金沢の観光スポットレポート その1034(No.1472)
◇金沢の冬-18 金沢市消防出初め式
1月6日(日)金沢の正月恒例行事、金沢市消防出初式が金沢城公園新丸広場を会場に、団員約1,200人、観客約7,000千名で開催された。
「加賀とびはしご登り」では43分団の梯子が立てられ、ハッピ姿で「鶯の谷渡り」や「八艘飛び」などの妙技に合わせ威勢のいい掛け声が飛び交った。また、褌姿の裸放水ではサイレンを合図に、全49分団が高さ20メートルの一斉放水を行い迫力に圧倒された。平成30年(2018)加賀鳶発祥300年を迎えた。
〇自衛消防団の歴史
享保3年(1718年)、八代将軍吉宗が禄高1万石以上の藩に対し、江戸藩邸を守る大名火消を設置するよう命じたのを受けて、加賀藩では江戸上屋敷の防備のため設置されていた自衛消防隊を豪華なものに増強しました。これが加賀鳶の始まりであるとされています。
加賀藩お抱えの火消しは、勇猛果敢な活動と華麗な装備で知られ当時の浮世絵や歌舞伎の題材になったこともあり、大名火消しといえば加賀鳶のことを指すようになったのであります。
明治に入り江戸藩邸にあった加賀鳶38人が金沢に移り住み、江戸の技と金沢在来の技が融合し今日の姿になったものと考えられます。現在では金沢市第一、第二、第三消防団の49分団のうち、48分団が梯子登りを実施しており、昭和48年(1973)には「加賀とびはしご登り保存会」を設立し、加賀鳶梯子登りの伝統ある妙技の伝承に努めています。
■写真は山野市長
〇加賀鳶梯子登りの由来
梯子登りは江戸時代、火消しが火災現場で高い梯子を立て、頂上から火事の状況や風向き、建物の状況を確かめたことが始まりで、さらには高所での作業を行うための訓練、度胸、勇気をつけるためにも行われた
と言われています。
火消し達は威勢と気魄を信条に、身軽な仕種と熟練した技をもって、住民の前にその演技を披露するとともに、消防の重要さを訴える役割も担っていました。この梯子登りを最初に行ったのが加賀鳶で、いわゆる日本の梯子登りの元祖です。
平成21年(2009)12月に加賀鳶梯子登りは石川県無形民俗文化財に指定され出初式・百万石まつりなどの主要行事に出演しています。
参考資料:金沢市消防団ホームページより
■写真は加賀鳶梯子登り
■写真は一斉放水
□金沢市消防団ホームページ
(つづく)
■撮影日:2019.1.6