植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢の秋2014⑦ 晩秋の兼六園-2

2014-11-28 04:17:32 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その324(No.522)

◇金沢の秋2014⑦ 晩秋の兼六園-2



■写真は霞が池の雪吊り





■写真はことじ灯篭







■写真は内橋亭

(つづく)

金沢の秋2014⑥ 晩秋の兼六園-1

2014-11-26 04:26:04 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その323(No.521)

◇金沢の秋2014⑥ 晩秋の兼六園-1

○兼六園の概略
兼六園は、江戸時代の回遊林泉式庭園の特徴を今日
に残す代表的名園で、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と
ともに日本の三名園と称されている。築庭は延宝3年
(1676)加賀5代藩主綱紀に始まり、約170年を費やした。

宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼ね備
えるという意味から命名された。



■写真は真弓坂のもみじ

兼六園の魅力は回遊林泉式庭園の見事なレイアウトに
松、桜、梅、もみじなど多くの木々や花々が季節ごと
に彩どり、年間を通じて何回おとずれても飽きない奥
深さがある。





■写真は瓢池









■写真は長谷坂



■写真はさざえ山

(つづく)

富山県南砺市五箇山④ 菅沼合掌造り集落-2

2014-11-24 04:24:57 | 日記


加賀藩ゆかりの地を訪ねる(No.520)

◇富山県南砺市五箇山④ 菅沼合掌造り集落-2

今回は金沢ボランティアガイド「まいどさん」の同期生
グループ「よるまっし16会」で加賀藩のゆかりの地南
砺市の井波、五箇山を訪ねた。

■写真は塩硝の館



◇五箇山の塩硝づくり

日本古来から、古民家の囲炉裏の下には自然と塩硝は製
造されていたが、五箇山では、自然の草(ヨモギ、しし
独活、麻殻、稗殻…など)と、蚕の糞などで製造する培
養法を使って、より多くの塩硝を製造した。
塩硝の生産地として加賀藩の重要な役割を担っていたの
が五箇山である。藩にとっては火薬原料の製造は軍事機
密となり、幕府や他藩の目をのがれるのに、山深い秘境
の地の五箇山は、豊富な塩硝を製造するための好条件で
あった。

■写真は塩硝床下断面

300年以上にわたって続いた塩硝製造は、水田のない
土地柄ゆえに五箇山全戸で製造に携わる一大産業となり、
質量ともに全国随一であったと云われてる。

この塩硝も、日本が鎖国を解いてから南米のチリからの
硝石(チリ硝石)の輸入によって廃れてしまう。





■写真は塩硝づくりパネル・模型



■写真は塩硝づくり鑑札



■写真はあらい



■写真は集落

加賀藩流刑地の一つだった五箇山には橋をかけることは
許可されなかった。そのため、対岸に渡るときにはぶど
うのつるで作った大綱を張り、それに取り付けた籠に乗
っていました。この移動は大変危険をともなうものだっ
たといいます。五箇山には13ヶ所このような籠の渡し
があった。





■写真は籠渡し

(完 撮影2014.10.11)

富山県南砺市五箇山③ お小夜塚、菅沼合掌造り集落-1

2014-11-21 05:07:15 | 日記


加賀藩ゆかりの地を訪ねる(No.519)

◇富山県南砺市五箇山③ お小夜塚、菅沼合掌造り集落-1

今回は金沢ボランティアガイド「まいどさん」の同期生
グループ「よるまっし16会」で加賀藩のゆかりの地南
砺市の井波、五箇山を訪ねた。

◇お小夜伝説

小原地区は、加賀百万石の城下町・金沢で遊女をしてい
た「お小夜(能登・輪島の人)」が流刑となった地です。
江戸時代の元禄期に、加賀藩の武士4名が綱紀の乱れに
より責を問われた時に連座しこの地に流されました。
21歳の若い身で、7年の流刑生活の間に村人達にお小
夜が得意な唄・踊り・三味線・太鼓などの芸事を教え、
日々を過ごすようになりました。隣村の吉間(きちま)
と恋仲になり子供を宿しますが、流刑の身であることか
ら苦悩に耐え切れず近くの庄川に身を投げ短い生涯を閉
じました。

