植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

兼六園の桜①2022

2022-04-12 09:43:15 | #金沢いしかわ#観光


◇兼六園の桜①2022 (No.2065)

〇兼六園概要

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。

桜橋



○兼六園の桜

兼六園の桜は、名木が多いことで知られており、園内の分布では山桜系約40本、里桜系約250本(内ソメイヨシノ約200本)ヒガンザクラ約80本、その他約50本で合計約420本となっている。

曲水



千歳橋

○ソメイヨシノ(染井吉野)

エドヒガンとオオシマザクラとの栽培品種。一重。花柄、萼筒に毛が多い。花柄は短く、楕円の花弁の先は二裂。散形花序、萼筒は膨らむ。花が葉より先に咲く。



○ケンロクエンクマガイ(兼六園熊谷)

2代目。兼六園菊桜とともに学名に「ケンロクエン」の名前を持つ。大島桜けいの栽培品種。中輪一重で鮮やかな緋桜。水戸藩から贈られたと伝わる。



○アサヒザクラ(旭桜)

2代目。山桜の一種で、薄茶色の葉と一緒に咲く。花は一重で大きめである。13代斉泰のときに、長町の重臣村井家の庭から、道筋の50軒の家を取り壊し500人の人夫がかかって運ばれたものといわれている。







桜ヶ丘


兼六園梅林2022

2022-04-01 09:02:41 | #金沢いしかわ#観光


◇兼六園梅林2022 (No.2064)

○兼六園梅林

兼六園随身坂口近くに広がる約3000平方mの梅林。この梅林は昭和43年(1968)に明治百年記念事業として全国の名梅を集めて造成され、平成12年3月に庭園として再整備されたもで、現在は約200本の梅があり、そのうち白梅約140本、紅梅約60本、白加賀、摩耶紅梅、青軸、八重寒紅など約20数種類が咲き誇る。



リョクガクシダレ(緑萼枝垂)


舟之御亭







マヤコウ(摩耶紅)









シロカガ(白加賀)





ブンゴ(豊後)


□ユーチューブ「兼六園梅林2022」


◇珍しい「白い彼岸花」が見ごろを迎えた。②

2021-09-26 06:04:31 | #金沢いしかわ#観光


◇珍しい「白い彼岸花」が見ごろを迎えた。②

金沢市「香林寺」の庭では、40年ほど前から白い彼岸花が見られるようになった。今年は例年と比べて咲き始めがやや遅かったものの、朝晩の気温が下がり天気が秋め
いてくると一気に開花が進み、現在では約3000本が見ごろとなっている。





















住所:金沢市野町1丁目3-5
電話: 076-241-3905

◇イオンモール白山「1Fグランドシェフキッチン」リポート

2021-08-22 05:14:37 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.2047)

◇イオンモール白山「1Fグランドシェフキッチン」リポート

北陸最大級の大型商業施設、イオンモール白山が19日オープンした。
イオンモール白山は、敷地面積17万5000平方メートルで地上3階建て、石川県内初出店の78店舗を含む北陸最大級のおよそ200の専門店が軒を連ねます。イオンモールでは、年間800万人の来店者を見込んでいる。
今回は1Fグランドシェフキッチン6店舗をリポートします。

〇1F Grand Chef'S Kitchen(グランドシェフキッチン)



1)学生のパン屋さん(ベーカリー)



2)イル・ケッッチアーノ(イタリアン)
  奥田政行シェフ





3)招龍亭(中華)
  魏賢耀(ぎけんよう)シェフ





4)らはさか(和食)
  笠原将弘シェフ





5)イル・ド・レ(フレンチ)
  坂井宏行シェフ





6)カフェドゥアッシュ(スイーツ・カフェ)
  辻口博啓シェフ


(つづく)



□ユーチューブ「イウンモール白山・フードフォレスト・グランドシェフキッチンリポート!

