植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました(観光ブログ)200万ぺージ達成!

2020-07-24 04:44:26 | #金沢いしかわ#観光


◇植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました(観光ブログ)200万ぺージ達成!

2010年12月観光特使の委嘱を受けての任務として「植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました」(観光ブログ)を立ち上げ約9年7ヶ月、お陰様で200万ページを達成しました。
毎朝前日のアクセス数に一喜一憂して更新を続けてきました。今後ともアクセス、ご支援をお願いいたします。 

◇累計ページ数:2,001,041 累計IP数:591,376(人)

◎ユーチューブも始めました。



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◇加賀逆立狛犬-16 白山市編⑤ 宮永八幡神社、宮丸楢本神社、大鞆和気神社杉の宮、菅原神社八ツ矢

2020-07-10 04:17:37 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1847)

石川県には金沢市、野々市市、白山市を中心として加賀逆立狛犬が115対ある
という現在金沢市に37対、野々市市に13対、計50対が確認できた。
今回から白山市を紹介します。

◇加賀逆立狛犬-16 白山市編⑤ 宮永八幡神社、宮丸楢本神社、大鞆和気神社杉の宮、菅原神社八ツ矢



17)宮永八幡神社
・住所:白山市宮永町138
・狛犬建立:昭和4年(1929)相森







■写真は宮永八幡神社



18)宮丸楢本(ならもと)神社
・住所:白山市宮丸町1
・狛犬建立:大正6年(1917)相森







■写真は宮丸楢本神社



19)大鞆和気(おおともわけ)神社 杉の宮
・住所:白山市四ツ屋町1353-1
・狛犬建立:昭和11年(1936)







■写真は大鞆和気神社杉の宮



20)菅原神社八ツ矢
・住所:白山市八ツ矢町178
・狛犬建立:大正3年(1914)









■写真は菅原神社八ツ矢

(つづく)

◇井上靖の四高通学路を歩く!②

2020-07-01 04:39:47 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1842)

◇井上靖の四高通学路を歩く!②

今まで四高跡(現四高記念交流館)、W坂、桜畠楼(現寺町3丁目)は何回か取り上げて紹介しているが、今回は「井上靖の四高通学路を歩く」をテーマにつないでみた。井上靖が四高に柔道に熱中しながら疲れて帰る道を約90年前の昭和初期に思いを馳せながら歩きレポートする。

■写真は犀川大橋



■写真は中川除町(なかかわよけまち)



■写真は室生犀星記念碑







■写真は桜橋と桜橋から犀川上流



〇W坂(石伐坂)

石伐坂(W坂)の坂標には、「藩政時代から坂の上に職人町があった。」とある。ここで言う職人とは、「石伐坂」の名の通り石伐職人を指す。この辺りの旧町名である「上石伐町」「下石伐町」の由来には「戸室山から石を伐り出す藩の石伐職人20人の組地があったことによる。」とある。

■写真はW坂(石伐坂)



〇W坂「北の海」碑

北の海ではW坂を「腹がへると、何とも言えずきゅうと胃にこたえて来る坂ですよ」と紹介し、「この辺で足が上がらなくなる」と続きます。

〇『北の海』井上靖作

『北の海』(きたのうみ)は、井上靖の長編小説。1968年12月から1969年11月まで『東京新聞』などに連載された。『しろばんば』『夏草冬濤』に続く自伝小説、私小説3部作の3作目にあたる。

金沢の四高柔道部の夏稽古に参加し、練習する日々を過ごした洪作は、柔道のこと以外何も考えないという環境と、何よりも柔道部の面々が気に入り、受験の決意を固める。夏が終わると、金沢の街と四高柔道部の皆と別れ、受験勉強をしに両親のいる台湾へとひとり向かう。──柔道に明け暮れ、伊豆、金沢、神戸、台湾へと旅する、自由で奔放な青春の日々を鎮魂の思いを込めて描く長編小説。

□アマゾン『北の海 上』ページ



■写真はW坂





■写真は新桜坂緑地から犀川大橋、桜橋



■写真は突き当り右が桜畠楼



〇井上靖の下宿部屋(現櫻畠楼)

下宿先は旧桜畠6番丁(現寺町3丁目)にある木造2階建てで、井上靖が過ごした2階の8畳の床付座敷、小間、勉強部屋2畳、と6畳の4部屋も、当時のままとなっている。







■写真は玄関と階段





■写真は8畳の間





■写真は勉強部屋(2畳)