遠い江戸時代から現在に至るまで歌い継がれた数々の五
箇山民謡や踊りは、お小夜が生きた小原地区が発祥の地
といわれています。五箇山民謡といえば「麦屋節」が特
に有名ですが、お小夜の悲哀を唄った「お小夜節」もあ
ります。

■写真は小原のお小夜塚



◇菅沼合掌造り集落

世界文化遺産に平成7年に登録された菅沼(すがぬま)
合掌造り集落は、9棟の合掌造りが現存し、うち2棟は
江戸時代末期に、6棟は明治時代に、1棟は大正14年
(1925)に建てられたものです。

■写真は五箇山菅沼合掌造り集落



今も人々が生活する菅沼集落には、素朴な風土と歴史が
残っている。国道156号線沿いの庄川右岸のわずかな台
地にあるのどかな村です。相倉集落ほど大きくありませ
んが落ち着いた雰囲気が特徴的です。合掌造りの建物を
利用した五箇山民俗館・塩硝の館があり、貴重な民具や
塩硝資料が展示されています。

・国指定 史跡 昭和45年12月4日指定 上平地域
・重要伝統的建造物群保存地区 平成6年12月21日選定
・世界文化遺産 平成7年12月9日登録

■写真は五郎平





■写真は五箇山民族館



■写真は民族館いろりの間



■写真は五箇山の石器時代の石器



■写真は二階



■写真は資料館縁側

(つづく)

富山県南砺市五箇山②

2014-11-19 04:41:11 | 日記


加賀藩ゆかりの地を訪ねる(No.518)

◇富山県南砺市五箇山②

今回は金沢ボランティアガイド「まいどさん」の同期生
グループ「よるまっし16会」で加賀藩のゆかりの地南
砺市の井波、五箇山を訪ねた。

□合掌造りとは

五箇山・白川郷地方に特色的に見られる60度の急勾配
の切妻造り・茅葺き屋根の民家で、屋根が両手を合わせ
た合掌の形になっていることから、その名がついたとさ
れている。

合掌造りを一般的に定義すると「小屋内空間を積極的に
利用するために、叉首構造の切妻造り屋根とした茅葺き
の家屋」である。一般的な民家に比べて柱や梁等の部材
が太く貫を密に入れるなど、全体的に堅固に造られてお
り、大きな屋根と積もる雪の荷重に耐えれる構造となっ
ている。

■写真は上梨の村上家



□村上家の由来

天正年間(1573-1592)に建設されたと伝えられており、
戦国時代の武家造りから書院造りに移行する過渡期の様
子を示すなど、多くの古風、古式の遺構が残っているの
は、全国にその類を見ないといわれています。
また、江戸時代に五箇山の主産業といわれた塩硝製造や
和紙製造等の民族資料数千点を陳列しており、五箇山の
生活史を見ることもできます。

■写真は村上家玄関



■写真は村上家1F平面図



■写真は村上家説明を聞く外国観光客



■写真は村上家二階

村上家ホームページ
http://www.murakamike.jp/map.html



■写真は上梨の白山宮

(つづく)

富山県南砺市五箇山①

2014-11-17 04:17:33 | 日記


加賀藩ゆかりの地を訪ねる(No.517)

◇富山県南砺市五箇山①

今回は金沢ボランティアガイド「まいどさん」の同期生
グループ「よるまっし16会」で加賀藩のゆかりの地南
砺市の井波、五箇山を訪ねた。

□五箇山の由来

五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市の
旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指す。

赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷から
なるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」
の地名となった。この名称が、文献に出てくるのは約
500年前、本願寺住職第9世光兼実如上人の文書が最
初である。これ以前には、荘園時代に坂本保、坂南保、
坂上保、坂下保、坂北保の5つの領に区別し「五箇荘」
とも呼んだ。

