植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢城公園巡り19 大手門、黒門他レポート

2013-01-30 04:47:09 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その136(No.248)

◇金沢城公園巡り19 大手門、黒門他レポート

◇大手門
佐久間盛政の頃、大手門は西丁口にあったが、前田利家が
入城した後に大手門を尾坂口に改めた。
尾坂門も大きな枡形で城内でも屈指の大きな櫓台を備えて
いたのが、現在残っている絵図ではすべて「櫓台」として
表記され、櫓がのっている事実は確認されていない。
外側から向かって右の角の畳5畳はある大型割石や正面の
大石は大手門らしい組み方だ。

■写真は大手門の右角大型割石



■写真は大手門正面の大型石



■写真は大手門



■写真は大手掘り(大手門側より)



■写真は大手掘り(黒門側より)



◇黒門
金沢御堂の時代は、ここが御堂の入口で、佐久間盛政が入
城した時もここを大手としていたという。前田の時代とな
り大手は西丁口から尾坂口へと移された。
江戸時代は西丁口門と呼ばれ、明治に入って以降、いつの
頃からか黒門と呼ばれている。

■写真は黒門坂



■写真は空堀(極楽橋)



■写真は極楽橋下の石垣(印がある)



◇色紙短冊積み石垣
正面の石垣は、代表格で最上部に黒色の石(坪野石)を使
ったV字形の石樋(いしどい)を組み込み、落水の背景と
なる石垣中央には、3石の縦長石を段違いに配置するなど、
庭園に面した場所ならではの意匠を持つ石垣。
*現在玉泉院丸付近はいもり坂方向より入ることができる。
 一見の価値あり!

■写真は色紙短冊積み石垣

金沢城公園巡り18 鶴の丸休憩所レポート

2013-01-28 04:36:54 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その135(No.247)

◇金沢城公園巡り18 鶴の丸休憩所レポート

鶴の丸休憩所には金沢城の歴史や変遷資料が多く展示され
ており、金沢城の概略をつかむことができる。展示のうち
いくつかを紹介する。

■写真は鶴の丸休憩所(橋詰門方向より)



○初期の金沢城(宝永大火以前)
初期の金沢城の景観を描いた古図で、特に本丸付近の縄張
りは、寛永大火後に確定された城の姿とずいぶ様相が異な
り、このタイプの絵図は、領内ではなく領外に多く流布す
るところから、元和から寛永期に幕府に提出した金沢城修
補願絵図をもとに転写された絵図ではないかと推定される。

■写真は初期の金沢城



○金沢城の本丸?
天正7年(1602)天守が落雷で焼失した。利長は徳川家か
らあらぬ疑いをかけられぬよう、翌年三階櫓を再建し、天
守の代わりとした。以来金沢城には再建されなかった。本
図は慶長期の、当初の三階櫓かどうか確定しないが、初期
の望楼型天守の様相を残すと指摘がある。

■写真は三階櫓図



○前期金沢城図(宝永大火~宝暦大火)
幕府は諸大名を統制するため慶長・正保・元禄・天保にわ
たり国絵図の提出を命じたが、正保4年(1647)には大名
居城図も差し出させた。これを正保城絵図という。本図は
貫文8年~延宝7年(1668~79)に、正保城絵図に訂正を
加え、幕府に提出する目的で作成した城絵図で、通称「貫
文8年図」と呼ばれる巨大な絵図(369X350Cm)である。
江戸前期の金沢城の全容を彩色鮮やかに俯瞰した逸品であ
る。

■写真は前期金沢城図



○後期金沢城図(宝暦大火~明治)
金谷出丸にあった金谷御殿は、18世紀になると藩主の側
室や子女の屋敷、隠居した全藩主や世子の御殿として使わ
れた。江戸城の西の丸のような役割を持ち、主が変わるた
びに改築がなされた。この絵図絵図が描かれた1830年
頃、兼六園の竹沢御殿にあった錦羊小屋が移転された。
なお、竹沢御殿はわずか2年で役割を終え、大部分が順次
取り壊され、残った書院の一部は1863年に建設された巽御
殿(現在の成巽閣)に利用されたという。
江戸後期の金沢城は、二ノ丸御殿・金谷御殿および、それ
に付設された庭園や数寄屋などに財力が投入され、江戸前
期の櫓・長屋主体の軍事の城から、御殿や庭園を配置した
空間へと変化した。幕末の対外危機の中で再度の変化を求
められたが、対応が終わらないうちに明治を向かえた。

