植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇一里野温泉スキー場 2021

2021-01-30 04:31:30 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1943)

◇一里野温泉スキー場2021

○一里野温泉スキー場

白山白川郷ホワイトロードの石川県側の入口近くにある、県内最大のスキー場です。一里野のランドマーク、センターハウス「あいあ?る」前には初心者やファミリーに優しい、緩い中斜面が大きく広がっています。上級者には急斜面の無圧雪のコースが3本、ステップアップを目指す皆さんには「のだいらゲレンデ」と、幅広いスキーヤーやボーダーの皆さんの滑りに対応しています。

■写真は瀬女道の駅





■写真はあいあーるゲレンデ



■写真はのだいらゲレンデ







■写真は今年2台ラッピングされたゴンドラの1台





■写真は筆者

(つづく)

◇雪の金沢城公園2021 ③(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-28 04:20:42 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1942)

◇雪の金沢城公園2021 ③(ユーチューブ連動解説版)

2021年1月9日より降り出した雪は、10日気象台9時発表で積雪64センチ。バスが交通渋滞で兼六園に着いたのは午前10時前で、金沢城公園には10時過ぎから取材した。久しぶりの雪の金沢城公園ををリポートします。



〇玉泉院丸庭園

玉泉院丸庭園は、加賀藩三代藩主「前田利常」による寛永11年(1634)の作庭を始まりとし、その後五代「綱紀」や十三代「斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで金沢城内玉泉院丸に存在していた庭園です。饗応の場として活用された「兼六園」に比べ、藩主の内庭としての性格が強い庭園だったと考えられています。庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった色紙短冊積石垣などの、意匠性の高い石垣群を庭の構成要素とする、他に類を見ない独創的な庭園であったと考えられています。



〇色紙短冊石垣群

城の石垣は本来敵の侵入を防ぐ目的であるが、金沢城公園の玉泉院丸庭園にあるこの石垣は、階段状で登り易くなっている。石質の異なる石を縦横に配して、庭園の美しい背景を造りだしており、色紙短冊石垣群と呼ばれている。







■写真は玉泉庵と休憩所















〇鼠多聞(復元)鼠多聞橋(再現)

鼠多門は、金沢城の西側の廓である玉泉院丸に位置し、水堀を跨ぐ木橋(鼠多門橋)により接続される金谷出丸からの入り口として機能していた二階建ての櫓門。創建年代は明らかになっていないが、江戸時代前期ににはすでに存在していたことが絵図等から判明しており、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在したいた。 明治4年(1871)の廃藩後は旧陸軍の直轄に置かれ、倉庫などに利用されていたが、明治17年(1884)に火災により焼失し面影は失われた。2014年より復元に向けた発掘調査や絵図・文献等調査を行い、調査結果基づき史実に沿った木造による復元を行うこととし、2018年6月に着工、2020年7月に竣工、136年ぶりに姿を現した。







■写真は金沢城公園の建築物で初めて落雪防止のため、鉛瓦にヒーターが設置された。



〇尾山神社

慶長4年(1599)に加賀藩藩祖前田利家を祭り創建された卯辰八幡社(現宇多須神社)を、明治6年(1873)に卯辰山から金沢城の出丸金谷御殿跡地(現在地)に移し、本殿、拝殿が建てられ、尾山神社とした。尾山神社の神門は明治8年(1875)に完成。神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗です。 明治10年聖上北陸御巡幸金沢に御駐輦に際し、御幣物奉納爾後数回御幣帛下賜。明治35年別格官幣社に昇格。御祭神:前田利家公、まつの方





(つづく)



ユーチューブ「雪の金沢城公園2021」

◇雪の金沢城公園2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-26 04:32:24 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1941)

◇雪の金沢城公園2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

2021年1月9日より降り出した雪は、10日気象台9時発表で積雪64センチ。バスが交通渋滞で兼六園に着いたのは午前10時前で、金沢城公園には10時過ぎから取材した。久しぶりの雪の金沢城公園ををリポートします。



