植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢21世紀美術館体験レポート(その1)

2012-05-29 05:41:35 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その73(No.169)

◇金沢21世紀美術館体験レポート(その1)

金沢21世紀美術館は石川県金沢市広坂にある現代美術
を収蔵した美術館。愛称まるびぃ(由来は「丸い美術館」)
であるが、一般的には「21美(にじゅういちび)」と呼ばれ
ることが多い。
■写真は全景



もと金沢大学附属中学校・小学校・幼稚園があった場所に、
2004年10月9日に開館した。観光客の多く立ち寄る兼六園
の真弓坂口の斜め向かいに当たり、金沢城を復元中の金沢
城公園の入口からも近い。市の中心部に立地した都心型の
美術館。周囲には金沢能楽美術館、石川近代文学館、石川
県立美術館、石川県立歴史博物館などテーマの異なる芸術
関連施設があり、文化ゾーンを形成している。
■写真は広場のモニュメント



美術館は建物の形もさることながら、敷地に視界をさえぎ
る「外壁」がないのも特長の一つ。建物の外はフカフカの
芝生と遊歩道。美術館へのお客さま以外にも、ちょっと休
憩するサラリーマン、放課後の学生さん、お年寄り、子ど
もなどなどさまざまな人たちの憩いの場になっています。

もちろん、美術館にも人が集まっています。「交流ゾーン」
と呼ばれる場所は入場無料。いつでも気が向いたときにフ
ラリと入れ、気軽に現代を代表する作家たちの作品に楽しむ
ことができます。
■写真は交流ゾーンの桜



金沢21世紀美術館 を代表する収蔵品の一つで、レアンドロ
・エルリッヒ作のスイミング・プール
外側から一見するとたっぷりと水の入った普通のプール。け
れども、近づいて水面をのぞきこんでみると水の下には自由
に動き回る人の姿が。実は、水が入ったプールに見えていた
作品の下部分は自由に行き来ができる空間なのです。
■写真はスイミングプール



フローリアン・クラールの《アリーナのためのクランクフェ
ルト・ナンバー3》は、敷地内に置かれた12個のラッパ状の
筒からなる作品です。
■写真はアリーナのためのクランクフェルト・ナンバー3

金沢21世紀美術館ホームページ
http://www.kanazawa21.jp/
金沢21世紀美術館コンセプト
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=11&d=1

◇兼六園にさくらんぼが実りました!

2012-05-25 05:08:47 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その72(No.168)

◇兼六園にさくらんぼが実りました!

金沢の桜を連載し、あるところの集まりで「兼六園の兼六
園の桜」の紹介をしたところサクランボのなる木があると
いう情報を得た!早速我が石川観光特使取材班が写真撮影
に出向いた。



場所は石川門の近くで、兼六園下から広坂に向かい左歩道
を進み石川門橋を四義たところの石垣の上にある。



■写真は実ったさくらんぼ(2012.5.20撮影)

◇前田家野田山墓地体験レポート(その2完)

2012-05-22 04:47:24 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その71(No.167)

◇前田家野田山墓地体験レポート(その2完)

 前田家の墓はいずれも土を高く盛り上げた土饅頭(どま
んじゅう)形式で、特に藩主とその正室の墓は四角形の土
檀(どだん)を階段状に重ねた特徴的な外観をしており、
一見すると古墳時代の方墳によく似たものとなっている。
墓の周囲には溝を廻らせて外界と墓域を区画しており、大
きさも、利家墓で一辺約19メートル、他の藩主墓でも一辺
約16メートルと、他藩では類を見ない大規模なものとなっ
ている。

■写真は三代藩主利常(としつね)の墓



 現在、野田山・加賀藩主前田家墓所の面積は約8.6ヘクタ
ール。墓域内には約80基の墓が建てられ。藩祖前田利家の
墓は前田家墓所内の最も標高の高い一角に築かれて、その
すぐ横には利家の正室・まつの墓が、さらにその横には利
家とまつの長男で加賀藩前田家2代利長の墓が位置してい
る。

■写真は四代藩主光高(みつたか)の墓



 代々の加賀藩主の多くは野田山の前田家墓所に葬られま
した。4代藩主光高と9代藩主重靖(しげのぶ)は金沢市内
の天徳院に葬られましたが、昭和20年代に天徳院から野田
山へと改葬され、現在、全ての加賀藩主の墓を野田山の前
田家墓所でみることができます。(14代まで)

■写真は六代藩主吉徳(よしのり)の墓



 お盆やお彼岸の時期になると、野田山墓地には多くの墓
参の人びとが訪れ、木枠に紙を貼ったキリコと呼ばれる灯
籠を墓前に捧げます。このキリコを吊す風習は金沢独自の
もので、正面には「南無阿弥陀仏」と六字名号(ろくじみ
ょうごう)が書かれており、側面には、「献上」または
「献灯」に続いて墓参した人物の名前を書き入れることに
なっています。

