第5回金沢まち・ひとサロン参加レポート(No.845)
9月3日(土)NPO法人趣都金澤主催の「第5回金沢まち・ひとサロン」
歴史から見る「金沢らしさ」~重層的なまちなみの、ほんものとはなにか
~がひがし茶屋街東料亭組合2階で開催され初めて参加した。
午後5時30分より本康宏史金沢星稜大学教授のご案内でひがし茶屋街、
浅野川界隈のまちあるきが約40分くらいあり参加した。金沢市内の茶
屋街の歴史や変遷、宇多須神社の歴史など説明を聞きながら歩きました。
■写真はまち歩きの様子
6時30分からは、佐無田光金沢大学教授のコーディネイトで山出保前
金沢市長、本康宏史金沢星稜大学教授の3名のパネルディスカッション
が行われ。最初にパネリストの自己紹介後、本康教授の「歴史から見る
「金沢らしさ」-歴史文化と「加賀百万石」の遺産と題してのお話があ
った。
■写真は会場の東料亭組合
1、「加賀百万石」と「城下町金沢」
①外様の大藩前田家の財力の象徴的表現 ②「加賀百万石」の表現
自体は近代になってからで、特に昭和戦前期に広く使用
2、「百万石まつり」に見みる「藩祖の記憶」
①尾山神社明治6年創建、②明治24年「金沢開始300年祭」利
家入城記念イベント③大正12年より「金沢市祭」から「商工まつ
り」を経て「百万石まつり」に。
3、「兼六園」という遺産
①創設は延宝4年(1676)蓮池庭。天保8年(1837)13第斉泰が
竹沢御殿取り壊し霞が池を掘り、栄螺山誕生、面積が約3倍に。
4、兼六園公園から兼六園へ「大名庭園」創設。①明治後半から、江戸
時代の姿が理想とされ公園から庭園回帰。「保勝」肝炎の台頭。②
大正5年(1916)兼六園保勝会発足。
5、「観光文化と」兼六園のシンボル
①旭桜(大桜)が昭和12年枯死し、ことじ灯籠へ代変わり、昭和
7年ころか?
6、観光としての伝統工芸ー産業と観光の大博覧会ー
①昭和7年(1932)出品団体200団体、出品数約30万点の大事
業「産業と観光の大博覧会」が開催。1日1万人を動員。②博覧会
での人気の焦点は「芸妓連の踊り」大評判になった。金沢四廓が観
光事業に総力を上げて取組み「観光の顔」になった。
まとめ
藩政期の事象は、必ずしも今日の「江戸」のイメージに直接つなが
るものではなく多くの近代のさまざまな背景を経て成立ー「加賀百
万石」の遺産(記憶)と表象ー
■写真は金沢まち・ひとサロン風景
■写真は前山出市長
その後山前市長が金沢らしさを①親しさ ②癒し ③こだわり ④思いやり
とし、一向一揆時代からの中で前田家280年の金沢に与えた影響はお
おきい。そして、もう一つ ⑤したたかさを付け加えたいとのお話があり
ました。最後に参加者からの意見が述べられ。佐無田教授が本日の総括
をしてお開きとなった。
初めて参加したが、大いに参考になり有意義な時間であった。
■写真は本康教授
■写真は佐無田教授
金沢まち・ひと会議ホームページ
(完)