〇鶴丸休憩館

平成29年(2017)4月にオープンした。「鶴の丸休憩館」は平屋建てで延べ床面積422平方メートル。館内は木を使い落ち着いた雰囲気で、総ガラス張りで菱櫓、五十間長屋、橋爪門が一望できる。また、飲食店「豆皿茶屋」も併設され、伝統工芸品の器を使い銘菓とお茶を提供する。













□鶴丸休憩館紹介ページ
https://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/52f556afc68fb82db8e14a18634e7bb4



〇鶴丸倉庫

弘化5年(1848)正月に加賀藩の大工、山本勝左衛門によって建て替えられた武具土蔵で、石川門、三十間長屋とともに城内に残る藩政期の数少ない建物の一つ。全国の城郭内土蔵の中でも最大であり、腰の石貼りや窓回りなど意匠的にも優れた遺構として、平成20年(2008)国の重要文化財に指定。明治以降、軍隊の被服宗箇などとして利用・修理されているが、基本構造は創建時のままである。



□鶴丸倉庫紹介ページ

□ユーチューブ「鶴丸倉庫公開」



〇三十間長屋

金沢城跡本丸附壇にある三十間長屋は、幅3間、長さ36.5間余の2階建の土蔵で、屋根は南面入母屋造り、鉛瓦葺、白壁の腰に海鼠瓦を貼って石垣の上に建つのは、石川門と同様であり、二階の腰にも鉛瓦葺の庇を付けている。背面には出窓を3ヶ所設けているが、中央の出窓は基礎石積みの上にのり、屋根は入母屋造り。両脇の出窓は、石川門の出窓と同じ唐破風の屋根にしている。安政5年(1858)に再建されたもので、もとは軍備倉の堅固な造りで、千飯が貯えられていたというが、後に鉄砲蔵とも呼んだらしい。、現存する金沢城の遺構は石川門とこれのみで、まことに貴重な建造物である。 昭和32年(1957)国の重要文化財に指定。





□三十間長屋紹介ページ

□ユーチューブ「三十間長屋公開」





〇二の丸広場(発掘調査)



〇二の丸御殿復元

石川県は復元整備を目指す金沢城二の丸御殿について、復元範囲を藩主が政務を執った「表向」の玄関と大広間、書院の約千坪とする方針を固めた。文化庁からもおおむね了解を得た。復元範囲は二の丸御殿全体の3分の1に相当し、3~5期と段階的に整備を進め、順次公開する。表向きは約1800坪で、復元は予算の都合の制約があることから建物や屋根などによってエリアを分けて段階的に取り組む。県は二の丸御殿復元の基本方針を2020年度内にとりまとめる予定。(北國新聞より)



■写真は石川県資料より

(つづく)



ユーチューブ「雪の金沢城公園2021」

◇雪の金沢城公園2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-25 04:35:27 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1940)

◇雪の金沢城公園2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

2021年1月9日より降り出した雪は、10日気象台9時発表で積雪64センチ。金沢城公園には10時過ぎから取材した。久しぶりの雪の金沢城公園ををリポートします。

〇金沢城公園

金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)、加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされた。慶長7年(1602)に天守が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されなかった。 金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。新幹線開業以降入場者も増え、金沢市内の人気スポットとなっている。2020年夏には鼠多門、鼠多門橋がオープンし,長町~尾山神社~金沢城公園~兼六園などの「加賀百万石回遊ルート」が完成した。



〇石川門

金沢城の搦手門(からてもん・裏門)として重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」と呼ばれた。一の門(高麗門)、二の門(櫓門)、続櫓と二重三階建ての石川櫓の重厚な枡形門に造られている。宝暦の大火宝暦9年(1759)の後、天明8年(1788)に再建され、現在に伝わっている。銀色に輝く鉛瓦に白の塗籠壁と海鼠壁が巧みに組み合わされた城門の代表です。 昭和25年(1950)国の重要文化財に指定。