■写真は十三代藩主斉泰(なりやす)の墓



●桃雲寺(とううんじ)
 1600年(慶長5年)加賀初代藩主前田利家墓守の寺として
建立され、はじめは野田宝円寺と号したが、のち前田利家
の戒名を取り高徳山桃雲寺と改称した。1615年(元和元年)
焼失し、芳春院により再建されたが、1869年(明治2年)再
び焼失し、現在では規模の小さいものになっている。

■写真は桃雲寺

◇前田家野田山墓地体験レポート(その1)

2012-05-19 05:33:16 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その71(No.166)

◇前田家野田山墓地体験レポート(その1)

 野田山墓地は、金沢城から直線距離にして南西に約3.5
キロメートルほど離れたところに広がる一大霊園地です。
野田山は標高約175メートルで、山頂から山腹に広がる墓
地の総面積は43万平方メートルで、兼六園の約4倍の広
さがあります。



■写真は藩祖利家(高徳院)の墓



■写真は前田家野田山墓地の地図



■写真はまつ(芳春院)の墓



●前田家墓地の歴史
 藩祖前田利家の実兄利久がこの地の山頂近くに葬られた
のが、野田山墓地の始まりとされています。利家以降、歴
代藩主とその正室(せいしつ)のほんんどは野田山に葬られ
ました。前田家墓所の周囲には家臣の墓が造られ、のちに
は町人の墓も立ち並ぶようになり、現在の野田山墓地へと
続いています。
 明治維新を迎えると野田山墓地の管理は金沢市に引き継
がれ、現在は加賀藩主前田家墓所は成巽閣が、戦没者墓地
は石川県が管理をしています。

■写真は藩祖利家の実兄利久(としひさ)の墓



 野田山墓地の最も標高の高い一角に、江戸時代の加賀藩
主前田家の歴代当主をはじめその正室、子女などの近親者
たちが眠る前田家墓所があります。

■写真は利家四女豪姫(ごうひめ)の墓

◇石川四高記念文化交流館レポート(その2)

2012-05-15 04:54:50 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その70(No.165)

◇石川四高記念文化交流館レポート(その2)

 ・石川近代文学館常設展示テーマ(1F)

 1)石川の風土と文学
   ガイダンス映像と発見の楽しみを組み合わせたス
   ペース。
 ■写真は玄関



 2)石川近代文学と三文豪
   三文豪(鏡花・秋聲・犀星) の同時代性や相互の
   関わり、三文豪から広がる文学ネットワークを分
   りやすく紹介。

 3)時代を索引した文学
   -鏡花・秋聲・犀星の輝き-

 4)「風土」に育まれた文学
   -加賀・能登・金沢の作家-
 ■写真は三文豪コーナー



 5)文学サロン
   犀星が東京の馬込に家を新築した際に作った書斎を
   復元。

 ・石川近代文学館常設展示テーマ(2F)

 6)四高が育んだ多彩な才能
   -四高 その青春と光芒
 ■写真は犀星書斎



 7)8)受け継がれる石川の文学 
   -現代作家1・2-

 9)企画展示室
   体験した4月21日~7月31日までは「痛みと輝
   き」青春の文学展前期を開催していた。
 ■写真は受け継がれる石川の文学コーナー

石川四高記念文化交流館ホームページ
http://www.pref.ishikawa.jp/shiko-kinbun/index.html

◇石川四高記念文化交流館レポート(その1)

2012-05-11 04:55:43 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その69(No.164)

◇石川四高記念文化交流館レポート(その1)

 中央公園内で落ち着いた佇まいを見せている石川四高
 記念文化交流館は、旧四高の校舎を利用した赤レンガ
 のモダンな建物です。四高の歴史と伝統を伝える展示
 に加え、旧四高の教室を多目的に利用できる「石川四
 高記念館」と泉鏡花、徳田秋声、室生犀星等、石川県
 ゆかりの文学者の資料を展示する「石川近代文学館」
 によって構成されている。兼六園周辺文化の森の新し
 い「学びとふれあいの複合文化スペース」として、平
 成20年4月に生まれ変わった。

 昭和43年(1968)年旧第四高等学校の図書館の書庫で
 あった建物を利用し、室生犀星の研究家であった新保
 千代子(1913 - 2004年)を館長に迎え、日本近代文
 学館に次ぐ、日本で2番目の総合文学館として開館。
 昭和61年(1986)石川県立郷土資料館が本多の森公園
 に移転拡張するのに伴い、現在地に移転した。 
 ■写真は正門

