植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢市辰巳用水訪探レポート(その4)

2012-11-30 04:52:25 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その116(No.227)

◇金沢市辰巳用水訪探レポート(その4)

■写真は兼六園、金沢城高低図



■写真は金沢城内の堀



□辰巳用水の石管
 当初は木管が用いられていたが、後に石管に替えられた。
石管は石川県立歴史博物館の中庭等で保存されている。
 石管には、富山県砺波市で産出した金屋石が使用され、
富山県十二貫野用水の第一分水である龍の口用水で使われ
た技術が利用されている。

■写真は石菅(歴史博物館)



■写真は広坂の辰巳用水(市役所前付近)



□板屋兵四郎 
 小松の町人板屋兵四郎には謎も多い。藩による毒殺説も
ある。
 実は加賀には、もう一人、兵四郎がいる。能登の塩田に
携わった小代官・下村兵四郎。塩田の造成には、水平面を
決める緻密な測量技術が要求される。兵四郎はその技術を
買われて、1625年、輪島の尾山用水、春日用水を築いたと
ある。また、能登名所・白米[しろよね]千枚田の用水にも
関わっている。さらに、辰巳用水の五年後には、富山県
の常願寺川近くの用水工事も行っている。

■写真は金沢神社境内にある板屋神社遙拝所

金沢市辰巳用水訪探レポート(その3)

2012-11-27 04:30:57 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その115(No.226)

◇金沢市辰巳用水訪探レポート(その3)

■写真は小立野付近の用水



■写真は兼六園取水口



 構造の特徴としては、水位差を利用して水を高い位置まで
引き上げる伏越(逆サイフォン、霞ヶ池~白鳥堀~二の丸)
の手法が取り入れられており、当時、日本で初めてといえる
大がかりなものであったと言える。
 金沢城内への辰巳用水の水の引き込む方法としては、水路
橋を考えられたが、敵の襲撃や積雪による落橋の恐れから埋
設する伏越(サイホン)を導入したといわれる。辰巳用水が
完成した寛永9年(1932)には金沢城内の三の丸まで水を引
くことに成功したといわれ、二の丸まで水が引けたのは、石
引水門まで新たに木菅を伸ばし、落差による水圧を利用して
水を上げる必要があったため、完成したのは寛永11年(1634)
だったという。

■写真は兼六園霞が池



 この偉業は幕府にそれを探られる余裕をもたせないためだ
ったともいわれ、わずか9カ月でなし遂げられたと記録され
ており、これは板屋兵四郎という人物の天才的技術によるも
のが大きいとされている。今も兼六園にある日本最古の噴水
にも利用されている。

■写真は兼六園の噴水

兼六園・金沢城ライトアップ~秋の段~(その2)

2012-11-22 04:43:52 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その114(No.225)

◇兼六園・金沢城ライトアップ~秋の段~(その2)

11月17日(土)~18日(日)23日(金)~25日
(日)と兼六園、金沢城ライトアップが開催された。
兼六園は太っ腹で、今回のライトアップや花見時期などは
無料開放となる。

■写真は五十間長屋、橋詰門、菱櫓



■写真は河北門



■写真は五十間長屋



■写真は菱櫓



■写真は石川門内側の石垣
*石川門は工事中のため絵にならず残念!!

兼六園・金沢城ライトアップ~秋の段~(その1)

2012-11-20 04:43:57 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その113(No.224)

◇兼六園・金沢城ライトアップ~秋の段~(その1)

11月17日(土)~18日(日)23日(金)~25日
(日)と兼六園、金沢城ライトアップが開催された。
兼六園は太っ腹で、今回のライトアップや花見時期などは
無料開放となる。

■写真はことじ灯篭と雪吊りの唐崎松



■写真は内橋亭



■写真は花見橋付近の紅葉



■写真は雪吊りの唐崎松



■写真は噴水

金沢市辰巳用水訪探レポート(その2)

2012-11-16 04:34:25 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その112(No.223)

◇金沢市辰巳用水訪探レポート(その2)

 精密かつ短期間での工事を実現するため、川の流れに沿っ
た場所や岡の斜面の崖っぷち約30mごとに139の横穴を
あけて、横穴から上下流に向けて約15mの隧道掘削を行い
各横穴間を貫通していった。

■写真は隧道内部
通常は黒い部分までの水が流れている。(胸の高さくらい)



■写真は内部より横穴を見る



 辰巳用水を造る時に培われた高度な技術が、各地の用水事
業に与えた影響は大きかったと思われ、その難度や規模から、
長野県の五郎兵衛新田用水、江戸の玉川上水、芦ノ湖から導
水した箱根用水と並んで「日本四大用水」の一つにもなって
いる。