■写真は後期金沢城絵図

金沢城公園巡り17 鶴丸倉庫レポート

2013-01-25 04:29:59 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その134(No.246)

◇金沢城公園巡り17 鶴丸倉庫レポート

◇鶴丸倉庫
幕末の1848年に竣工した武具土蔵で、石川県・三十間長屋
と同様に重要文化財に指定されています。
明治以降は、陸軍によって被服庫として使われていました。
長らく「鶴丸倉庫」と呼ばれてきましたが、実際に建築さ
れているのは「東の丸付段」です。石版を貼った外壁など、
櫓や城門などとはデザインを変えています。
城郭内に残っている土蔵としては国内最大級の遺構で、総
二階の延床面積約636平方メートル(下屋除)です。

■写真は鶴丸倉庫正面



■写真は鶴丸倉庫右側面より



■写真は鶴丸倉庫後ろ面より



◇鶴の丸広場
本丸・東ノ丸の真下にある郭のことで、東ノ丸にいた芳春
院(利家夫人)が、ここに白い鶴が舞い下りているのを見
て、これは前田家が長く栄えていく瑞祥(めでたい事の兆
し、吉兆)であるとして、 この郭を鶴ノ丸と名付けたと
いう。初め、二代藩主利長がここに便殿(休息用の御殿)
を建てて住み、政治を見ていた。

鶴の丸休憩所があり内部には金沢城や前田家の歴史等のパ
ネルで詳しく見る事ができる。

■写真は鶴の丸休憩所



■写真は復元中の橋詰門二の門と枡形土塀の石垣

辻口博啓のパティスリ-&カフェ体験レポート

2013-01-24 05:07:24 | 日記


金沢の観光スポットグルメレポート その10(No.245)

◇辻口博啓のパティスリ-&カフェ体験レポート

石川県立美術館1Fに辻口博啓氏のル・ミュゼドゥ・アッシュ
KANAZAWAがある。有名なのでぜひ一度訪れてみたいところで、
今回実現した。

■写真は店入口



■写真は石川県立美術館玄関



石川県立美術館の1Fを入って突き当りにあり、全面がガラス
で辰巳用水の支流がながれ、一部は中村美術館方面に滝となっ
ており何とも言えない雰囲気だ。

■写真は店内スイーツ&ギフト



■写真は店内



注文したのは「ロールケーキ加賀棒茶ロール」と「ダージリ
ンティ」で合わせて715円と手頃で、とろけるようなスポ
ンジとクリームであっさりした味で満足しました。

■写真はロールケーキ(加賀棒茶ロール)とダージリンティ



■写真は壁にある辻口さんのポスター

営業時間:(年中無休)10:00~19:00(ラストオーダー18:30)
TEL:076-204-6100となっている。



■写真は外より店内を見る

ホームページ
http://www.kagaya.co.jp/le_musee_de_h/contents/kanazawaCafe.html

金沢城公園巡り16 本丸園地、櫓跡レポート(その2)

2013-01-22 05:13:43 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その133(No.244)

◇金沢城公園巡り16 本丸園地、櫓跡レポート(その2)

◇辰巳櫓(たつみやぐら)跡
本丸の東側の一部を東ノ丸、西側の一段低い所(三十間長
屋がある所)を本丸附段と呼んだそうだが、その東ノ丸に
辰巳櫓、丑寅櫓の跡がある。 かつてはこの二つの櫓の間に
中櫓があり、百間堀に面した高い石垣の上に三つの 櫓が聳
えていたが、中でも辰巳櫓は本丸の中で、三層櫓以外で
は最も目立つ存在だったと云われている。
辰巳は天守閣から見て南東の方角、丑寅は北東の方角、戌
亥は北西の方角のことで、 辰巳櫓、中櫓、丑寅櫓は、百
間掘を挟んで、金沢城の一番の弱点である小立野台地(兼
六園方向)に 睨みを利かせ、戊亥櫓は二ノ丸を始め、城内
全部に目を光らせたのでしょう。

■写真は辰巳櫓跡



■写真は広坂から見る辰巳櫓跡石垣



■写真は辰巳櫓跡から見る広坂



■写真は辰巳櫓跡から見る白山



◇丑寅櫓(いぬとらやぐら)跡
東ノ丸の隅櫓があった所で、本丸から北東(丑寅)の方角
にあるので「丑寅櫓」と名付けられました。物見や本丸の
防御を狙っていましたが、宝暦の大火(1759)の際に焼失
しました。兼六園や戸室山、医王山などが眺望できる展望
台となっています。