 ・石川四高記念館常設展示テーマ


 1)四高その時代と人々


 2)北の都に


 3)「北辰会」と「南下軍」


 4)「超然」とした学生生活


 ■石川四高記念館の2階への階段

石川四高記念文化交流館ホームページ
http://www.pref.ishikawa.jp/shiko-kinbun/index.html

◇金沢の桜(その11 追加編)尾山神社

2012-05-08 04:45:30 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その68(No.163)

◇金沢の桜(その11 追加編)尾山神社

尾山神社菊桜(兼六菊桜と同じであるようだ)

兼六菊桜の満開を逃し残念に思っていたところ尾山神社菊
の満開を撮るることができ、金沢の桜追加編となった。


説明文によると「兼六園内の千歳橋付近にあった桜はもと
「御所桜」といわれ、江戸時代後期に京都御所から前田家
に下賜されたと伝えられ、昭和3年に国の天然記念物に指
定されました。
この菊桜は、兼六園一というより日本一の菊桜です。天然
記念物の兼六園菊桜は、昭和45年に枯死しましたが、昭
和10年ごろの積雪によって折れた枝を、当時兼六園園丁
であった田中大三郎さんが、湯湧町の田上清勝さんに接ぎ
木を依頼し、これが成功しました。そして育てられた菊桜
の枝を、友人である笠舞町の西野安松さんがヤマザクラに
接ぎ木し、昭和59年秋に、私が西野さんから譲りうけ、
大切に育ててきました。名木を守り継いで70年、下賜さ
れた前田家にお返しするために、加賀藩初代藩主前田利家
公を始め、歴代藩主諸侯を奉斎するこの尾山神社に、宮司
の許可を得て2本の菊桜を寄進することとなりました」
(献木者 池内 信彦)2012.5.6撮影




■写真は尾山神社本殿側の菊桜


■写真は正面口側の菊桜

◇金沢の桜(その10 完)兼六園Ⅲ

2012-05-07 05:29:45 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その67(No.162)

◇金沢の桜(その10 完)兼六園Ⅲ

日本三名園のひとつで、桜の名木が多いことで知られてお
り、中でもひとつの花に300枚もの花弁を付ける兼六園菊桜
は一見の価値あり!ほかにもヤマザクラの大木、旭桜、兼
六園熊谷ほか、ヒガンザクラ、ソメイヨシノなど約420本の
桜が園内を彩ります。
ソメイヨシノなどは21日にはほぼ散り、しだれ桜や旭桜、
熊谷桜。そして最後に28日ごろ菊桜が咲いた。



■写真は菊桜(2012.5.撮影)

若葉とともに咲くこんもりと淡紅色の桜花で、小振りながら
300枚を越える花弁をつける。通常、菊桜の類は花弁150~200
枚で、300枚以上というのは兼六園菊桜のほかにない。ちな
みにケンロクエンキクザクラは学名である。

兼六園菊桜は開花から落花までの間に花の色を3度変えるの
も特徴。蕾の時は深紅、咲き始めると薄紅、落花の時は白色
に近くなり、花弁だけでなく、花柄をつけて散る。開花期は
4月下旬から5月上旬と長く、兼六園の観桜の最後を飾る桜だ。

現在、並んでいる2本は接木から育てた2代目で、佐野籐右衛
門さんらのご努力によって、先代の枝から「接ぎ木」によっ
て増殖されたもの。今は、国の天然記念物ではありません。
国の天然記念物に指定された初代は昭和45年(1970)に250年の
天寿を全うした。この木は幕末に京都御所から賜ったものと
言い伝えられ、御所桜とも呼ばれた。



■写真は菊桜(2012.4.28撮影)


■写真はつぼみの菊桜(2012.4.21撮影)

 海棠(かいどう)林檎の花満開!

2012-05-02 05:12:21 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その66(No.161)

◇金沢のパワースポットその1
 海棠(かいどう)林檎の花満開!(金沢市高岡町)

カイドウリンゴという名称はつぼみの紅色で海棠の花に
似ているところからきた方言で、和名(ベニリンゴ、ア
カリンゴ、カラナシ)藩政時代から金沢地方に植栽され
た品種であるが現存するものは珍しい。4月中旬に開花、
十月中旬に径2-3Cmの赤い実が熟する。
明治維新後、殖産政策の一つとして果樹園芸が奨励され
金沢市内でも1875-1926年頃、高岡町、長町、武家屋敷
にリンゴ園が経営されたが、この樹はその名残をわずか
に留めるものである。(案内看板より)2012.4.28撮影





10月の熟した実を撮影したいものです!!



■写真は海棠林檎満開の花