◇イオンモール白山「3Fフードフォレスト14店舗」リポート②

2021-08-20 07:13:46 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.2046)

◇イオンモール白山「3Fフードフォレスト14店舗」リポート②

北陸最大級の大型商業施設、イオンモール白山が19日オープンした。イオンモール白山は、敷地面積17万5000平方メートルで地上3階建て、石川県内初出店の78店舗を含む北陸最大級のおよそ200の専門店が軒を連ねます。イオンモールでは、年間800万人の来店者を見込んでいる。
今回は3Fフードフォレスト14店舗をリポートします。

8)ペパーランチ(ステーキ)



9)東京餃子軒(餃子)



10)ミスタードーナッツ(ドーナツ)



11)ドトールコーヒーショップ(カフェ)



12)マクドナルド(ハンバーガー)



13)築地銀だこ(たこ焼き)



14)サーティワンアイスクリーム

(つづく)



□ユーチューブ「イウンモール白山・フードフォレスト・グランドシェフキッチンリポート!

◇神社・狛犬巡り(能美市編)⑥高坂白鬚神社、春日神社山口町、春日神社道林町

2021-08-16 06:05:41 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.2044)

◇神社・狛犬巡り(能美市編)⑥高坂白鬚神社、春日神社山口町、春日神社道林町

能美市は総人口 48,438人、面積 84.14km2で現在調査中ですが、約70の神社があると思われる。すでに逆立ち狛犬13神社を紹介しているので、その他の神社を紹介します。ユニークな狛犬がありお楽しみに!!



20)高坂白鬚神社
・住所:能美市高坂町ロ271
・御祭神:猿田彦命
・狛犬建立:①平成10年(1998) ②昭和13(2001)

広島型で1対なのは2神社のみ。珍しい。











21)春日神社山口町
・住所:能美市山口町ヘ106-1
・御祭神:武甕槌神 経津主神 天児屋根命
・狛犬建立:昭和62年(1987)









22)春日神社道林町
・住所:能美市道林町ヘ8-1
・御祭神:武甕槌神
・狛犬建立:①平成2(1990) ②平成7(1995)







(つづく)


□神社・狛犬巡り(能美市編)バックナンバー

◇神社・狛犬巡り(能美市編)⑤日吉神社福島、大成八幡神社、浜開発八幡神社、下ノ江林八幡神社

◇神社・狛犬巡り(能美市編)④西宮神社、 釜屋龍王権現社、春日神社浜町

◇神社・狛犬巡り(能美市編)③三ツ口八幡神社、瀧浪神社、春日神社吉原、熊田神社

◇神社・狛犬巡り(能美市編)②鍋谷八幡神社、和佐谷神社 、岩本神社、笹葉天照皇神社

◇神社・狛犬巡り(能美市編)①宮竹日吉神社、中庄八幡神社、富樫八幡神社、上館八幡神社

◇兼六園の椿2021-③ シロワビスケ、リュウセキツバキ、ヤブツバキ、シュンショッコウ

2021-03-12 04:17:01 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1963)

◇兼六園の椿2021-③ シロワビスケ、リュウセキツバキ、ヤブツバキ、シュンショッコウ

兼六園内には桜、梅、椿、松、モミジ、カエデなどの樹木が合計157種8,196本(2013年3月現在、生垣は除く)あり、その内椿は512本あるとされている。
2018年末より椿の取材を初めた。椿は品種が多く確定するのに難しいが、過去の資料や、インターネットその他の資料、金沢城・兼六園研究会のメンバーの協力で品種確定、場所確定、撮影できたものの25種を紹介します。今後とも確定や訂正を重ねていきたい。



7)シロワビスケ(白佗助)
産地:江戸。一重・猪口咲き、侘芯、極小輪。
時雨亭庭梅林側にある。





8)リュウセキツバキ(龍石椿)
一重・ラッパ咲き、中輪。竜石椿は、ピンク地に白い斑紋が不規則に入る。







9)ヤブツバキ(藪椿)
青森から沖縄まで分布。一重・筒咲き。多くの品種の原種。
長谷坂入り口左にある。







10)シュンショッコウ(春曙紅)
産地:埼玉県。八重咲き、筒割りしべ、中輪。
奇観亭前右にある。









(つづく)



