金沢の観光スポットレポート(No.1874)
◇ここだけは押さえたい「兼六園のツボVol.2」②(ユーチューブ連動解説版)
〇雁行橋(がんこうばし・亀甲橋)
七福神山から少し下流の曲水に架かる、11枚の赤戸室石をつなげた切石橋で、夕空に雁が列をなして飛んでいるように見えることから、この名が付いた。また一枚一枚の石の形が亀の甲羅の形になっていることから、亀甲橋とも呼ばれている。万年を生きる亀にちなんで、この橋を渡れば長生きができると言い伝えられていたが、摩滅が激しいことから現在は通行止めとなっている。渡れないのは残念だが、見るだけでも十分に美しい橋だ。「かりがねばし」と呼ぶ人もいる。
〇七福神山(しちふくじんやま)
曲水にかかる雪見橋の正面にある築山。七福神に見立てた七つの自然石を配してあることから、この名が付いた。別名、福寿山。一説には竹林の七賢人(稽康、阮籍、山涛、向秀、劉伶、阮咸、王戎)になぞらえたともいわれる。中央にある主木のアカマツは、鶴が巣をつくったことから、「巣ごもりの松」とも呼ばれている。
〇地蔵堂(じぞうどう)
文政7年(1824)13第藩主斉広が隠居所竹沢御殿で没した時の枕石の後にこの堂が建てられた。
越前石でつくられ、間口約70cm、奥行約60cm、高さは約2m。前には石造の花立が据えられている。両開きの石の扉を開けると、地蔵が2体。1体は江戸の本郷に加賀藩の屋敷を建てた際、土中から出てきたもの、もう1体は12代藩主斉広の生母・貞淋院が祀っていた地蔵で、もとは江戸の刑場、骨原にあったものといわれている。
地蔵堂の場所は、かつてここにあった竹沢御殿で亡くなった斉広の枕元で、地蔵堂は枕石がわりに建立された。はじめは2棟建てられていたが、後に1つとなったため、地蔵が2体入っていると推測される。毎年8月24日には兼六園観光協会によって地蔵祭が執り行われている。
〇乙葉松(おとはまつ、二代目)
竹沢御殿跡の中心付近にある。加賀藩十三代藩主・前田斉泰の侍女・乙葉(1822~1866)が育てていた赤松の盆栽を献上した松であるところからその名がある。また、形が舟の錨に似ているところから、「いかり松」とも言われている。
〇ケンロクエンクマガイ(兼六園熊谷)
山桜の園芸品種で、学名も同じで開花は4月中旬頃。ソメイヨシノなどよりも1週間ほど遅い。中輪一重で、紅鮮やかな緋桜。満開時には枝を取り巻いて牡丹の形のように咲くところから、牡丹桜の異名がある。水戸藩から贈られたと伝わり、樹齢300年といわれている。現在はひこばえが育ち、花をつけている。
千歳橋の茶店の前にもある。
〇ケンロクエンキクザクラ(兼六園菊桜)
初代は、慶応年間に孝明天皇より京都御所から前田中納言に賜った御所桜と伝えられ、昭和3年(1928)5月三好理学博士の調査により「ケンロクエンキクザクラ」と命名され、国の天然記念物に指定された。
昭和25年(1950)のジェーン台風により衰弱し、石川県の依頼により京都の桜の大家、佐野藤右衛門さんが昭和36年接ぎ木に成功するが、昭和45年(1970)天寿を全うする。現在は三代目で天然記念物ではない。
〇根上松(ねあがりのまつ)
名の由来は、40数本の根が地上2メートルまでせりあがることからで、これは、土を盛り上げて若松を植え、成長にともなって土を取り除き、今の形につくり上げたものだ。樹齢約200年、高さ15メートル以上の堂々たる姿は、唐崎の松とともに兼六園を代表する名松である。
〇明治紀念之標(めいじきねんのひょう)
千歳台の中央に立つ日本武尊像。左には石川県戦士尽忠碑がある。西南戦争で命を落とした石川県兵士400名の慰霊のため、
日本武尊像は日本で最初の屋外人物の銅像といわれている。銅像の着物が左前になっているのは古代の女性の服装で、日本武尊が女の姿をして熊襲を倒したという伝説による。身長は5m50cm、台石の高さは6m50cmと巨大だが、台石はセメントなどを使わずに石を積み上げただけのもの。昭和63年(1988)、造りはそのままにして全面改修が行われた。その際、銅像に鳥のフンが全く付いていなかったことから、金沢大学の広瀬幸雄教授が銅像の成分を分析し、鳥除けの合金を開発。平成15年(2003)にユーモアと独自性のある研究に贈られるイグ・ノーベル賞を受賞した。
〇御花松(おはなまつ 別名:手向松たむけまつ)
明治紀念之標の左右に立っている赤松を指す。明治13年(1880)に標が建立された際、京都の東西本願時から手向けられたもので、手向け松とも呼ばれている。右側がお東、左側がお西からの松。特に左のお花松は右よりも幹周りが太く、枝張りも広く、実に美しい姿形である。
〇花見橋(はなみばし)
曲水にかかる橋。別名、勅使橋、観花橋。欄干の柱の頭に擬宝珠をかぶせた木製の反橋だ。4月は桜花、5月は曲水のカキツバタやツツジの眺めがいいところから、この名が付いた。とりわけ花見橋下流に群生する1万株4万本のカキツバタは圧巻。曲水に架かる月見橋、雪見橋と合わせて三橋という。
現在の橋は平成元年(1989)に架け替えられたものである。
(つづく)
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