■写真は隧道の途中にある排水口
 隧道内に入る時や清掃時に開門される。



□日本四大用水とは
 その難度や規模から、長野県の五郎兵衛新田用水(1630年)
金沢の辰巳用水(1632年)、江戸の玉川上水(1654年)、芦
ノ湖から導水した箱根用水(1670年)とされる。明治維新以
前の最大工事といわれた箱根用水のトンネルは約1.3Km。
辰巳用水のトンネル(約4Km)がいかに長いかが分かる。


 上辰巳と辰巳町の山裾の約260mに三段石垣が造られて
いる。このあたりの斜面は地盤が弱く難所と言われ、土砂崩
れ防止のためにこの石垣が造られた。

■写真は難工事と言われた場所の三段石垣



■写真は辰巳用水遊歩道(湧波1丁目)

金沢市辰巳用水訪探レポート(その1)

2012-11-14 04:21:39 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その111(No.222)

◇金沢市辰巳用水訪探レポート(その1)

□辰巳用水の概要
 金沢市の中心部から見て辰巳(東南)の方角にあることか
らそう呼ばれるようになった辰巳用水は、犀川上流右岸の東
岩で取水し、約4Kmの隧道、開水路を経て兼六園に引水し
ている。全長12Km、金沢市の歴史的文化遺産とも言える
手掘りの水路は、今から380年前に作られた貴重なもので
ある。疏水百選の一つで一部が国の史跡に指定されている。

■写真は東岩取水所
 現在の東岩取水所は3回目の取入口で安政2年(1855)に
完成とされている。



■写真は2012年10月完成の辰巳ダム

□辰巳用水の開削と目的
 その開削は寛永8年(1631)、城下町6000戸、果ては
金沢城までもが焼失した「法船寺焼き」と言われる大火事が
きっかけと言われており、三代藩主前田利常が町の再建と同
時に、新しい町づくりと今後の防火体制を確立するためにこ
の用水を建設することになった。この他にも城の防御強化、
用水を利用した積極的な新田開発といった目的もあったと言
われ、明治中期には、農業用水として水田100ヘクタール
を潤していたとされている。



■写真は辰巳用水の全体高低図



□辰巳用水の技術
 辰巳用水は、現在でも極めて高い測量技術が要求される導
水隧道を誇り、軟弱地盤を避けて造られたため屈曲している
が、その勾配は正確無比で、必要な水量 や流速を得るため
に水路構造まで細やかな計算・工夫が随所に見られる。そし
て何よりも、現役の水路ということがその技術水準の高さを
証明している。
 総工費としては、約2700両(現在の貨幣に換算すると
3億5千万円か?)、人員述べ約14万人とされている。

■写真は隧道横穴より入る

石川四季の会体験レポート(No.2)

2012-11-09 04:32:02 | 日記


金沢の観光スポットグルメレポート その9(No.221)

◇石川四季の会体験レポート(No.2)

◇石川四季の会とは
「石川四季の会」は、2009年11月25日に石川の食の発展に賛同
する約130名で設立いたしました。
ホテルや料亭の料理長のほか、レストラン・割烹・麺類の個人
オーナー、学校・病院の管理栄養士、生産者、流通関係者並び
に行政サイドを含め「食」に関する方々が横断的に集まる会です。

会員になるにはホームページより無料にて登録できます。

「石川四季の会」ホームページ
 http://www.ishikawa-shiki.com/

■写真は真鯛のフィル アルルカン仕立て ピスタチオ添え 打木赤皮甘栗
 かぼちゃ 能登中島菜ソース
 ・金沢都ホテル        洋食料理長 中川 忠志氏 



■写真はじわもん野菜の宝石箱
 ・北国新聞会館レストラン北斗 店長・料理長 村上 正義氏



■写真は鴨シュプレーム軽い煮込み 赤ワインソース
 ・金沢国際ホテル          料理長 鈴木 真一氏   



■写真はいろいろな木の実のタルト 爽やかなカシスのソルベ添え
 ・金沢エクセルホテル東急    洋食料理長 丸山 修司氏



■写真はパン

会員になるにはホームページより無料にて登録できます。

「石川四季の会」ホームページ
 http://www.ishikawa-shiki.com/

石川四季の会体験レポート(No.1)

2012-11-08 04:33:49 | 日記


金沢の観光スポットグルメレポート その8(No.220)

◇石川四季の会体験レポート(No.1)

 11月6日(火)ANAクラウンプラザホテル金沢におい
て石川四季の会主催の「石川の四季を食する会~秋の章~
「石川の食材とルクセンブルグの出会い」に参加した。当日
は大盛況で約300人の参加者で熱気ムンムン!
 市内7ホテル・レストランの料理長が一堂に腕をふるった
料理とワイン、地ビール等を頂き至福のひと時でした。
 参加費は5000円とお手頃でおいしいものが楽しめます。

■写真は最初に挨拶する7ホテル・レストラン料理長



食べる前に撮影するのを忘れました。

■写真はマリネサーモンのロール マロマージュ・ブラン酒粕風味 
 ・ANAクラウンプラザホテル金沢 洋食料理長
                     小石 幸一郎氏 