■写真は東の丸跡



■写真は戌寅櫓跡



■写真は戌寅櫓跡石垣(鶴丸倉庫よりみる)



■写真は戌寅櫓跡から見た兼六園

金沢城公園巡り15 本丸園地、櫓跡レポート(その1)

2013-01-19 06:09:08 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その132(No.243)

◇金沢城公園巡り15 本丸園地、櫓跡レポート(その1)

◇鉄門
二の丸から本丸へ向かう際の本丸の正門。慶長の創建時
(1600年代)には、鉄板を貼った扉がつけられていたことか
らこの名前が付いたといわれている。
渡し櫓がのった重厚な門で、本丸の防御にあたっていた。

■写真は鉄門



■写真は鉄門左石垣



◇戌亥櫓(いぬいやぐら)跡
本丸の北西角、戌亥の方角に当たることから「戌亥櫓」と呼
ばれていた。東と北に「出し」という出窓がついている二層
の櫓だった。宝暦火災(1759)の後、再建されなかった。

■写真は戌亥櫓跡



■写真は戌亥櫓から菱櫓・五十間長屋・橋詰続き櫓を見る



■写真は戌亥櫓跡石垣



◇本丸園地(本丸跡)
前田利家は入城後、直ちに築城にかかり、そこに天守閣を
築いた。
城の象徴である天守閣は本丸の中央でその威容を誇ってい
ましたがいつ完成したかは明確ではありません。 慶長7年
(1602)10月晦日の夜、落雷によって炎上、火薬庫にまで
引火して本丸にあった建物は殆ど焼失し、その面影を知る
ことはできません。

◇1660~1759の本丸櫓群
江戸前期の絵図を見ると、本丸周辺に11の櫓があった。
内訳は本丸6、東の丸3、本丸付段2である。

■写真は本丸櫓群図



■写真は本丸跡の池



■写真は本丸跡

金沢城公園巡り14 極楽橋・三十間長屋レポート

2013-01-15 04:28:16 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その131(No.242)

◇金沢城公園巡り14 極楽橋・三十間長屋レポート

◇極楽橋
二の丸から三十間長屋のある本丸附段へ渡る所にある橋で、
昔、金沢御堂に参詣する人は朝、念仏を唱えながらこの橋
を渡り、夕方、日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願っ
て帰ったと云われている。擬宝珠のついた木製の素朴な橋
で、この度、修復された。

■写真は極楽橋



■写真は極楽橋から上がる階段
 敵が攻めてきても上がりにくい階段で、段の高さが違う
 のが分かる。段の幅もバラバラ



■写真は三十間長屋の階段を登った所から菱櫓を見る



◇三十間長屋
本丸附段にある2層2階の多聞櫓で、石川門と同様に重要
文化財に指定されています。安政5年(1858)の築で、現
在の長さは26間半です。南面は入母屋造りですが、北面は
土台の石組よりも外壁がさがっており、切妻造りです。
*内部公開日は限られているので注意

■写真は東面右



■写真は西面左の出窓



■写真は西面右



■写真は東面左

金沢城公園巡り13 橋詰門続き櫓レポート

2013-01-11 04:35:38 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その130(No.241)

◇金沢城公園巡り13 橋詰門続き櫓レポート

橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)天守閣を持たな
い金沢城では、二の丸が政治の中枢を担っていました。そ
の二の丸の正門である橋爪門を見下ろす位置にある物見櫓
がこの橋爪門続櫓。 三の丸広場から橋爪橋を渡り、橋爪
門を通って二の丸へ向かう人々を監視するための重要な櫓
でした。

■写真は橋爪門続櫓(二の丸から見る)



■写真は橋爪門続櫓(鶴丸広場から見る)



■写真は橋爪門続櫓2F



■写真は橋爪門続櫓2Fから3Fへの階段



■写真は橋爪門続櫓3F



■写真は橋爪門続櫓3F桁



■写真は橋爪門続櫓1Fから2Fへの階段

金沢城公園巡り12 五十間長屋レポート(その2)

2013-01-08 04:39:37 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その129(No.240)

◇金沢城公園巡り12 五十間長屋レポート(その2)

◇海鼠(なまこ)壁
海鼠壁という名の由来は、平瓦相互の間にできる目地に
漆喰(シックイ)を盛り上げて塗る筋塗りのその断面が、
海鼠に似ているからと言われています。
石川門に続く土塀や「鶴丸土塀」などのなまこ壁の内側
には、鉄砲狭間(鉄砲を打つための穴)が隠されている。
海鼠壁の城は現存しているのは金沢城と新発田城のみ。

