加賀市大聖寺の観光スポット体験レポート その2(108)
◇加賀神明宮(かがしんめいぐう)
旧縣社で祭神は天照大神、以前は山下神社と称し江戸時
代には神明宮と称していた。現拝殿は文政7年(1824年)
再建の棟札がある。毎年4月の第2土、日曜に開催される
通称桜まつりは盛大で、山車や子どもたちの囃子、手踊
りが獅子舞とともに町内を練り歩く。
◇関所跡
藩政時代の番所の跡で、主に女性の出入りの監視が役
割だったという。現在も関町の地名が残っている。
11月に実際にあった場所の近くに関所門の復元が完
成した。
◇大聖寺城址(大聖寺の歴史)
大聖寺城は、鎌倉時代に狩野一族によって築かれ、南
北朝時代の争乱にもしばしば登場する。戦国時代、越前
朝倉宗滴が加賀に攻め込みこの城は朝倉氏北方の要の城
として、加賀一向一揆勢と対峙していた。
天正11年、大聖寺城主拝郷家嘉は柴田勝家と共に滅
び、豊臣秀吉は溝口秀勝を大聖寺四万四千石の城主とし
た。慶長2年、秀勝は越後新発田へ移り、山口宗永が
城主となった。関ヶ原では西軍に与した宗永は、金沢城
主前田利長の大軍に攻められ落城し自刃した。
大聖寺城は、現在、錦城山公園となっている。 江戸
時代には、大聖寺前田家が城山山麓に陣屋を構えて、城
山は立ち入り禁止としていた。
■写真は大聖寺城址の贋金造りの洞穴