植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇冬の兼六園橋巡り2022 ②(No.2063)

2022-02-05 07:58:48 | 金沢・石川の観光


◇冬の兼六園橋巡り2022 ②(No.2063)

兼六園の曲水は、犀川上流約10Kmの辰巳用水を経て園内延長574mで、4つの池や島、大小あわせて36個のさまざまな橋がある。
今回は曲水上流の山﨑山下土橋から虹橋の千歳台の9橋を巡ります。

6)雁行橋(がんこうばし)

七福神山から少し下流の曲水に架かる、11枚の赤戸室石をつなげた切石橋で、夕空に雁が列をなして飛んでいるように見えることから、この名が付いた。また一枚一枚の石の形が亀の甲羅の形になっていることから、亀甲橋とも呼ばれている。万年を生きる亀にちなんで、この橋を渡れば長生きができると言い伝えられていたが、摩滅が激しいことから現在は通行止めとなっている。渡れないのは残念だが、見るだけでも十分に美しい橋だ。「かりがねばし」と呼ぶ人もいる。



7)旭橋(あさひばし・代替橋)

アサヒザクラ(旭桜)のそばにある木製橋。



8)虹橋(にじばし)

霞ヶ池の北岸、徽軫灯籠の手前に架かる、長さ4m99cm、幅1m10cm、厚さ30cmの一枚橋。園内の切石橋の中で6mの黄門橋に次いで2番目に長い。赤戸室石の反橋で、琴の形のように緩やかな曲線を描いていることから、琴橋ともいう。橋のすぐ上流に落ちている小さな滝は琴の糸を表しているともいわれ、この辺りは琴にちなんで形づくられたと推測される。徽軫灯籠と虹橋を中心とした眺めは兼六園を代表する景観で、記念撮影の定番スポットとなっている。





9)月見橋(つきみばし)

曲水が霞ヶ池に流れ落ちる少し手前にかかる土橋。別名、玩月橋。東方の遠く連なる山並からのぼる満月を眺めるのに最適な場所ということから、この名となった。たもとには月見灯籠も立つ。曲水に架かる花見橋、雪見橋と合わせて三橋という。





ユーチューブ「冬の兼六園橋巡り2022」



◇冬の兼六園橋巡り2022 ①(No.2062)

2022-02-01 07:46:36 | 金沢・石川の観光



◇冬の兼六園橋巡り2022 ①(No.2062)

兼六園の曲水は、犀川上流約10Kmの辰巳用水を経て園内延長574mで、4つの池や島、大小あわせて36個のさまざまな橋がある。
今回は曲水上流の山﨑山下土橋から虹橋の千歳台の9橋を巡ります。

1)山﨑山下土橋(やまさきやまどばし)

山﨑山下の登り口そばにある土橋



2)花見橋(はなみばし)

小立野口から真っ直ぐ入ってきたところにある、曲水にかかる橋。別名、勅使橋、観花橋。欄干の柱の頭に擬宝珠をかぶせた木製の反橋だ。4月は桜花、5月は曲水のカキツバタやツツジの眺めがいいところから、この名が付いた。とりわけ花見橋下流に群生する1万株4万本のカキツバタは圧巻。曲水に架かる月見橋、雪見橋と
合わせて三橋という。なお、現在の橋は平成元年(1989)に架け替えられたものである。



3)板橋

花見橋と千歳橋の間の梅林側にある船底板製の橋。別名違い橋。





4)千歳橋(ちとせばし)

明治紀念之標の広場から霞ヶ池に行く途中にかかる石橋。たもとには兼六園菊桜や兼六園熊谷桜、千歳松などの名木がある。千歳台の名称は、この橋名から付けられた。





5)雪見橋(ゆきみばし)

七福神山の正面の曲水に架かる反橋で、巨大な青戸室石を二つ合わせて敷いた石橋。長さ4m80cm、幅2m30cm、厚さ約3cm。台石の御影石の白色と青戸室石の青のコントラストが特徴だ。園内の切石橋の中で、黄門橋、虹橋に次いで3番目の長さである。別名雪橋、望雪橋。曲水に架かる花見橋、月見橋と合わせて三橋とい
う。現在は、通行不可。





ユーチューブ「冬の兼六園橋巡り2022」


◇冬の長町武家屋敷跡2022 ②

2022-01-14 08:50:07 | 金沢・石川の観光


◇冬の長町武家屋敷跡2022 ②(No.2061)

○大屋家住宅
藩政時代の直臣平士級の武家屋敷の遺構です。門を構え、敷地周辺に土塀を巡らし、広い庭があります。建物は、内部や建具も含めて当時の状態をよく残している。正面に高く広い妻面のあるアズマダチの屋根は、元々は板葺き石置き屋根でしたが明治時代に瓦屋根に葺き替えられました。屋根裏には、板葺き石置き屋根だった頃の低い小屋組みが現在も残っています。武家屋敷を構成した主な要素を全て残している貴重な遺構です。平成15年4月21日に金沢市保存建造物(日本建築)に指定され、国の登録有形文化財。