□石川門内見学紹介ページ

□ユーチューブ「石川門門内見学」



〇河北門

平成22年復元された「河北門」は、河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門です。「石川門」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれている。 宝暦の大火(1759)の後、三御門の中で最初に安永元年(1772)に再建された重要な門です。





■写真は河北門と河北門からの菱櫓、五十間長屋、橋爪門



〇菱櫓、五十間長屋、橋爪門

平成13年(2001)7月に完成した、延べ床面積1894.23平方メートルの復元建物で、石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴。橋爪門は「一の門」に続く、「二の門」と「枡形二重塀」を復元することとし、平成24年6月に工事着工、平成27年(2015)3月に完成した。 3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないでいます。これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている。外壁がその強固さを示しています。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器等の倉庫。









●河北門、橋爪門は落雪のため通行止めとなっていた。

(つづく)




□ユーチューブ「雪の金沢城公園2021」


◇左義長2021 泉野櫻木神社

2021-01-23 04:42:37 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1940)

◇左義長2021 泉野櫻木神社

1月15日に泉野櫻木神社で「左義長」が行われお飾りや、お守りを納めてきました。



〇左義長

1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる。また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、その年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。



とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼き、おんべ焼き等とも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。(ウィキペディアより)

■写真は天保年間(1831-1845)建立の灯籠



〇泉野櫻木神社
 
本神社は、養老元年(717)多治見広成と云える人、尾張国名古屋の辺に小祠を建立し僧泰澄が、桜木を以て刻める御神像をお祀りなされたのが始まりで、明治5年(1872)桜木八幡社と称し、明治15年(1882)泉野桜木神社と改称し、泉野新村にありし法受社を明治39年(1906)に本神社に合祀す。明治6年(1873)村社に列せられた。









(つづく)

◇初詣2021 尾山神社、宇多須神社

2021-01-21 04:28:27 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1939)

◇初詣2021 尾山神社、宇多須神社

今年の初詣は1月2日に尾山神社。4日に宇多須神社に参拝しました。

〇尾山神社

慶長4年(1599)に加賀藩藩祖前田利家を祭り創建された卯辰八幡社(現宇多須神社)を、明治6年(1873)に卯辰山から金沢城の出丸金谷御殿跡地(現在地)に移し、本殿、拝殿が建てられ、尾山神社とした。尾山神社の神門は明治8年(1875)に完成。神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗です。 明治10年聖上北陸御巡幸金沢に御駐輦に際し、御幣物奉納爾後数回御幣帛下賜。明治35年別格官幣社に昇格。御祭神:前田利家、まつ















■写真は尾山神社



〇宇多須神社

通称毘沙門さんと云う。佐和田川(今の浅野川)の辺の小丘から出た古鏡の裏面に卯と辰との紋様があったので卯辰神とし、養老2年(718)多聞天社と称して創建された。また藩祖前田利家公を卯辰八幡宮と称して祀ってあり代々藩主の祈祷所として崇敬篤かった。明治2年高皇産霊社と改め、同5年卯辰社と改称、33年(1900)宇多須神社と改め、同35年(1902)県社に昇格。御祭神:高皇産靈神 武甕槌男命 大國主神 市杵嶋姫命 大山祇命 八重言代主命 少彦名神 宇迦之御魂命 豐受大神 崇徳天皇















■写真は宇多須神社

(つづく)

◇大雪の兼六園2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-19 04:29:23 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1938)

◇大雪の兼六園2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

2021年1月9日より降り出した雪は、10日気象台9時発表で積雪65センチ。兼六園は高台にあり、75センチ位か?
バスが交通渋滞で兼六園に着いたのは午前10時前であった。久しぶりの大雪の兼六園をリポートします。