ユーチューブ「兼六園の椿2020」①

ユーチューブ「兼六園の椿2020」②


◇雪の長町武家屋敷跡2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

2021-03-01 04:21:33 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1956)

◇雪の長町武家屋敷跡2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

〇薦掛け

薦掛けは、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の氷結による損傷や、付着した積雪による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで設置され、雪吊りとともに”金沢の冬の風物詩”となっている。毎年12月の第1週の週末に合わせて薦がけが行われており、今年は12月5日土)~6日(月)に行われた。この薦掛けは昭和61年(1986)年から実施している。





〇金沢職人大学校「長町研修塾」

この建物は藩政期末から明治初期約130年前の建物を増築・改築をたび重ね現在に至っています。平成10年9月から平成11年3月にかけて金沢職人大学校の総合学習として長町武家屋敷群の修景に合わせ修復した。金沢職人大学校の講義の場、観光客が立ち寄る場、市民の謡曲、囃子、茶会等広く市民に利用されている。敷地内にある茶室「匠心庵(しょうしんあん)」は、金沢職人大学校一期生が3ヶ年の修了成果として主屋の修復と並行して平成11年3月に完成した。



















〇野村家概要

1583年(天正11年)金沢城に入場した藩祖前田利家の直臣として従ったのが野村伝兵衛信貞。明治3年の廃藩まで12代に渡って1000坪の屋敷を拝領した野村家(1200石)の屋敷跡。樹齢400年以上といわれる山桃の木や、曲水・落水・名石を配した庭園は見応えがある。残念ながら屋敷は取り壊されて、北前船の商人の豪邸の一部を移築したもの。2009年ミシュランの二つ星に指定された。











(つづく)



ユーチューブ 「雪の長町武家屋敷跡2021」


◇雪の長町武家屋敷跡2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-27 04:53:41 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1955)

◇雪の長町武家屋敷跡2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

〇長町の由来

長町は前田八家の一つ長氏の屋敷があったこと、鞍月用水と大野庄用水に囲まれた長い町ことなどから名付けられたといわれている。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいた。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんが、その中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができる。

○前田土佐守家資料館

前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。



○金沢老舗記念館

天正7年開業の薬舗「中屋」を移築したこの記念館は藩政時代の面影を今に伝える建物です。1階には当時の店先を再現した「みせの間」があり、座卓、そろばん、帳簿などが商いの様子を伝えています。2階には金沢の伝統産業、町民文化に関する資料が展示されています。











〇大屋家住宅

藩政時代の直臣平士級の武家屋敷の遺構です。門を構え、敷地周辺に土塀を巡らし、広い庭があります。建物は、内部や建具も含めて当時の状態をよく残している。正面に高く広い妻面のあるアズマダチの屋根は、元々は板葺き石置き屋根でしたが明治時代に瓦屋根に葺き替えられました。屋根裏には、板葺き石置き屋根だった頃の低い小屋組みが現在も残っています。武家屋敷を構成した主な要素を全て残している貴重な遺構です。平成15年4月21日に金沢市保存建造物(日本建築)に指定され、国の登録有形文化財。





新屋家長屋門

〇長町武家屋敷跡に残る金沢を代表する長屋門。屋敷は離れを残して今はありませんが、藩政期には桑島氏が居住してた。長屋門は、赤戸室でやや反りをもった亀甲積みの基礎の上に、壁は太い押縁の付いた下見板部と軒下の白漆喰の小壁とが好対照をなしている。屋根は、現在瓦葺きだが、昭和3年(1928)までは板葺き石置きだった。

◇雪の長町武家屋敷跡2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

◇雪の長町武家屋敷跡2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

(つづく)



ユーチューブ 「雪の長町武家屋敷跡2021」

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」②(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-25 04:09:33 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1954)

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」②(ユーチューブ連動解説版)