参考:井上靖の金沢旧制四高時代の下宿
□「市民が見つける金沢再発見の会」ホームページ

□植ちゃんの「金沢石川に恋をしました」桜畠楼 掲載ページ

(つづく)



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今後もUPします。チャンネル登録お願いします。

井上靖の四高通学路を歩く!①

2020-06-30 04:18:59 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1841)

◇井上靖の四高通学路を歩く!①

今まで四高跡(現四高記念文化交流館)、W坂、桜畠楼(現寺町3丁目)は何回か取
り上げて紹介しているが、今回は「井上靖の四高通学路を歩く」をテーマにつないでみた。
井上靖が四高に柔道に熱中しながら疲れて帰る道を約90年前の昭和初期に思いを馳せながら歩きレポートする。

■写真は石川四高記念文化交流館(正門)

○井上靖(いのうえやすし)略歴
明治40年(1907)北海道旭川生まれ、天城湯ヶ島、三島・沼津で過ごす。
昭和2年(1927)年に旧制四高に入学、昭和5年卒業。
京都帝国大学を卒業後大阪毎日新聞社に入社。
小説『闘牛』で第22回芥川賞受賞、文壇デビューは昭和25年(1950)年43歳。
現代小説、歴史小説、エッセイ、自伝的小説、詩集、シルクロードなど創作。
平成3年(1991)永眠、享年83歳



■写真は旧第四高等中学校門衛所



〇旧制第四高等中学校

1886年の帝国大学令により、北海道・沖縄県を除く全国を5区に分割しそれぞれに高等中学校を設置することが定められたが、このうち新潟・富山・石川・福井の北陸4県からなる「第4区」では、金沢に石川県専門学校(その前身は加賀藩の藩校明倫堂および維新後に設立された金沢中学校)を母体とする高等中学校が置かれることとなり、東京の旧制一高、京都の三高に次いで第四高等中学校の設立となった。

■写真は四高記念碑



〇石川四高記念文化交流館

建物は明治24年(1891)に建てられた旧第四高等中学校本館である。翌明治25年(1892)の旧第四高等中学校開校から昭和25年(1950)の旧第四高等学校閉校まで旧制高等学校として使用され、次いで昭和39年(1964)まで金沢大学理学部として使用された。平成20年(2008)に旧第四高等学校に関する資料の展示と文化活動の機会を提供する目的で設置した。



■写真は井上靖『詩集 北国』流星 碑



■写真は石川四高記念文化交流館(四高記念公園より)

□石川四高記念文化交流館ホームページ



〇井上靖の四高通学路を歩く!コース

四高跡(現四高記念交流館)~柿木畠~大工町~中川除町~桜橋~W坂~旧桜畠6番丁(寺町3丁目)

■写真はコース図



〇柿木畠「金沢教会」略歴

明治12年(1879)10月アメリカ合衆国北長老教会宣教師トマス・ウイン先生金沢に移住、伝道を開始 。昭和29年(1954)石浦町から現在地に移り、11月新会堂完成 。平成14年(2002)3月15日新会堂完成



■写真は柿木畠「金沢教会」



■写真は竪町通り



〇立野畳店(有形文化財 建造物)

立野家住宅は、寛永8年(1631)の大火のあと拝領地を受けた藩の大工衆がかつて住んでいた大工町の一角に残る町家の遺構です。立野家は畳店で現当主で7代目に当たり、明治初期にこの建物を購入しました。建築年代は不明ですが、1階平面の原形から建物後部に座敷が無かったことが明らかに確認できることから、19世紀初期は下らないものと推定される。



■写真は大工町「立野畳店」

参考:井上靖の金沢旧制四高時代の下宿
□「市民が見つける金沢再発見の会」ホームページ

(つづく)



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◇金沢の春2020-7 泉野地区周辺

2020-05-26 05:22:15 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1820)

◇金沢の春2020-7 泉野地区周辺

ウオーキング中の花々を紹介します。









■写真は金沢市総合体育館





〇毎日ウオーキングしてますけど、初めて八重咲のしかも珍しい色のツツジを発見しました。











■写真は路側植栽ツツジ





■写真は完成した人工芝ラグビー場とプール跡駐車場









■写真は高尾台地区民家









■写真は御馬神社

(つづく)

