金沢の観光スポットレポート(No.1851)
◇金沢の芭蕉句碑巡り2020(前編-)片町、寺町寺院群
〇松尾芭蕉「奥の細道」
松尾芭蕉は「奥の細道」の旅へと元禄2年(1689年)3月27日に江戸を出発し。全行程476里(約1904Km)、156日間。東北、新潟とまわり北陸、大垣までの道程で、同行者は門人の河合曽良です。
今回は金沢市内の11+1の芭蕉句碑、記念碑を巡ります。
■写真は奥の細道地図
芭蕉は元禄2(1689)年の7月15日(新暦8月29日)に金沢に入り24日まで滞在したと伝えられ、道中の日程を見てみると10日以上も滞在したのは金沢と大垣だけとなっている。
また、24日から小松(4日間)、山中温泉(7日間)滞在し大聖寺から8月7日に福井県丸岡に向かった。石川県には21泊22日の旅程で山形県に続いて長く逗留した。
1)芭蕉の辻(片町2丁目)
倶利伽羅峠を経て7月15日に金沢入りした芭蕉は京屋吉兵衛方に泊まり、翌日に宮竹屋喜左衛門方に宿を移しています。この宮竹屋があったのが現在の片町スクランブル交差点あたりです。
「芭蕉の辻」と刻まれた標注がある。スクランブル交差点そばの植え込みの中にあり目立たないので、ほとんどの人はそれに気が付かずに通り過ぎていると思う。
■写真は片町交差点の芭蕉の辻の標注
2)犀川河畔
片町から犀川大橋を渡りすぐ左折し、犀川沿いにある句碑。この句碑は犀川大橋のたもとから移設された。
・昭和33年(1958)建立。
「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」
小松砂丘の筆による句碑は3つあり、1つは兼六園の山崎山の上り口に、2つ目は犀川大橋近く川のほとりのベンチそばに、3つ目は成学寺の境内にある。
この句は夕日が赤々と照り残暑が厳しいのだが吹く風は秋の気配を感じさせると言った意だと思います。
■写真は犀川河畔芭蕉句碑
3)高養山 成学寺(じょうがくじ)
・住所:金沢市野町1-1-18
・宗派:浄土宗
天保4年(1647)松平又右衛門夫人が、三代藩主利常に請うて梵宅上人を招き、もと玉
泉寺の寺領に亡夫の菩提所として建立したのが起こり。境内には「あかあか・・・・・」の金沢で一番古い句碑がある。
江戸初期の建築様式が見られる本堂は貴重な建物で、成学寺の塀の上にのった風神、雷神の石像がユニークです。
■写真は成学寺
・芭蕉句碑は宝暦5年(1755)建立。金沢では最古。
「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」
宝暦5(1755)年芭蕉翁追悼のため俳人堀麦水とその門人らが建てた句碑。金沢の句碑では一番古い。
■写真は芭蕉句碑
4)長遠山 本長寺(ほんちょうじ)
・住所:金沢市野町1-2-8
・宗派:顕本法華宗
観光客で賑
わう忍者寺(妙立寺)の向かって右隣にあり、宝暦12年(1762)の大火で焼失後、学僧・日鑑らにより再建された。
■写真は本長寺
・芭蕉の句碑は大正4年(1915)建立。
「春もやゝ 気しき調ふ 月と梅」
■写真は芭蕉句碑
5)木一山 願念寺(がんねんじ)
・住所:野町1-3-82
・宗派:真宗大谷派
創建慶長年間、万冶2年(1659)現在地に移転。小杉一笑(いっしょう)の菩提寺。
小杉一笑は金沢における蕉風の先駆をなした俳人。元禄2年(1689)7月金沢入りした松尾芭蕉は一笑が前年の霜月6日死去したことを知り慟哭(どうこく)。22日ここ願
念寺で催された追悼会で、芭蕉は「塚も動け・・・」とその悲しみを詠んだ。 この前々年(貞亨4年)近江の人尚白が撰した「孤松集」に一笑の句が194句も入集されている。
・芭蕉句碑は昭和42年建立(1967)。
「つかも動け 我が泣く声は 秋の風」 (芭蕉句碑)
■写真は願念寺芭蕉句碑
「心から 雪うつくしや 西の雲」
■写真は願念寺一笑辞世句碑
6)鶴雲山 長久寺
・住所:金沢市寺町5-2-20
・宗派:曹洞宗
慶長13年(1608)白山に建立。高畠石見守定吉の後室長久院のために栖覚寺を郊外に
ある大豆田高畠氏の下邸に建て長久寺と改めた。その後二回移転し、延宝4年(1676)に野田寺町覚源寺の遺祉である現在地に移り長久寺建立。
■写真は長久寺
・芭蕉句碑は昭和63年(1988)建立。
「秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子」
■写真は芭蕉句碑
(つづく)
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