■写真は海鼠(なまこ)壁の説明



■写真は鉄砲狭間(石川門二の門付近)



◇伝統的先端技術の伝承
さまざまな伝統技術の上に築かれた金沢城。これは知恵
の塊、いわば、木造建築における先端技術の膨大な集積
です。日本に古代建築物が多く現存するのは木造建築だ
ったからです。我々は、これら建造物はもちろん、その
伝統技術をも次の世代に引き継がなければなりません。
それが伝統文化なのです。今回の工事では、職人のほと
んどが石川県人です。未来の匠(たくみ)を目指して、
技術の伝承を受けようと若い人材も多数参加しました。
*この模型を使って職人の勉強を行った。

■写真は菱櫓模型



◇五十間長屋の窓
五十間長屋の両側にたくさんの窓がありますが、この窓
にもちょっとした工夫が施されています。二の丸側は1
階と2階と同じ場所にあります。つまり、二の丸から見
ると、縦に並んでいますが、三の丸側は、二の丸側と違
って、1階と2階が互い違いにずらして造ってあります。
この違いは、三の丸側は「戦」を想定して、死角ができ
ないように交互にずらせて造ってあり、二の丸側は美観
を考えてデザインされています。

■写真は五十間長屋の窓(二の丸側)



■写真は五十間長屋の窓(三の丸側)

金沢城公園巡り11 五十間長屋レポート(その1)

2013-01-04 04:54:43 | 日記

金沢の観光スポット体験レポート その128(No.239)

◇金沢城公園巡り11 五十間長屋レポート(その1)

菱櫓と橋詰門続櫓を結ぶ多門櫓(たもんやぐら)。武器
等を保管する倉庫として使用されていたのに加え、非常
時には城壁の役目も兼ね備えています。 内部では木組
みの工法をそのまま見学することが可能。日本古来の木
造軸組工法と呼ばれる方法と、柱と柱を繋ぐ横木を組み
合わせた耐力壁によって構成されており、釘やボルトを
1本も使っていないにも関わらず耐震性にも優れています。

■写真は五十間長屋(二の丸広場より見る)



■写真は五十間長屋2F



■写真は五十間長屋2F桁



■写真は菱櫓、五十間長屋、橋詰門続櫓案内図



◇鉛瓦(なまりかわら)
建物の屋根は普通の瓦ではなく、鉛の板で葺いてありま
す。まず、木で屋根を作り、その上に、厚さ1.8mmの鉛
板を張り付けて造ります。この鉛瓦の鉛には、少量
(0.06~0.08%)の銅を添加してあります。銅を添加する
ことにより、強さや硬さ、それに酸に腐食されないため
の耐酸性を高めます。
なぜ、鉛瓦を使うようになったのかは分りませんが、江
戸城にも使われており、江戸時代の古文書には、「鉛瓦
を使用したのは名城の姿を壮美にするため」と書かれて
います。推定ですが積雪による荷重の軽減化や戦いの際
の鉄砲弾丸用ともいわれている。

■写真は河北門の鉛瓦



■写真は鉛瓦のディスプレイ

金沢城公園巡り10 菱櫓レポート(その2)

2013-01-02 05:25:46 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その127(No.238)

◇金沢城公園巡り10 菱櫓レポート(その2)

◇石落し出窓
だしは出窓形式で三方に窓が付いている。また床面は扉
が開くようになっており、戦闘の際は敵が石垣をよじ登
る敵を防ぐ役割を担っている。これを石落しといい、窓
は鉄砲狭間(ざま)として用いられる。菱櫓の石落しは
出が大きく、唐破風(からはふう)、千鳥は破風と意匠
的にも工夫されはなやかである。

■写真は菱櫓1階石落し出窓



■写真は菱櫓1階石落し出窓(二の丸広場から見る)



■写真は菱櫓2階



■写真は菱櫓2階から3階への階段



■写真は菱櫓3階



■写真は菱櫓3階の桁



■写真は菱櫓3階ニラミ窓から見た石川門

新年明けましておめでとうございます。

2013-01-01 08:18:17 | 日記


新年明けましておめでとうございます。

昨年は国内外において多難な1年でした。東日本
大震災の早期復興、世界経済の中での国内経済の
立て直し、隣国との関係など課題も多いですが、
いい年になるよう望みたいものです。

今年も「金沢・いしかわ」の魅力を取材して発信し
たいと思いますので、ぜひ閲覧頂きますようお願い
いたします。

平成25年元旦

■写真は雪の金沢城公園石川門