◇金沢の春2020-6 にし茶屋街、前田土佐守家資料館

2020-05-25 04:50:57 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1819)

◇金沢の春2020-6 にし茶屋街、前田土佐守家資料館

兼六園の椿、梅、桜や、市内の桜などを撮影した時の金沢の春を紹介する。

〇にし茶屋街概要

金沢の情緒が色濃く感じられる3つの茶屋街の一つ。にし茶屋街は文政3年(1820)に集め町割りをし、今でも料亭が軒を並べて趣ある一角を作り上げている。現在4軒の茶屋が営業しており、19名の芸妓さんが所属している。 夕刻近くに通りを行けば、出格子が美しい茶屋様式の2階建ての家並みからは三味線の音色が流れ、芸の町金沢の夜を粋に演出しています。茶屋街中程の華の宿では茶屋様式の建物を無料で見ることができます。
現在4軒の茶屋が営業しており、10名の芸妓さんが所属している。(2020.4現在)



















■撮影:2020.3.30



〇前田土佐守家資料館

加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。 当館所蔵の資料は、土佐守家歴代当主が文書の保存・整理に努めてきたため、散逸や損傷等が少なく、膨大な歴史資料が良好な状態で保存されております。 また、土佐守家は加賀藩の重臣として、常に藩政の中枢に位置する家であったことから、土佐守家の草創期(天正期)から明治にいたる間の様々な分野にわたる史料がみられ、加賀藩政、文化史研究を進めてゆく上でも、その重要性が広く知られています。
「加賀藩士と能」の企画展が開催され、竹松学芸員より説明をいただいた。





■撮影:2020.3.30

□前田土佐守家資料館ホームページ

(つづく)

◇金沢の春2020-1 兼六園の花①

2020-05-14 04:24:05 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1812)

◇金沢の春2020-1 兼六園の花①

兼六園の椿、梅、桜や、市内の桜などを撮影した時の金沢の春を紹介する。



1)トサミズキ(土佐水木)





■写真はトサミズキ



2)ヒュウガミズキ(日向水木)

■写真はヒュウガミズキ



3)シナマンサク(志那満作)



■写真はシナマンサク



4)マンサク(満作)

■写真はマンサク



5)アセビ(馬酔木)



■写真はアセビ



6)サンシュウ(山茱萸)







■写真はサンシュウ

番外)



(つづく)

◇兼六園の桜2020-12 普賢象、霞桜、上溝桜 

2020-05-08 04:55:45 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1808)

◇兼六園の桜2020-12 普賢象、霞桜、上溝桜  

兼六園のさくらは園内の池や曲水、灯篭、石塔、松などの樹木とのバランスがなんとも言えない落ち着きと華やかさが魅力です。ここ7年”とりこ”なっています。今年もぜひご覧ください。
今年はコロナウイルス対策で4月21日より休園になり、今後の品種は昨年の写真で紹介します。

30)フゲンゾウ(普賢象)

雌しべが花の中央から2本出ており、細い葉のように葉化している。この雌しべが普賢菩薩の乗る普賢象の鼻に似ている事からこの名前がつけられた。花は若いうちは薄紅色をしており、徐々に白くなっていく。最盛期を過ぎると徐々に花の中心部が赤く染まる。







■写真はフゲンゾウ(2019.4.23 - 27)



31)カスミザクラ(霞桜・原種)

北海道南部、本州、四国、朝鮮半島、中国東北部から東部に分布する野生種です。成葉の鋸歯があらい、葉裏面が白色を帯びない、葉や花柄などに毛があるなどの特徴がありますが、変異の幅が非常に広く特に花序の形や花の大きさ、各部分の毛の多少などに著しい変異がみられるため、多くの変種や品種が記載されました。しかし生態的もしくは地理的条件と結びつくような変異はほとんどないため、現在では区別されなくなっています。
長谷坂をのぼり梅林方面の向かいさざえ橋下流近くにある。





■写真はカスミザクラ(2019.4.22)



32)ウワミズザクラ(上溝桜)

ウワミズザクラ亜属。北海道西南部から九州の山地に自生しています。花穂につく花は小さく、ぶどうの房のような感じです。若い花穂や果実を塩漬けにして食用としている地方もあります。桂坂口観光案内所の上にある。