■写真は菱櫓・五十間長屋・橋爪門図



〇伝統的先端技術の伝承

さまざまな伝統技術の上に築かれた金沢城。これは知恵の塊、いわば、木造建築における先端技術の膨大な集積です。日本に古代建築物が多く現存するのは木造建築だったからです。我々は、これら建造物はもちろん、その伝統技術をも次の世代に引き継がなければなりません。それが伝統文化なのです。今回の工事では、職人のほとんどが石川県人です。未来の匠(たくみ)を目指して、技術の伝承を受けようと若い人材も多数参加しました。
*この模型を使って職人の勉強を行った。





■写真は木組み



〇五十間長屋

五十間長屋は武器等の倉庫。







■写真は五十間長屋から見る二の丸発掘調査と二の丸平面図、玄関図





〇五十間長屋の窓

五十間長屋の両側にたくさんの窓がありますが、この窓にもちょっとした工夫が施されています。二の丸側は1階と2階と同じ場所にあります。つまり、二の丸から見ると、縦に並んでいますが、三の丸側は、二の丸側と違って、1階と2階が互い違いにずらして造ってあります。この違いは、三の丸側は「戦」を想定して、死角ができないように交互にずらせて造ってあり、二の丸側は美観を考えてデザインされています。











■写真は橋爪門続櫓

〇橋爪門(平成27年3月復元)

橋爪門は、寛永8年(1631)の大火後に整備された二の丸の正門。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇る。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、二の丸御殿へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、二の門の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門。

文化五年(1808)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(1809)に再建された姿を復元している。今回の整備では、平成13年に復元された「一の門」に続く、「二の門」と「枡形二重塀」を復元することとし、平成24年6月に工事着工、平成27年3月に完成した。





■写真は橋爪門二の門





■写真は橋爪門二の門から見る枡形と二の丸方面



〇海鼠(なまこ)壁

海鼠壁という名の由来は、平瓦相互の間にできる目地に漆喰(シックイ)を盛り上げて塗る筋塗りのその断面が、海鼠に似ているからと言われています。石川門に続く土塀や「鶴丸土塀」などのなまこ壁の内側には、鉄砲狭間(鉄砲を打つための穴)が隠されている。
海鼠壁の城は現存しているのは金沢城と新発田城のみ。



〇鉛瓦

まず、木で屋根を作りその上に、厚さ1.8mmの鉛板を張り付けます。この鉛瓦の鉛には、少量(0.06~0.08%)の銅を添加してあり、銅を添加することにより強さや硬さ、それに酸に腐食されないための耐酸性を高めます。(伝統工法)

なぜ、鉛瓦を使うようになったのかは分りませんが、江戸城にも使われており、江戸時代の古文書には、「鉛瓦を使用したのは名城の姿を壮美にするため」と書かれている。推定ですが積雪による荷重の軽減化や戦いの際の鉄砲弾丸用ともいわれている。



■写真は出土した刻石

◇金沢城関係紹介ページ

◇金沢城公園巡り1 金沢城の歴史背景

◇金沢城公園巡り9 菱櫓レポート(その1)

◇金沢城公園巡り10 菱櫓レポート(その2)

◇金沢城公園巡り12 五十間長屋レポート(その2)

(つづく)

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」①(ユーチューブ連動解説版)

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」②(ユーチューブ連動解説版)



ユーチューブ 必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」

◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク②(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-13 04:42:01 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1948)

◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク②(ユーチューブ連動解説版)

高山右近は、天文21年頃(1552)摂津国高山生まれで天正16年(1588)高槻城主となった右近は、織田信長、豊臣秀吉の元で、武将や茶人として活躍しますが、茶人としては千利休の高名な弟子「利休七哲」されている。
秀吉は、天正15年(1587)に伴天連追放令を発し、右近は追放され、天正16年(1588)に、初代加賀藩主前田利家の元、金沢に迎えられ、「南方等伯」名のっていた。前田家での右近は八王子攻めやは大聖寺城攻めなどの武将としてだけではなく、金沢城の改修や惣構の築造にも深く関わっていたと伝えられている。