〇唐崎松

月見橋の傍らにあり、霞ヶ池に面して立っている。兼六園の松木は約560本。そのほとんどが黒松と赤松である。唐崎の松は黒松で、13代藩主斉泰が松の名勝地、琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたもの。地面を這うように広がる見事な枝振りの松で、特に円錐形の雪吊りが施された様子は兼六園を代表する景観の一つである。



■写真は唐崎松



■写真は千歳橋からの曲水



■写真は七福神山



〇根上松

名の由来は、40数本の根が地上2メートルまでせりあがることからで、これは、土を盛り上げて若松を植え、成長にともなって土を取り除き、今の形につくり上げたものだ。樹齢約200年、高さ15メートル以上の堂々たる姿は、唐崎の松とともに兼六園を代表する名松である。

■写真は



〇明治記念標

千歳台の中央に立つ日本武尊像。左には石川県戦士尽忠碑がある。西南戦争で命を落とした石川県兵士400名の慰霊のために建立された。日本武尊像は日本で最初の屋外人物の銅像といわれている。銅像の着物が左前になっているのは古代の女性の服装で、日本武尊が女の姿をして熊襲を倒したという伝説による。身長は5m50cm、台石の高さは6m50cmと巨大だが、台石はセメントなどを使わずに石を積み上げただけのもの。昭和63年(1988)、造りはそのままにして全面改修が行われた。その際、銅像に鳥のフンが全く付いていなかったことから、金沢大学の広瀬幸雄教授が銅像の成分を分析し、鳥除けの合金を開発。平成15年(2003)にユーモアと独自性のある研究に贈られるイグ・ノーベル賞を受賞した。


■写真は明治記念標と手向け松





■写真は花見橋



■写真は雁行橋と雪見灯籠



■写真は月見灯籠



〇ことじ灯篭

現在兼六園のシンボルであり、写真撮影ポイントになっている徽軫(ことじ)灯籠は、霞ヶ池の北岸にある。脚が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱に似ていることから名が付いた。
文久3年(1863)の「兼六園絵巻」では、現在の位置から程近い池の中に両足等長で立っていた。初代は粟ヶ崎の豪商・嶋崎徳兵衛が献上したもの。現在は2代目で昭和53年(1978)に日本伝統工芸士認定の西村氏によって造られ、使われた石材は、初代と同様、香川の庵治御影石(宝珠、中台、中台受)、岡山の北木御影石(笠、両足)兵庫の本御影石(火袋)で造られている。







〇虹橋

霞ヶ池の北岸、徽軫灯籠の手前に架かる、長さ4m99cm、幅1m10cm、厚さ30cmの一枚橋。園内の切石橋の中で6mの黄門橋に次いで2番目に長い。赤戸室石の反橋で、琴の形のように緩やかな曲線を描いていることから、琴橋ともいう。橋のすぐ上流に落ちている小さな滝は琴の糸を表しているともいわれ、この辺りは琴にちなんで形づくられたと推測される。徽軫灯籠と虹橋を中心とした眺めは兼六園を代表する景観で、記念撮影の定番スポットとなっている。

■写真はことじ灯籠と虹橋





■写真は茶店通り

◇大雪の兼六園2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

(つづく)



ユーチューブ「大雪の兼六園2021」

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◇大雪の兼六園2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-18 04:32:58 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1937)

2021年1月9日より降り出した雪は、10日気象台9時発表で積雪65センチ。兼六園は高台にあり、75センチ位か?バスが交通渋滞で兼六園に着いたのは午前10時前であった。久しぶりの大雪の兼六園をリポートします。

■写真は真弓坂口(広坂交差点)



〇兼六園概要

兼六園は加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。

■写真は瓢池(ひさごいけ・旧蓮池庭)



今回は真弓坂口より、瓢池、翠滝、夕顔亭、栄螺山、霞が池、千歳台、花見橋、雁行橋、唐崎松ことじ灯籠、茶店通りを巡ります。金沢でも珍しい大雪の兼六園をお楽しみください。