■写真は金澤車麩のフレンチトーストとフォアグラのキャラメリゼ
・ホテル日航金沢 副総料理長兼西洋料理長 前田 伸也氏



■写真は五郎島金時のクリームスープ自家製能登牛のビーフジャーキー添え
 ・金沢白鳥路ホテル 洋食料理長      竹中 雅俊氏



■写真はテーブルに挨拶する四季の会川上会長

会員になるにはホームページより無料にて登録できます。

「石川四季の会」ホームページ
 http://www.ishikawa-shiki.com/

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その3)

2012-11-06 04:22:39 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その110(No.219)

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その3)

□当山の変遷
 当山は短期間に能登石動山、新竪町そして現在地へと移転
が行われ、寺町寺院群の中では比較的遅い時期に(1650年代)
に移築された。万一の場合の出城として、その中心的役割を
持たせたと言われる。そのため、建物全体が迷路状となり極
めて複雑な構造を有し、今日では「忍者寺」の別称持つ。
忍者寺は当寺院の登録商標で住職の張田珠潮名義である。

 文久2年(1862)には祖師堂の一部が火災にあったが、前
田家の援助を得て直ちに復興。それ以前は現在の裏門を正面
としていたが、道幅が狭く多くの参詣者による混雑のため、
北国街道の裏街道ともいえる鶴来街道側を正面とし、兼六園
内にあった竹澤御殿の正門を拝領し、現在の形が整った。

◇太鼓橋
井戸を川と見立てて室内に架けられた橋。橋の上から水を汲
み上げお茶を嗜む。

■写真は太鼓橋



◇明かり取り階段
正面の突き当たりにある階段。蹴込(けこみ)の部分に障子
を張って明かりを取り、外敵の足の影を見て槍などで倒すこ
とができる。

■写真は外から見た明り取り階段



◇切腹の間
「片どんでん返し」になっており、内側からは開けられない
仕組みになっている。非常時には自害し、火を放つための部
屋だといわれている。部屋の広さは死を表す4畳。

◇巨大な梁
雪の重みを分散するためで、北陸の豪雪に耐えるための仕組
みといえる。

■写真は二枚戸



◇落とし穴階段
本堂の階段群にある渡り廊下に見せた階段。床板をはずすと
落とし穴になり、下男部屋へ通じている。この落とし穴に落
ちると、階下で待ち伏せている下男により、攻撃される仕組
みになっている

■本堂向かって左の階段



■写真は落し穴階段



■写真は裏門

●拝観時間
  午前9時~4時30分(冬期間は午後4時まで)30分毎に
  説明案内。
●予約方法
  必ず電話でご予約下さい。(受付は3カ月前同日から)
  電話:076-241-0888
  受付時間:午前8時~午後5時まで。
●拝観料
  大人(中学生以上)800円 小学生 600円

 *当寺院ホームページを参考に記事とした。
 *内部撮影禁止のため絵葉書の写真を採用した。

●妙立寺ホームページ
 http://www.myouryuji.or.jp/

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その2)

2012-11-02 05:00:19 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その109(No.218)

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その2)

□当山の特殊な建物の構造
 当時、幕命で3階建て以上の建物は禁止されていたため、外
観は2階建てだが、内部は4階建て7層になっている。中2階、
中々2階があり、部屋数は23、階段数は29もある。その仕
掛けをのぞいてみよう。

◇謁見の間・主茶室
当山中、最も格式の高い部屋で歴代藩主が専ら用いた謁見の間
と、13代藩主・斉泰公直筆の掛け軸が掛かっている五畳半大
名茶室。奥には水屋、座敷の手洗いも昔のまま残っている。

■写真は謁見の間



■写真は茶室



◇仕掛け賽銭箱
本堂正面入り口に埋め込まれている。敵が侵入してきたときは、
落とし穴として利用される。

■写真は仕掛け賽銭箱



◇本堂裏隠し階段
物置の戸を開けて床板をまくると、階段があり外へ逃げること
ができる。外から堂内に逃げ込む際には、床板に溝が刻まれて
いるため、引き戸を閉めることで“自動ロック”がかかり開か
ない仕組みになっている。

■写真は閉まったところ(戸で下から開かなくなっている)



■写真は隠し階段 



◇井戸
深さはおよそ25mほど。茶水に利用される。水面上には横穴
があり、金沢城へ続く逃げ道になったとも云われている。 その
ため、庫裏の各部屋はこの井戸を中心に構成され、どの部屋か
らもロープを使い井戸へと逃げることができる。 しかし、当
時の技術では犀川を越えて地下通路を掘るのは困難とされ、横
穴が金沢城へと続いているかは定かではない。

 *当寺院ホームページを参考に記事とした。
 *内部撮影禁止のため絵葉書の写真を採用した。

●妙立寺ホームページ
 http://www.myouryuji.or.jp/