植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢の夏2020 金沢寺町寺院群散歩②

2020-09-09 05:43:02 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1884)

◇金沢の夏2020 金沢寺町寺院群散歩②(ユーチューブ連動解説版)

〇恵光山西方寺

前田利家公は天正2年(1574年)越前一向一揆の鎮圧に従事し越前小丸城入城した頃、仏の教えを被(こうむ)る為 比叡山の僧盛尊和尚を城に招いた所、その法徳に深く感銘を受け、盛尊和尚を心の師と仰ぎ親交を深め西方寺を自身の信仰の場とした。元和2年(1616)現在地移転。



□紹介ページ

◇寺町寺院群文化財特別公開2019めぐり⑤ 西方寺

■写真は西方寺



〇真如山三光寺

開山は、小松仏徳寺の学誉超竜と伝えられるが、その年代は、定かではない。寛永12年(1635)、二世願誉の時、加賀藩三代藩主・前田利常の命により寺地四百歩を拝領し、現在地に建立した。 明治11年(1878)、当時の内務卿・大久保利通を東京・紀尾井町で暗殺した島田一良や長連豪らの集会所であったことで知られる寺でもあり、事件の首謀者たちはこの寺を本拠地としていたために、「三光寺派」と呼ばれた。山門は、平成3年(1991)に仁王門として住職の彫刻で再建された。(看板より)





■写真は三光寺



〇摩頂山国泰寺

国泰寺は当初、金沢市長土塀に富山県高岡市の国泰寺(臨済宗国泰寺派大本山)の別院として開創されたといわれているが、開創年は不詳である。1616年現在地に移っている。

■写真は国泰寺



〇神照山香林寺

慶安4年(1651)、加賀藩士であった青木五兵衛が加賀藩三代藩主・前田利常に願い出て現在地を拝領し、長岩和尚を開山として創建された。青木は、利常の恩に報いるために、御影堂を造り、利常の位牌を安置した。また、青木家の家伝・菅原道真の画像を納めた。ところが、何時の頃か神殿より出火し、寺も類焼、御影堂を焼失している。なお、天保4年(1833)作の不動明王は、霊薬不動尊として知られている。(看板より)



□紹介ページ

◇寺町寺院群巡り 香林寺①

◇寺町寺院群巡り 香林寺②

■写真は香林寺



〇泉野菅原神社

本神社は建武元年越中国守畠山卜三、同国新庄に社殿を造営して菅原道真の神像を祀りたり。慶長10年前田利長富山に在城し給い玉泉夫人と共に菅神を崇敬し給いしにより、利長高岡へ入城の後慶長16年社殿を同地に移さる。利長死後玉泉夫人金沢へ移ると共に泉野に社殿を造営し高岡より遷座せらる。

■写真は泉野菅原神社



〇六斗広見

広見というのは、藩政時代、延焼を防ぎ大火としないための町づくりの一つとして設けられたものであり、金沢のあちこちにあった。地名は加賀国住人林六郎光明の郎等六動太郎光景に由来し、ここから六動林、六斗林、六斗になったといわれている。金沢には何箇所かあり、六斗の広見はその中でも最も広い、と言われている。

■写真は六斗広見

(つづく)
□ユーチューブ金沢寺町寺院群散歩 Vol.1

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