〇翠滝

霞ヶ池から流れ出て瓢池に注ぎ込む、園内最大の滝です。高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富、滝音も大きく、目と耳を楽しませてくれます。その荘厳さと迫力は他庭にはないスケールで、兼六園の中でも特に優れた庭景の一つです。別名「紅葉滝」とも呼ばれています。

■写真は翠滝と海石塔



〇夕顔亭

瓢池の東岸にある茶室。時雨亭、内橋亭、舟之御亭とならぶ蓮池庭四亭の一つ。11代藩主治脩が、宝暦の大火(1759)で焼失した蓮池庭を復興すべく、翠滝とともに安永3年(1774)に建てたもので、その地に往時のまま残る園内唯一の建物である。三畳台目、下座床、相伴席をもつ形式で、京都・藪内家の茶室「燕庵」とほぼ同じであることから、その写しともいわれている。蹲口がなく、障子2枚からなる貴人口がある。小間でありながら翠滝の景観を楽しむ開放的な茶室だ。夕顔亭の名は、床の袖壁に夕顔(瓢箪)の透かし彫りがあるからで、これは後世の呼び名である。当時は「中嶋の茶屋」「瀧見の御亭」とも称されていた。





■写真は夕顔亭



■写真は三芳庵水亭



■写真は雪見灯籠



■写真は栄螺山の唐傘







■写真は栄螺山からの唐崎松



〇霞ヶ池

兼六園の中心部にある一番大きな池。面積は約5800平方m、水深は最も深いところでm50cm。曲水は虹橋下流で霞ヶ池に流れ込み、内橋亭付近の流出口から翠滝になって、瓢池へ落ちる。池を中心にして栄螺山、内橋亭、徽軫灯籠、虹橋、唐崎の松、蓬莱島などの名勝が配置され、回遊しながら多様な景色が楽しめる。

■写真は霞ヶ池南からの唐崎松





〇内橋亭
池の上に立つ水亭と手前のお部屋の間に橋が掛かっていることから「内橋亭」と呼ばれました。もと蓮池庭(兼六園の始まりとなった庭園)内にありまった四亭の中の一つで、鯰之亭(なまずのてい)ともいわれており大変歴史のある建物です。霞ヶ池に浮ぶ茶屋。夕顔亭、時雨亭、舟之御亭とならぶ蓮池庭四亭の一つ。普段、池に浮ぶ本席は非公開だが、毎年5月7日の開園記念日茶会の時のみ公開されている。

■写真は内橋亭

◇大雪の兼六園2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

(つづく)



ユーチューブ「大雪の兼六園2021」

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◇ひがし茶屋街巡り2020 ⑤(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-16 04:46:22 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1936)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ⑤(ユーチューブ連動解説版)

〇ひがし茶屋街の概況

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。現在5軒の茶屋が営業しており、12名の芸妓さんが所属している。(2020.9現在)

〇東山オーベルジュ 薪の音 金澤



〇経田屋穀物店

経田屋米穀店は、藩政末期に現在地で米穀商として創業。製粉業も兼ねる金沢で最も古い米店の一つです。建物は、明治37年(1904)頃に建築されました。旧観音町通りに面する前部外観は、現在でも使用されている蔀戸、庇下の下がり、2階の格子窓・袖卯建、さらに大屋根軒先の風返し等、往時の町家の旧態をよくとどめており、旧観音町通りの町並み景観を支えている。





〇ひがし茶屋休憩館

観音町通りにある、ひがし茶屋休憩所。江戸時代に建てられた町家を復元し、当時の人々の暮らしが感じられる施設となっている。館内には観光案内のパンフレットなどが置いてあり、情報収集に便利。観光ボランティア「まいどさ」が常駐しており、ひがし茶屋街界隈を親切に案内してくれます。ガイド料金は無料







〇三味線専門店「福島三絃店」

江戸時代後期から約150年続く、三味線専門店「福嶋三絃店」ではお客様のオーダーに応じて三味線を手作りしている。
三味線専門店「福嶋三絃店」は江戸時代後期から約150年続くお店で、三味線体験もできる。