平家の落人伝説が「五箇」が多いとの所以は、「五箇」
が山間地に多いことや落人が山間に逃げることから源
平合戦の近隣の地域に伝説が多い。

■写真は南砺市地図



■写真は祖山大槻伝蔵の碑

◇大槻伝蔵流刑の地

大槻伝蔵(おおつきでんぞう)は加賀藩の弓持足軽大槻
七左衛門の三男として生まれる。ほどなく叔父大槻長兵
衛の嫡子として養子に出され、13才で6代藩主前田吉
徳(よしのり)の御部屋附御居間方として出仕すると、
持ち前の美貌と明晰な頭脳を生かして藩主の寵愛を得つ
つ仕事の実績も重ね、17年間で実に21回もの加増を
受け、藩主の覚えもめでたい伝蔵は、ついに3,800石の
禄高となり、地位と立場を最大限に利用して藩政をも牛
耳ってしまいます。



■写真は伝蔵碑の傍の熊野神社



飛ぶ鳥落とす伝蔵の権勢も藩主吉徳の後盾あってのこと。
吉徳が延享2年(1745)に急死すると、待ってましたと
ばかりに土佐守ら反大槻派が大槻らを排斥しようと工作
を開始。そして「吉徳の看護不届き」というよく分から
ない罪で伝蔵は捕らえられ、越中五箇山(ごかやま)に
ある加賀藩の配流所へ流刑となってしまいます。

■写真は田向の流刑小屋



■写真は流刑小屋の内部人形





■写真は上梨の拾偏舎(蕎麦屋)

そば拾偏舎紹介ページ
http://hakusan-no-megumi.jp/hyakuzen/hakusan/463.html

(つづく)

金沢の秋2014⑤ 金沢駅のイベント

2014-11-14 04:24:49 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その322(No.516)

◇金沢の秋2014⑤ 金沢駅のイベント

○古典菊「巴錦」菊花展開催!

加賀藩主が命名し、長野県で200年以上栽培されてい
る古典菊「巴錦(ともえにしき )」をJR金沢駅に並
べる北陸新幹線金沢開業記念「巴錦菊花展」は8日
開幕し、石川と長野の交流を象徴する 約1600本が
駅構内を彩っている。期間は14日まで。





巴錦は内側が朱色、外側が黄金色の花を咲かせる。駅コン
コースには、長野市大豆島( まめじま)原産巴の錦保存
会と小布施巴錦保存会、石川県菊花協会が丹精した鉢が
並んだ 。(記事:北國新聞より)



■写真は工事中のJR金沢駅コンコースの巴菊

(撮影2014.11.11)



○高校生の美術展開催!

石川県高等学校文化連盟美術部主催の平成26年度金沢地
区美術展がJR金沢駅地下ドーム広場で11月10日(月)
~14日(金)まで開催された。
内容は美術工芸、書道、写真と高校生の作品かと思う素晴
らしいものであった。









■写真はJR金沢駅地下ドームの作品

(撮影2014.11.12)

金沢の秋2014④ 県庁付近、21世紀美術館

2014-11-12 04:45:01 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その321(No.515)

◇金沢の秋2014④ 県庁付近、21世紀美術館

◇石川県庁舎

大正13年(1924)6月2代目石川県庁舎(現しいのき迎
賓館)から3代目石川県庁舎が平成14年(2002)が竣工
された。
新県庁舎の特徴は県民に広く開放されている点にあり、敷
地内に緑地帯を設けて、庁舎閉庁日でも気軽に入りやすく
している。また、行政庁舎19階には展望ロビーが設置さ
れ、金沢市内を全方向から見渡すことができる。







■写真は石川県庁舎付近4

(撮影:2014.10.20、29)



◇21世紀美術館

2004年10月9日にオープン10周年を迎えた。、ガラス張
りの円形美術館。金沢市の中心に位置しています。「ま
ちに開かれた公園のような美術館」を建築コンセプトと
し、誰もがいつでも立ち寄ることができ、様々な出会い
の「場」となるような美術館を目指しています。







■写真は21世紀美術館付近3

(撮影:2014.11.1)