■写真はウワミズザクラ(2020.4.27)

拡大写真を見るとやはりサクラと納得する。



■写真はウワミズザクラ金沢城公園丑寅櫓跡(2020.4.27)

(つづく)

◇金沢市内の桜2020-2 犀川周辺

2020-04-24 04:34:47 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1798)

◇金沢市内の桜2020-2 犀川周辺

〇犀川と浅野川

金沢城跡の両脇を平行するように流れる犀川と浅野川。雄々しい流れの犀川は「男川」、優美な流れの浅野川は「女川」と呼ばれています。



■写真は中村神社(2020.4.2)



■写真は御影橋(2020.4.2)



■写真は新橋







■写真は犀川大橋(2020.4.2)









■写真は桜橋



■写真は室生犀星碑



■写真は桜橋より医王山



■写真は桜橋より下菊橋







■写真は井上靖「北の海」碑



■写真は桜橋南詰W坂



■写真は新桜坂緑地より犀川大橋を見る 

(つづく)

◇兼六園の桜2020-5 八重山桜、染井吉野

2020-04-12 04:53:51 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1789)

◇兼六園の桜2020-5 八重山桜、染井吉野

兼六園のさくらは園内の池や曲水、灯篭、石塔、松などの樹木とのバランスがなんとも言えない落ち着きと華やかさが魅力です。ここ7年”とりこ”なっています。今年もぜひご覧ください。

10)ヤエヤマザクラ(八重山桜)

ヤマザクラの八重になったものと推測されます。各部の特徴から純粋なヤマザクラではなく、オオシマザクラ系のサクラの関与が考えられる。
長谷坂の栄螺山手前梅林方面曲水沿いと、伝統工芸館園内入り口にある。







■写真はヤエヤマザクラ長谷坂(2020.3.21)





■写真はヤエヤマザクラ伝統工芸館(2020.3.26)



11)シメイヨシノ(染井吉野)

ソメイヨシノとはそれぞれ日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられる日本産の園芸品種である。ソメイヨシノはほぼ全てクローンである。
日本では明治の中頃より、サクラの中で圧倒的に多く植えられた品種であり、今日では、メディアなどで「桜が開花した」というときの「桜」はソメイヨシノを意味するなど
現代の観賞用のサクラの代表種である。



江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。初めサクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山岳部にちなんで「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったが、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」において染井村の名を取り「染井吉野」と命名したという。翌年松村任三が学名をつけた。
花弁は5枚で葉が出る前に花が開き、満開となる。





























■写真はシメイヨシノ(2020.4.3-4)

(つづく)

◇春のいしかわ2020-1ののいち椿館

2020-04-02 04:36:05 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1781)

◇春のいしかわ2020-1ののいち椿館

 平成29年3月18日オープンした中央公園内の「ののいち椿館・椿山」見ごろのツバキの鉢を選んで紹介、椿山などと合わせ、約450品種、1700本のツバキがある。今年3周年を迎え2月末で48000人の来場者うを記録し、市内有数の集客施設に成長した。

■写真はののいち椿館



〇なぜ野々市市でツバキなのか?

 野々市市史などによると室町時代、加賀守護として野々市に本拠置いた富樫正親(まさちか)が京都から移植したと伝わる古ツバキが多く残っていたという。昭和49年(1974)に当時野々市町の花木に認定。
平成29年(2017)には全国椿サミットを誘致した。

■写真はユキバタツバキ(雪端椿)



■写真はヨイハゴロモ(酔羽衣)



■写真はヤブツバキ(藪椿)



■写真はタロウアン(太郎庵)



■写真はシュウラン(秀蘭)



■写真はショコウ(初黄)



■写真はショッコウ(蜀紅)



■写真はシロタロウアン(白太郎庵)



■写真はコキンラン(古金蘭)



■写真はミカワスキヤ(三河数寄屋)



■写真はイワネシボリ(磐根絞)



■写真はエゾニシキ(蝦夷錦)



■写真はゴシキヤエチリツバキ(五色八重散椿)



■写真はフクツヅミ(福鼓)



■写真はギンレイ(銀嶺)

(つづく)

◇冬の金沢2020-4  兼六園③ 椿-1

2020-02-07 04:25:29 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1742)

◇冬の金沢2020-4  兼六園③ 椿-1

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。例年の約2%とかで累計積雪2Cmで観測史上最低となった。(20.2.3現在)今年は雪のない金沢を紹介します。