□福島三絃店ホームページ

〇多華味屋(たかみや・ひゃきまん焼き)

築150年江戸末期の町家を改修再生し、2020年4月にオープンしたお店。



◇ひゃくまんさん焼き
・粒あん、カスタードクリーム=200円
・黒豆あん、豆腐レアチーズ、抹茶クリーム=250円









□多華味屋紹介ページ

□多華味屋フェイスブック

番外)
〇現在では珍しい木製電柱と赤円柱ポスト(いずれは無電柱化やポストは廃止されるだろう)



◇ひがし茶屋街巡り2020 ①(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ②(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ③(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ④(ユーチューブ連動解説版)

(つづく)



□ユーチューブ「ひがし茶屋街巡り2020 ②」


◇ひがし茶屋街巡り2020 ④(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-14 04:20:46 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1936)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ④(ユーチューブ連動解説版)

〇ひがし茶屋街の概況

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。現在5軒の茶屋が営業しており、12名の芸妓さんが所属している。(2020.9現在)

〇柴舟小出



〇そば「そやさけい」



〇東山ギャラリー「エッジ」
北陸のモノづくりを発信するギャラリーショップ





□ギャラリー「エッジ」紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

〇金箔化粧品専門店「KINKA」(箔一の金箔コスメ)

2020年春にオープンした箔一の和コスメショップ



□KINKAホームページ

〇東料亭組合



〇菓舗 Kazu Nakashima



〇金澤寿し

ひがし茶屋街にある「金澤寿し」で”金沢の伝統昔ながらの祭寿し”を体験しました。金沢観光に詳しい店員さんに手ほどきをしてもらい何とかでき、その場で、蕎麦などのセットを注文していただきました。なお、持ち帰りも可能とのこと。

木枠を使って作る金沢伝統の押寿しです。紺のりといわれる青色にした乾燥海藻(えご草)を使うのが金沢流。







□金澤寿し紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

〇Cafe&Ber ゴージュ



◇ひがし茶屋街巡り2020 ①(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ②(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ③(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ⑤(ユーチューブ連動解説版)


(つづく)



□ユーチューブ「ひがし茶屋街巡り2020 ②」
https://www.youtube.com/watch?v=PFuRrjLczzk

◇ひがし茶屋街巡り2020 ③(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-12 04:28:28 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1936)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ③(ユーチューブ連動解説版)

〇ひがし茶屋街の概況

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。現在5軒の茶屋が営業しており、12名の芸妓さんが所属している。(2020.9現在)



〇不室屋
慶応元年(1865)創業より、伝統の製法、味、技を伝承し、ひとすじに加賀麩を永々とつくり続けている。



〇春乃家
2階が春乃家で現在も営業している茶屋。体験会に参加した。(撮影:2011.6.18)





□春の屋紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)



〇ひがしやま酒楽



〇多聞(たもん)

「cafe 多聞(たもん)」は、金沢に惚れこんだMEGUMIさんが初めて出店する飲食店で、メインメニューのパンケーキには石川県産の小麦の他、金箔や能登大納言小豆、加賀野菜「五郎島金時」など地元産の食材が使用している。







□多聞紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)



〇宇多須神社

通称毘沙門さんと云う。佐和田川(今の浅野川)の辺の小丘から出た古鏡の裏面に卯と辰との紋様があったので卯辰神とし、養老2年(718)多聞天社と称して創建された。また藩祖前田利家公を卯辰八幡宮と称して祀ってあり代々藩主の祈祷所として崇敬篤かった。明治2年高皇産霊社と改め、同5年卯辰社と改称、33年(1900)宇多須神社と改め、同35年(1902)県社に昇格。御祭神:高皇産靈神 武甕槌男命 大國主神 市杵嶋姫命 大山祇命 八重言代主命 少彦名神 宇迦之御魂命 豐受大神 崇徳天皇











