金沢の観光スポットレポート(No.1934)
◇秋の金沢城公園2020 玉泉院丸庭園 (ユーチューブ連動解説版)
〇金沢城公園概要
金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂
(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)佐久間盛政が築城を開始、天正11年1583)、
加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされた。慶長7年(1602)
に天守が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されなかった。
金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する
平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。新幹線開業以降入場者も増え、金沢市内の人気スポットとなっている。2020年夏には鼠多門、鼠多門橋がオープンし、
長町~尾山神社~金沢城公園~兼六園などの「加賀百万石回遊ルート」が完成した。
〇玉泉院丸庭園
平成27年(2015)の新幹線開業に合わせて開園した玉泉院丸庭園は、加賀藩三代藩主「前田利常」による寛永11年(1634)の作庭を始まりとし、その後五代「綱紀」や十三代「斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで金沢城内玉泉院丸に存在していた庭園で。饗応の場として活用された「兼六園」に比べ、藩主の内庭としての性格が強い庭園だったと考えられている。
玉泉院丸は、古くは「西の丸」と呼ばれ重臣屋敷でした。慶長19年(1614)二代藩主前田利長が高岡で没した後、剃髪して金沢に戻った正室の玉泉院(永姫)の屋敷が造営されたため、
玉泉院丸と称することになりった。
〇玉泉院丸庭園に面した石垣郡
玉泉院丸に面した斜面一帯は、趣向を凝らした「切石積み」の石垣が見られる。石垣の高さや向き、石の積み方から細部の加工に至るまで、表情豊かな石垣群は、玉泉院丸庭園の借景としての役割を担っていた。
〇色紙短冊積み石垣
玉泉院丸に面した斜面一帯には、趣向を凝らした「切石積み」の石垣が見られる。
正面の石垣は、代表格で、最上部に黒色の石(坪野石)を使ったV字形の石樋(いしどい)
を組み込み、落水の背景となる石垣中央には、3石の縦長石を段違いに配置するなど、
庭園に面した場所ならではの意匠を持つ石垣。
・創建:寛永(1624~44)頃
・改修:貫文(1661~73)頃
■写真は色紙短冊積み石垣
■写真は石垣側からの玉泉院丸庭園
■写真は玉泉庵側からの庭園
■写真は玉泉院丸口の紅葉とサザンカ
(つづく)
ユーチューブ「秋の金沢城公園2020 玉泉院丸庭園」