野仏
田舎と各務原の家とを行ったり来たりする
その中間地点あたりに関市があります。
関市には、野に捨てられたようなお墓があったり
小さな名もない古墳墓のような丘があったり
お墓も卒塔婆だったり、会社の横の空き地に
管理もされず、夏草に覆われて蚊の住処と
なり果てているものも多々あります。
蒸し暑いけれども久しぶりに青空が広がって
夏雲の賑やかさが少し寂しい場所でした。
m
田舎と各務原の家とを行ったり来たりする
その中間地点あたりに関市があります。
関市には、野に捨てられたようなお墓があったり
小さな名もない古墳墓のような丘があったり
お墓も卒塔婆だったり、会社の横の空き地に
管理もされず、夏草に覆われて蚊の住処と
なり果てているものも多々あります。
蒸し暑いけれども久しぶりに青空が広がって
夏雲の賑やかさが少し寂しい場所でした。
m
出湯温泉の木造3階立ての3階の部屋には、
さすがにお客さんを泊めてはいませんでした。
細い階段が伸びていて、上がってみると
古びた大広間と擬宝珠型の大きな明り取り・・
明かりに照らし出された畳はどこか湿気臭く・・
多分通じていないと思われる電話機も懐かしい形・・
廊下に漏れた一筋の光が静かでした。
m
10日夜は中秋の名月。夕方激しい雨だったので、月は見れないと
思っていたが、10時頃に外に出てみると、雲間からの月が見えた。
皆さん望遠レンズでくっきりと月の姿を捉えたり、岐阜城とコラボさせたりと
頑張って撮られたようだが、我が家は咲き始めのシュウメイギクと組み合わせて
みた。玄関先の「名月」です。
Y
酒田・新潟方面にいた時、晴れてはいましたが
やはり台風の影響か、湿気の多い雲が出ていました。
上は、新潟出湯温泉へ行く途中でみた入道雲、
下は、土門拳記念館の窓辺から見えた雲です。
晴れてはいても、秋晴れとはいきません。
またまた台風12号も発生したようで・・こちらでは、
朝は雨、昼頃から雨が上がって蒸し暑い日になりました。
m
酒田から戻る途中の一泊。
酒田は遠すぎて、早朝田舎を出でて車をひた走らせれば夕方には酒田に着くのだが、
酒田を出たのが2時過ぎでは、さすがに戻れない。と言うことで新潟にもう一泊。
泊まったのは新発田市の外れの出湯温泉。昔ながらの湯治場の雰囲気が色濃く残る
所で,泊ったのも昭和6年に建てられたという木造3階建ての古色溢れる宿。
当時の大工の棟梁たちの意匠を凝らした造作は見事だったが、何せ年季が入り過ぎて
台風の影響か風によって一晩中窓がガタガタ音を立てていて、眠りは浅かった。
Y
築昭和6 年の木造3階建の老舗旅館にもう1泊しました。
酒田滞在中はお天気が良くて、台風11号の影響は感じられませんでしたが
新潟では、フェーン現象のせいか生暖かい風があって
旅館の古い建付けの悪い戸が一晩中ガタガタしてました。
高揚した気分も重なって眠りが浅く・・翌日のYの車の運転が心配でしたが
なんとか無事に帰ってきました。
写真は旅館近くのお寺に鎮座していたちょっと変わったお顔の地蔵と
夕暮れの温泉街の通りです。
m
mが書いているように、新潟北部を襲った8月初旬の豪雨は
大変な被害をもたらしていた。つい最近岸田総理も視察に訪れたという
ニュースを見たが、あちこちに地滑りの跡が残り、荒川が氾濫して
JR米沢線に沿った国道は復旧工事の真っ最中。長い距離が一方通行で
通り抜けるのに時間を要した。米沢線は線路がえぐられトンネルが土砂で
塞がれ、復旧の見通しがないそうだ。
泊まった宿の辺りは幸い水害の影響を受けなかったそうだが、昔は賑わったであろう
旅館街は本当に寂れていた。日本人の観光のスタイルが様変わりして、団体旅行や
歓楽の要素が失われたことが大きいようだ。
Y
酒田市土門拳文化賞の表彰式・交流会・文化フォーラムへ
行ってきました。土門拳と江成常夫の両写真家が見つめた
ヒロシマ・ナガサキ・・「2つのまなざし」展が2会場に分けて
展示され、また、江成先生他の講演会・対談なども盛り沢山あって
写真に対する沢山のエネルギーをもらってきました。
私たちは時間の関係から講演に間に合うように前日新潟で一泊しました。
関川あたりは大雨による大変な災害で、土石流の跡があちこちで見られました。
温泉地はなんとか無事だったのですが・・もっと別の問題がありました。
温泉街自体が寂れて、廃業したホテル前はゴミの山でした。
写真はその温泉街で撮ったものです。それでも夕方、薄い虹がかかり、
希望が見えました。復興と繁栄を心より願っています。
m