〇毎年行われる節分祭りのひがし芸妓連中踊りと豆まき。(撮影:2018.2.3)





◇ひがし茶屋街巡り2020 ①(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ②(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ④(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ⑤(ユーチューブ連動解説版)

(つづく)



□ユーチューブ「ひがし茶屋街巡り2020 ②」

◇金沢の正月飾り2021-2 金沢城公園、香林坊ほか

2021-01-10 04:27:13 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1939)

◇金沢の正月飾り2021-2 金沢城公園、香林坊ほか

全国各地それぞれの独特の正月飾りがあると思うが、なにげない風景も、他地域から見ると違うかもしれないとの思いで、金沢市内を取材してみました。


□正月とは?

正月とは本来、その年の豊穣を司る歳神様をお迎えする行事であり、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っています。



〇数の子飾り

金沢城公園の橋爪一の門に藩政期のしめ飾りを再現した「数の子飾り」が取り付けられた。しめ飾りは長さ5.4メートルで、子孫繁栄の願いを込めて数の子を模した形状をしている。藩政期の元日登城の様子を描いた絵図「加賀藩儀式風俗図絵」を参考に、野々市市のワラ工芸師吉岡克己さん(81)が仕上げた。しめ飾りは1月15日まで飾られる。





■写真は金沢城公園橋爪門数の子飾り























〇しいのき迎賓館









◇金沢の正月飾り2021-1 ひがし茶屋街

(つづく)

◇金沢の正月飾り2021-1 ひがし茶屋街

2021-01-09 04:38:59 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1938)

全国各地それぞれの独特の正月飾りがあると思うが、なにげない風景も、他地域から見ると違うかもしれないとの思いで、金沢市内を取材してみました。



□正月とは?

正月とは本来、その年の豊穣を司る歳神様をお迎えする行事であり、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っています。





〇武田流門松とは

戦国武将・武田信玄が考案したとされる正月飾り「武田流門松」は3本の竹を水平に切っているのが特徴だ。門松の竹は斜めに切るのがポピュラーだが、信玄に敗れた徳川家康が「竹(武田家)を斬る」という意味で始めたとの説もある。武田流は竹を真横に切り、宿敵・松平家(後の徳川家)を松になぞらえ、竹より下に飾る。

□風林火山 甲陽戦国隊ホームぺージ





□正月飾りとは?

正月飾りは、その歳神様を心から歓迎するための準備として飾るものです。よく知られている正月飾りに門松、しめ飾り、鏡餅があります。

1)門松は、歳神様の依代(よりしろ)と言われており正月飾りのなかで、最も重要なものとされています。歳神様が迷わず降りて来るための目印となるものです。

2)しめ飾りは、新しい藁に裏白(うらじろ)、ゆずり葉、橙(だいだい)などをあしらって作ったお飾りをしめ飾りといいます。新しい藁は、古い年の不浄を払うという意味があり裏白は長寿、ゆずり葉は子孫の繁栄、橙は家系の繁栄を願ったものです。
 しめ飾りは神様を迎える清浄な場所を示すために飾るものですが、玄関に飾ることで、災いが外から入る事を防ぐといわれています。

3)鏡餅は、お正月を迎えるために飾る飾りというイメージの強い鏡餅ですが本来は、歳神様を迎えるために供えるお供物です。鏡餅が丸い形は円満を、2つ重ねるのはかさねがさねを表しています。つまり、円満に年を重ねるという意味です。(以上インターネットより)





























(つづく)

ひがし茶屋街巡り2020 ②(ユーチューブ連動解説版)

2021-01-07 04:15:39 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1937)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ②(ユーチューブ連動解説版)

〇ひがし茶屋街の概要

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。現在5軒の茶屋が営業しており、11名の芸妓さんが所属している。(2020.12現在)

〇箔座ひかり蔵





□ひかり蔵紹介ページ1(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

□ひかり蔵紹介ページ2(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)