金沢の秋2014③ 金沢城公園

2014-11-10 04:17:11 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その320(No.514)

◇金沢の秋2014③ 金沢城公園

金沢市内の秋を散策した。

○金沢城公園の概略

加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられ
た公園。園内には、木造城郭建築として五十間長屋や菱
櫓、橋爪門続櫓などの歴史的建造物が復元されています。
15年3月14日(土)北陸新幹線開業に向けて、橋爪
二の門、枡形塀の再建と玉泉院丸庭園が整備されている。

■写真は石川門



■写真は石川門二の門







■写真は整備の進む橋爪二の門



■写真は菱櫓



■写真は二の丸下の堀



■写真は二の丸公園の落ち葉





■写真は整備の進む玉泉院丸庭園

(撮影:2014.10.26)

金沢の秋2014② 兼六園

2014-11-07 04:30:41 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その319(No.513)

◇金沢の秋2014② 兼六園

金沢市内の秋を散策した。

○兼六園の概略
兼六園は、江戸時代の回遊林泉式庭園の特徴を今日
に残す代表的名園で、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と
ともに日本の三名園と称されている。築庭は延宝3年
(1676)加賀5代藩主綱紀に始まり、約170年を費やした。

宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼ね備
えるという意味から命名された。

■写真は瓢池



■写真は時雨亭



■写真は御舟亭付近の南天



■写真はことじ灯篭



■写真は茶店の和服姿





■写真は桂坂付近の紅葉





■写真は雪吊り始まる2(11.1撮影)

(撮影:2014.10.26)

金沢の秋2014① 四高記念公園、しいのき迎賓館

2014-11-05 04:49:41 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その318(No.512)

◇金沢の秋2014① 四高記念公園、しいのき迎賓館
金沢市内の秋を散策した。

昨年整備されて雨の日はぬかるんでいたが、メイン通り
は舗装。整備後は石川県中央公園から四高記念公園と呼
び名も変わり、多彩なイベントが開催されている。







■写真は四高記念公園

記念公園としいのき迎賓館の間の通り「アメリカ楓(ふ
う)通り」の紅葉とライトアップは人気がある。







■写真はアメリカ楓通り







■写真はしいのき迎賓館付近

(撮影:2014.10.26)

富山県南砺市井波街並み③ 浄蓮寺

2014-11-03 04:25:27 | 日記


加賀藩ゆかりの地を訪ねる(No.511)

◇富山県南砺市井波街並み③ 浄蓮寺

今回は金沢ボランティアガイド「まいどさん」の同期生
グループ「よるまっし16会」で加賀藩のゆかりの地南
砺市の井波、五箇山を訪ねた。

◇浄土宗浄蓮寺

浄蓮寺境内に、そっとたたずむ翁塚と黒髪庵。芭蕉の門
弟だった瑞泉寺11代の浪化上人が、芭蕉の墓から小石
3個を持ち帰り、浄蓮寺の境内に塚を建てました。その
2年後には芭蕉の遺髪も納められたといいます。この塚
を翁塚と言い、表面に「翁塚」の二字が刻まれています。
翁塚は、伊賀上野の故郷塚、義仲寺の本廟とともに芭蕉
三塚とされている。

黒髪庵は加賀、越中、能登の三国に住む俳人数百名が寄
進を行い、建てられた小さな庵です。風情ある茅葺きの
芭蕉堂や浪化の句碑もあり、俳句の会や茶会が催されて
います。

■写真は浄蓮寺山門



■写真は浄蓮寺本堂



■写真は浄蓮寺本堂の彫刻



明治15年(1882年)には町の俳人たちによって芭蕉堂が
建てられ堂内に芭蕉像が安置されました。

■写真は山門横の芭蕉堂



■写真は翁塚



井波は「信仰と彫刻の町」というだけあって彫刻三昧で
した。熱心にご案内頂いたボランティアガイドの井波観
光ガイド「井波の風」の名札ケースまで干支の彫刻!作
ると1万円位とのこと。

■写真は「井波の風」の名札ケース

(完 撮影2014.10.11)