〇兼六園の椿

兼六園には多くの椿がある、椿の種類は7,000品種がある言う、また、咲く時期が10月から翌年4月ごろまでと長期にわたり、かつ判定するのは難しい。現在の確認、撮影できたものは25種です。



1)セイオウボ(西王母)

産地:石川県。一重・筒咲き、中輪。紅のぼかし花弁。蓮池門右外にある。・幕末に金沢で作出と伝えられ、加賀侘助の自然実生との推測もあるが、詳細不明。



■写真は西王母(2019.10.14)



2)コトジツバキ(ことじ椿)

一重・平開咲き,大輪。桂坂登り左ベンチ近くにある。







■写真はことじ椿(2019.11.6-12.10)



3)ロウゲツ(臘月)

産地:兵庫県。一重・ラッパ咲き、筒しべ、中輪。臘月は陰暦12月のこと。時雨亭庭兼六園事務所方面にある。







■写真は臘月(2019.12.10-22)

(つづく)

◇金沢の初詣 2020-8 田井菅原神社

2020-01-17 04:14:42 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1727)

◇金沢の初詣 2020-8 田井菅原神社

〇田井菅原神社の由緒

ご神体は、田邊左衛門という者が菅原道真より賜った自画像と伝えられる。後の喜兵衛の代に田邊家は三代利常より代官を拝命。明治期に田邊邸内に神社が建てられ、明治13年(1880)、田井の生産神となった。

御祭神:菅原道真



〇藩主献上鏡餅の再現

当家に所蔵されていた古文書に、享和2年(1802)、第12代藩主前田斉広(なりなが)公の封襲後初のお国入りによる新春の献上鏡餅のことについて記されたものがあります。鏡餅は次のとおりとなっています。鏡餅は、三点セットとなっており、真中は、床(とこ)飾り餅、向かって右側は、蓬莱(ほうらい)飾り、
左側は櫓(やぐら)餅で、大小52個の紅白の餅が使用されています。再現するには約2石2斗(約340キログラム)のお米が必要とされ、米俵に例えますと、約5個半にもなります。現在は、諸々の諸事情から蝋を溶かして作った再現品。
平成9年(1997)より、古例に則り、お正月に奉納しています。







〇芭蕉の句碑

”風流の はじめや奥の 田植唄”芭蕉が元禄2年(1689)、奥の細道の旅に出ており、同年7月金沢に立ち寄っているため、金沢の地に芭蕉の句碑が見られます。
当社の石碑には、側面に明治21年3月下旬と建立年月を刻んでいます。従って、最初からこの地に、置かれたものではなく、当年に奉納という形で移されたと伝えられています。





■写真は大黒天

■撮影日:2020.1.4

(つづく)

金沢観光 #秋の金沢 #伏見川、久安

2019-11-02 04:27:24 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1671)

◇秋の金沢2019-8 伏見川、久安 

〇日頃ウオーキングコースの伏見川沿いのリポート!





■写真は伏見川の鷹匠の散歩













■写真は伏見川の花

〇いつもこの花壇は季節ごとの花を楽しませてくれる。













■写真は伏見川久安の花

(つづく)

秋の金沢2019-2 金沢城公園②

2019-10-24 04:56:17 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1664)

◇秋の金沢2019-2 金沢城公園②

〇石川門

金沢城の搦手門(裏門)として重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」と呼ばれた。櫓と櫓を長屋でつないだ重厚な枡形門に造られている。宝暦の大火宝暦9年(1759)の後、天明8年(1788)に再建され、現在に伝わっている。昭和25年(1950)国の重要文化財に指定。









■写真は石川門



■写真は新丸側塀



〇河北門

平成22年(2010)復元された「河北門」は、河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門です。「石川門」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれている。
宝暦の大火(1759)の後、三御門の中で最初に安永元年(1772)に再建された重要な門です。

■写真は河北門



〇菱櫓、五十間長屋、橋爪門

平成13年(2001)7月に完成した、延べ床面積1894.23平方メートルの復元建物で、石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴。
橋爪門は「一の門」に続く、「二の門」と「枡形二重塀」を復元することとし、平成24年6月に工事着工、平成27年(2015)3月に完成した。





撮影日:2019.10.10

(つづく)