(写真)大屋家住宅



○新屋家長屋門
長町武家屋敷跡に残る金沢を代表する長屋門。屋敷は離れを残して今はありませんが、藩政期には桑島氏が居住してた。長屋門は、赤戸室でやや反りをもった亀甲積みの基礎の上に、壁は太い押縁の付いた下見板部と軒下の白漆喰の小壁とが好対照をなしている。屋根は、現在瓦葺きだが、昭和3年(1928)までは板葺き石置きだった。

(写真)新屋家長屋門









○野村家
1583年(天正11年)金沢城に入場した藩祖前田利家の直臣として従ったのが野村伝兵衛信貞。明治3年の廃藩まで12代に渡って1000坪の屋敷を拝領した野村家(1200石)の屋敷跡。樹齢400年以上といわれる山桃の木や、曲水・落水・名石を配した庭園は見応えがある。残念ながら屋敷は取り壊されて、北前船の商人の豪邸の一部を移築したもの。2009年ミシュランの二つ星に指定された。



(写真)野村家


ユーチューブ「2022冬の長町武家屋敷跡」


◇冬の長町武家屋敷跡2022 ①

2022-01-10 08:33:11 | 金沢・石川の観光


◇冬の長町武家屋敷跡2022 ①(No.2060)

〇長町の由来
長町は前田八家の一つ長氏の屋敷があったこと、鞍月用水と大野庄用水に囲まれた長い町ことなどから名付けられたといわれている。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんが、その中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。



〇薦掛け
薦掛けは、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の氷結による損傷や、付着した積雪による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで設置され、雪吊りとともに”金沢の冬の風物詩”となっている。毎年12月の第1週の週末に合わせて薦がけが行われている。この薦掛けは昭和61年(1986)年から実施している。















ユーチューブ「2022冬の長町武家屋敷跡」

冬の鼠多聞2021

2021-12-06 08:07:55 | 金沢・石川の観光


◇冬の鼠多聞2021(No.2059)

鼠多門は、金沢城の西側の廓である玉泉院丸に位置し、水堀を跨ぐ木橋(鼠多門橋)により接続される金谷出丸からの入り口として機能していた二階建ての櫓門。創建年代は明らかになっていないが、江戸時代前期ににはすでに存在していたことが絵図等から判明しており、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在したいた。 明治4年(1871)の廃藩後は旧陸軍の直轄に置かれ、倉庫などに利用されていたが、明治17年(1884)に火災により焼失し面影は失われた。2014年より復元に向けた発掘調査や絵図・文献等調査を行い、調査結果基づき史実に沿った木造による復元を行うこととし、2018年6月に着工、2020年7月に竣工、136年ぶりに姿を現した。













ユーチューブ「金沢城公園鼠多聞2021」


◇初冬の兼六園2021③

2021-11-27 07:18:17 | 金沢・石川の観光


◇初冬の兼六園2021③(No.2058)

久しぶりに兼六園を訪れた。雪吊りも進み紅葉も峠を越えた兼六園を
お楽しみください。



〇兼六園の紅葉
兼六園には約210本のもみじ、桜約420本ほか合計約8,200本の樹木があり、毎年11月の中旬には紅葉が楽しめる。園内の建物や松などの樹木、曲水、池、灯篭などと、紅葉のマッチングが楽しみだ。












◇初冬の兼六園2021②

2021-11-24 07:07:33 | 金沢・石川の観光


◇初冬の兼六園2021②(No.2057)

久しぶりに兼六園を訪れた。雪吊りも進み紅葉も峠を越えた兼六園を
お楽しみください。



〇兼六園の紅葉
兼六園には約210本のもみじ、桜約420本ほか合計約8,200本の樹木があり、毎年11月の中旬には紅葉が楽しめる。園内の建物や松などの樹木、曲水、池、灯篭などと、紅葉のマッチングが楽しみだ。















(つづく)

◇初冬の兼六園2021①

2021-11-21 07:57:21 | 金沢・石川の観光


◇初冬の兼六園2021①

久しぶりに兼六園を訪れた。雪吊りも進み紅葉も峠を越えた兼六園をお楽しみください。



〇兼六園の雪吊り(No.2056)

11月1日金沢に冬の訪れを告げる金沢の風物詩、兼六園の雪吊りが始まった。湿った雪の重みから木を守る雪吊りは、園内隋一の枝を誇る唐崎松では庭師5名を含め合計約12~3人がかりで作業が進められ、心柱5本に1本あたり50~200本の縄が次々と放射線上投げおろし、受け取った庭師が枝にくくりつけていった。 兼六園内で使用する縄(藁縄)は、総延長約120キロ、総重量4トンに及ぶ。唐崎松をはじめ松やツツジなど約800箇所で施され、作業は延べ人数約500人が12中旬まで作業を行う。













 

(つづく)

◇金沢マラソン2021応援in円光寺!