慶長19年(1614)のキリシタン教禁止令によって、前田家を離れることになります。右近は妻子らとともに金沢を立ち、長崎から、フィリピン・マニラへと出航し、翌年にマニラに到着しますが、病にかかった右近は翌月の元和元年(1615)になくなりました。

今回は高山右近が活躍した金沢城惣構堀や、切支などゆかりの地金沢駅地下もてなしドーム広場発着(約10キロ)を巡ります。



〇黒門前緑地の豪姫屋敷跡看板

豪姫は利家と松の四女で宇喜多秀家の妻。豪姫は大阪でキリシタンになった後、金沢に帰り、この地に居住したと伝わる。受洗名はマリア。





〇甚左衛門坂入り口の伴天連屋敷跡

金沢城西側と城下をつなぐ甚右衛門坂の下周辺には、伴天連屋敷(宣教師の屋敷)があったと伝わっており、内藤如安、浮田休閑など、右近を頼って金沢にきたキリシタン武将や加賀藩士が集まっていたと推測される。現在の兼六園横の紺屋坂に隣接する箇所であったようだ。



〇金沢城大手門

本願寺による金沢御堂を起源とし佐久間盛政によって築城、前田利家が入城し本格的に整備した平山城。新丸や大手門の整備が右近の設計によるものと言われている。



〇OPEN効果もあって、移転前のたけはしの入場者数が3倍になったとか?

■国立工芸館の参加者



〇県立美術館裏の右近屋敷跡

高山右近の屋敷は、大乗寺の由緒書などから本多家の上屋敷周辺の大乗寺跡地で、現在の石川県立美術館周辺から金沢21世紀美術館周辺と言われている。



〇中村美術館

茶道具と工芸の美術館で、右近の茶道の師である千利休作の茶杓や、右近によってキリシタンに改宗した蒲生氏郷が所有していたと伝わる茶杓や右近の娘ルチアが嫁いだ横山家伝来の茶入を所蔵しています。







〇西外惣構跡 旧宮内橋詰遺構

ケヤキの巨木が土塁と盛土とともに残っている。隣接地の21世紀美術館脇へ堀が延びて折り、堀の雰囲気が長い区間イメージできる唯一の場所。



〇カトリック金沢教会の高山右近像

教会入り口右側には高山右近銅像があり、高山右近、細川ガラシャなどを描いたステンドグラス、右近の聖遺物、右近所用と伝わる香炉、マリア観音像、聖母子像などを見ることができる。







〇前田土佐守家資料館

加賀八家の前田土佐守家資料館。1階展示室の前田利家遺言状(現代語訳)には「高山南方(右近)を大切にすること」とある。







〇寺町「立像寺」庭園のキリシタン灯籠

境内に、高山右近作と伝わるキリシタン灯籠(非公開)がある。





参考)玉泉園庭園内のキリシタン灯籠

玉泉園庭園の初代脇田直賢が、青と戸室石を用い班の石工に造らせたもの。利休七哲の一人、古田織部が考案したことから織部灯籠と呼ばれる。金沢で最古のキリシタン灯籠である。



◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク①


(つづく)



□ユーチューブ「高山右近ゆかりの地巡りウオーク」
https://www.youtube.com/watch?v=34qA7senkUo

◇初詣2021 尾山神社、宇多須神社

2021-01-21 04:28:27 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1939)

◇初詣2021 尾山神社、宇多須神社

今年の初詣は1月2日に尾山神社。4日に宇多須神社に参拝しました。

〇尾山神社

慶長4年(1599)に加賀藩藩祖前田利家を祭り創建された卯辰八幡社(現宇多須神社)を、明治6年(1873)に卯辰山から金沢城の出丸金谷御殿跡地(現在地)に移し、本殿、拝殿が建てられ、尾山神社とした。尾山神社の神門は明治8年(1875)に完成。神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗です。 明治10年聖上北陸御巡幸金沢に御駐輦に際し、御幣物奉納爾後数回御幣帛下賜。明治35年別格官幣社に昇格。御祭神:前田利家、まつ















