎は名前は知っています。特に石見の才市は温泉津温泉で大工をしていた人で自分の絵を描いてもらったとき違うと言って角を描かせたそうです。「自分は角がある悪人」だと言うのです。 大工さんだったようですがそのかんなくずに書いた文字が、すべて仏の道だったそうです。石見の善太郎もものすごく悪い人で地元のハネものの人でしたが本当は仏の道を極めた人だそうです。
明日までいい天気の予報やること一杯・目一杯働きました。今夜は焼酎が最高明日はやり残した仕事・・・・これで当分は解放です。でも・・・天才君からは解放の許可はありません。
この前 恐羅漢の前で見た簡易ピザ窯・これなら私の家でも出来ます。