2021-11-04 06:52:48 | 金沢・石川の観光


◇金沢マラソン2021応援in円光寺!(No.2055)

 第7回金沢マラソンは10月31日、金沢市内で2年ぶりに開催され、 全国各地から集まったランナー9,843人が秋の城下町へスタートした。



 大会は新型コロナ対策で、スタートの時間と場所を約5千人ずつ分け、午前8時35分にいしかわ迎賓館前と、市役所前を同8時45分にスタート。ランナーは兼六園や、橋場町・東山、寺町寺院群を通る歴史的景観ゾーン、香林坊・片町の中心市街地ゾーンなどを走り、ゴールの石川県西部緑地公園陸上競技場をゴールとする。

 筆者は約9キロ地点円光寺周辺で応援をした。














金沢マラソンホームページ

◇アメリカ楓通りが見ごろを迎えた。

2021-10-31 08:04:58 | 金沢・石川の観光


◇アメリカ楓通りが見ごろを迎えた。(No.2054)

 通称アメリカ楓通りは、四高記念公園としいのき迎賓館、しいのき緑地の間に位置する県道で、広坂・香林坊エリアから金沢城公園へのエントランス道路としての役割を担っている。名物アメリカ楓が数十本にわたった並び、秋の早い時期に紅葉し秋の到来を告げる。



〇アメリカ楓とは

 モミジバフウ(紅葉葉楓、学名:Liquidambar styraciflua)は、フウ科フウ属の落葉高木。別名、アメリカフウ。 樹皮は褐色を帯びて、若枝にはコルク質の綾がある。葉は掌状で光沢があり、紅葉する。花期は4月頃。雌雄同株で、雄花と雌花が別々に頭状花序をつける。
 北米原産で、日本には大正時代に渡来し、公園樹や街路樹としてよく植えられる。秋には、ウニのようにトゲトゲした球形の果実をたくさん垂れ下げ、冬鳥のマヒワなどがよく食べる。落下した果実は、リースやクラフトの材料に利用される。葉はモミジの葉に似て、美しく紅葉する。中国原産のフウに似ているが、モミジバフウの葉は5つに裂けるのに対して、フウは3つに裂けるので簡単に区別できる。








10月31日は金沢マラソンがあり準備がされていた。

(つづく)

◇珍しい「白い彼岸花」が見ごろを迎えた。①

2021-09-22 06:50:37 | 金沢・石川の観光


◇珍しい「白い彼岸花」が見ごろを迎えた。①

金沢市「香林寺」の庭では、40年ほど前から白い彼岸花が見られるようになった。
今年は例年と比べて咲き始めがやや遅かったものの、朝晩の気温が下がり天気が秋め
いてくると一気に開花が進み、現在では約3000本が見ごろとなっている。



〇神照山香林寺

慶安4年(1651)、加賀藩士であった青木五兵衛が加賀藩三代藩主・前田利常に願い出て現在地を拝領し、長岩和尚を開山として創建された。青木は、利常の恩に報いるために、御影堂を造り、利常の位牌を安置した。また、青木家の家伝・菅原道真の画像を納めた。ところが、何時の頃か神殿より出火し、寺も類焼、御影堂を焼失している。なお、天保4年(1833)作の不動明王は、霊薬不動尊として知られている。(看板より)

















住所:金沢市野町1丁目3-5
電話: 076-241-3905

(つづく)

◇夏のひがし茶屋街2021-②

2021-08-26 08:37:08 | 金沢・石川の観光


◇夏のひがし茶屋街2021-②

〇ひがし茶屋街概況

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。現在5軒の茶屋が営業しており、11名の芸妓さんが所属しています。(2021.8現在)





















〇東山菅原神社





〇東内惣構枯木橋遺構





(つづく)

◇夏のひがし茶屋街2021-①

2021-08-24 05:18:28 | 金沢・石川の観光


◇夏のひがし茶屋街2021-①

〇ひがし茶屋街概況

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。現在5軒の茶屋が営業しており、11名の芸妓さんが所属しています。(2021.8現在)





〇志摩

文政3年(1820)に建てられた格式の高いお茶屋の建物で、これまで手を加えることなく、江戸時代の建物がそのままに残っている貴重な文化遺産です。封建的制度のもと、町方にわずかに許された娯楽と社交の場として、お茶屋には主に上流町人や文化人たちが集い、遊びと言っても琴、三弦、笛に舞、謡曲、茶の湯から俳譜など多彩で、客、芸子ともに幅広く高い教養と技能が要求されました。全国的に見ても数少ない茶屋建築の遺構の1つで当時の庶民文化を知る貴重な建築であることから平成15年(2003)に国の重要文化財に指定された。
注意)志摩の内部はスマホしか撮影出来ません。







江戸期の冷蔵庫地下にある石室





抹茶も飲める喫茶コーナー



(つづく)