■写真は尾山神社



〇宇多須神社

通称毘沙門さんと云う。佐和田川(今の浅野川)の辺の小丘から出た古鏡の裏面に卯と辰との紋様があったので卯辰神とし、養老2年(718)多聞天社と称して創建された。また藩祖前田利家公を卯辰八幡宮と称して祀ってあり代々藩主の祈祷所として崇敬篤かった。明治2年高皇産霊社と改め、同5年卯辰社と改称、33年(1900)宇多須神社と改め、同35年(1902)県社に昇格。御祭神:高皇産靈神 武甕槌男命 大國主神 市杵嶋姫命 大山祇命 八重言代主命 少彦名神 宇迦之御魂命 豐受大神 崇徳天皇















■写真は宇多須神社

(つづく)

◇秋の金沢2020 しいのき緑地

2020-11-07 04:30:51 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1906)

◇秋の金沢2020 しいのき緑地

〇しいのき迎賓館・しいのき緑地

長く石川県政の歴史を刻んできた旧県庁をリニューアルした「しいのき迎賓館」。正面は大正13年(1924)建築の格調ある意匠をそのままに、反対面は現代的なガラスの空間に生まれ変わりった。
しいのき緑地は、しいのき迎賓館と金沢城公園の間の広大な緑地で、イベントや市民の憩いの場所として親しまれている。

■写真はしいのき迎賓館



■写真しいのき緑地とアメリン楓通り









■写真はしいのき緑地





■写真歩道の寄せ植え

撮影日:2020.10.25

(つづく)

◇前田土佐守家資料館 勉強会

2020-09-26 04:20:24 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1894)

◇前田土佐守家資料館 勉強会

9月19日(木)金沢PHPほんとうの時代友の会「飛び出せ例会」を前田土佐守家資料館で開催した。友の会打合せの後、竹松幸香学芸員の解説で、前田土佐守家の歴史や、芳春院(おまつの方)は孫直之をかわいがり利常に勧め、家臣となり、また自身の石高を引き継ぎ1万石以上にした。芳春院自筆消息では古文書の読み方など解りやすく解説していただきました。
その後、館内の自由内覧を行った。



〇前田土佐守家資料館

前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。 当館所蔵の資料は、土佐守家歴代当主が文書の保存・整理に努めてきたため、散逸や損傷等が少なく、膨大な歴史資料が良好な状態で保存されております。 また、土佐守家は加賀藩の重臣として、常に藩政の中枢に位置する家であったことから、土佐守家の草創期(天正期)から明治にいたる間の様々な分野にわたる史料がみられ、加賀藩政、文化史研究を進めてゆく上でも、その重要性が広く知られています。



〇前田家と前田土佐守家

前田土佐守家すなわち直之系前田家は、藩政期においては利政から直信までの10代を数え、初め1万50石、4代直堅以降は1万1000石の禄を世襲した。当家の家祖となる前田利政は、加賀藩祖前田利家・その夫人まつの次男である。したがって当家は加賀藩主前田家の分家筋にあたる。
家祖利政は七尾城にあって能登国22万石余りを領有していたが、関ヶ原の戦いで徳川家康の出兵要請に応じなかったことにより領知を没収された。その後京都に隠棲し、かの地では多くの文化人や豪商たちと交流を重ね、寛永10年(1633)京都で没した。
利政の嫡男である2代当主直之は、幼少時に祖母芳春院(前田利家夫人まつ)にひきとられて養育された。祖母芳春院の尽力があって、元和元年(1615)12歳の時、3代藩主前田利常に召し抱えられた。これ以後、前田土佐守家は藩政期を通じ1万余石の禄高をもって代々「八家」の一つとして藩の要職を歴任し、10代当主直信の時に明治維新を迎えた。
(前田土佐守家資料館HP)より