〇懐華楼

懐華楼は、ひがし茶屋街の中ほどにある金沢で一番大きな築180年のお茶屋(旧越濱)です。昼は、一般に広く公開され、夜は一見さんお断りを通して、今もなお一客一亭で華やかなお座敷が上げられています。平成3年に金沢市保存建造物に指定されている。







□懐華楼紹介ページ(植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」)



〇藤とし

玄関を入ると、赤松がすくっと伸びて天井を貫いている。この松の木は、2階の床の間の間を通り、さらには屋根裏を突き抜けて屋根の上に顔を出している。「お松の方」と呼ばれ、時々女将さんがお酒を飲ませている。この松は文化文政頃からといわれ、樹齢は200年以上で高さ8メートル。





□藤とし紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)



〇福光屋ひがし



〇八しげ(茶屋)

現在営業しており3名の芸妓が所属している。



〇森八



〇茶房一笑



□茶房一笑紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ①(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ③(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ④(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ⑤(ユーチューブ連動解説版)

(つづく)



□ユーチューブ「ひがし茶屋街巡り2020 ①」

◇ひがし茶屋街巡り2020 ① (ユーチューブ連動解説版)

2021-01-05 05:00:46 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1936)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ① (ユーチューブ連動解説版)

〇ひがし茶屋街の概況

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋
をここに集めて町割りしたもので、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子
がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、
今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。
現在5軒の茶屋が営業しており、11名の芸妓さんが所属している。(2020.12現在)



〇金箔さくだ町屋店



〇円長寺



〇うしおや

2016年4月オープン。近江町いちば店で人気の「たたき丼」各種をはじめ、海産物処ならではの様々なぞうすいやお茶漬けを味わうことができる。また看板商品の「鰤のたたき」などの販売も行っている。



〇中田屋東山茶屋街店

「きんつば」で有名な中田屋東山茶屋街店。2階には甘味処和味がある。



〇自由軒
1909年創業の老舗洋食屋で、創業以来受け継がれてきた伝統の味を守り続けている。「ひがし茶屋街」の入り口
に位置していることもあり、特に北陸新幹線開業後は県外をはじめ海外からのお客様もたくさんも多い。

□自由軒紹介ページ(植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」)



〇箔一東山店

ひがし茶屋街で長く親しまれてきた銭湯「東湯」。その風情を残したまま新しい名所として生まれ変わりました。店内はひがし茶屋街の伝統的な雰囲気をイメージし、紅殻色や格子を使い、金箔をあしらった「金箔の庭」が癒しの空間となっている。人気の金箔ソフト(税込み891円)は並ばないと購入できない。





〇民宿陽月(ようげつ)

古い街並みが残る「ひがし茶屋街」で民宿を営んで40年。収容人数は8人で、料金もリーズナブルで日が暮れたあと、軒下灯の明かりに照らされる石畳の街並みは情緒満点。



〇志摩

文政3年(1820)に建てられた格式の高いお茶屋の建物で、これまで手を加えることなく、江戸時代の建物がそのままに残っている貴重な文化遺産です。封建的制度のもと、町方にわずかに許された娯楽と社交の場として、お茶屋には主に上流町人や文化人たちが集い、遊びと言っても琴、三弦、笛に舞、謡曲、茶の湯から俳譜など多彩で、客、芸子ともに幅広く高い教養と技能が要求されました。
全国的に見ても数少ない茶屋建築の遺構の1つで当時の庶民文化を知る貴重な建築であることから平成15年(2003)に国の重要文化財に指定された。









〇味の十字屋

昭和27年(1952)創業。日本の食卓にかかせない味を求めて「山の幸、川の幸、海の幸」を、北陸に古くから伝わる伝統の技と最上の素材で販売している。

◇ひがし茶屋街巡り2020 ②(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ③(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ④(ユーチューブ連動解説版)

◇ひがし茶屋街巡り2020 ⑤(ユーチューブ連動解説版)

(つづく)



□ユーチューブ「ひがし茶屋街巡り2020 ①」