〇歴代当主

家祖利政(としまさ)- 従四位下・侍従、賜羽柴姓。通称羽柴能登侍従。
2代直之(なおゆき)- 無官。
3代直作(なおなり)- 無官。「加賀八家の前田土佐守家」初代といえる。
4代直堅(なおかた)- 近江守。
5代直躬(なおみ) - 土佐守。
6代直方(なおただ) - 土佐守。
準代直養(なおやす)- 直方より早逝した。
7代直時(なおとき) - 土佐守。
8代直良(なおさだ) - 近江守。
9代直会(なおより) - 夭折のため無官。
10代直信(なおのぶ) - 土佐守。
11代直行(なおつら) - 男爵。
12代(政雄) - 直行に先立って死去し、実際には家督を相続していないが、名目上12代当主として扱われる。
13代正昭 - 男爵。
14代直大 - 前田土佐守家資料館々長(金沢在住)

■写真は竹松幸香学芸員の解説



■写真は1F、2F展示室(展示室は撮影禁止のためHPより)





〇企画展「雅堂文庫」

雅堂文庫は、前田土佐守家11代当主前田直行が昭和16年(1941)に、
前田土佐守家伝来の書物や自身の蔵書の一部を、現在の金沢市立玉川図書館
の前身である大礼記念金澤市立圖書館に寄贈したもので、同館にて整理・分類
され、直行の号を冠した「雅堂文庫」として公開されて広く知られるように
なった。

■写真は1F展示室と庭





■写真は2F

□前田土佐守家資料館

(つづく)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.2 ①

2020-09-19 04:14:00 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1890)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.2 ①(ユーチューブ連動解説版)

〇寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、68の寺社(2020.1現在)が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。



〇大蓮山妙法寺

天正元年(1573)に圓智院妙浄法尼が開基となって、尾張、荒子に建てられました。その後、領主の移転とともに、越前府中、能登府中、金沢尾張町と移り、元和元年(1615)現在地に伽藍を構えて今日に至ります。妙法寺には石川県指定文化財「圓智院妙浄(篠原一孝夫人)画像 附紺紙金泥妙法蓮華経 漆塗経箱」が伝来しています。



〇寺宝公開の仏涅槃図






□妙法寺紹介ページ

■写真は妙法寺



〇永隆山妙福寺

慶安二年(1649)、実成寺八世・本覚院日誉の創建。本堂は、宝暦九年(1759)の大火で焼失したが、本堂の向拝の操形には創建当時のものが見られる。また、当寺は加賀藩士・岡本右太夫ゆかりの寺でもある。岡本右太夫は明和年間(1764~72)に初めて江戸より金沢へ孟宗竹を移植した人物で、石川県におけるタケノコ生産の元祖といわれている。(看板より)



〇岡本家の墓



□妙福寺紹介ページ

■写真は妙福寺



〇長久山本性寺

天正十四年(1586)、三田村作内と橋本総右衛門の二人が、加賀藩初代藩主・前田利家に請うて、本性寺を枯木町に建立。越前府中本興寺の子院・教行院の僧を招いて寺主とした。後に小立野に移り、次いで河原町、そして元和二年(1616)現在地に移った。境内には、建仁寺流の宮大工・山上善右衛門の墓がある。山上善右衛門は加賀藩三代藩主・前田利常の招きで加賀藩に仕え、富山県の国宝・瑞龍寺、羽咋市の妙成寺、気多大社、小松市の梯天満宮、那谷寺などを建立した名棟梁である。また、平家関氏の墓も境内にある。関氏は、平重盛の次男・資盛が伊勢国鈴鹿郡関の谷に隠れて関と姓し、源氏の討伐から逃れた。子孫は能登の長氏に仕え、現在に及ぶ。(看板より)



■写真は本性寺



〇寺町鐘声園

寺町寺院群(寺町5丁目交差点近く)にある休憩施設。池や築山を配した回遊式の枯山水の庭園では、四季折々の風情を楽しむことができます。



■写真は寺町鐘声園

(つづく)



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