植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢の芭蕉句碑巡り2020(後編) 兼六園、小立野周辺、小坂ほか、金石

2020-07-17 05:51:36 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1852)

◇金沢の芭蕉句碑巡り2020(後編) 兼六園、小立野周辺、小坂ほか、金石

芭蕉は元禄2(1689)年の7月15日(新暦8月29日)に金沢に入り24日まで滞在したと伝えられ、道中の日程を見てみると9日も滞在したのは金沢と大垣だけとなっている。

■写真は金沢の芭蕉碑巡り地図



7)兼六園山崎山(兼六園内)

天保期お三大家と呼ばれたひとり桜井梅室の筆による句碑は元々は卯辰山麓にあったもので、明治16年(1883)に現在地に移された。この句はあまりにも有名で、この俳句の書かれた句碑がなんと市内に3ヶ所もある。



・芭蕉句碑は弘化3年(1846)建立

「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」

■写真は兼六園山崎山の句碑



8)上野八幡神社
・住所:金沢市小立野2-4-1
・ご祭神:応神天皇

上野八幡神社は源氏の名将の後胤にて空山と号し、能州天平寺に在り、前田公の信任厚く、石動山法務取締役を命ぜらる。前田公が天正12年(1584)金沢城に移城せらるるや、空山も医王山を経て現地に往し、天平寺守護神八幡神を祀る、山伏頭医王寺として奉仕し明治2年(1869)復飾す。



■写真は上野八幡神社

小立野の金沢大学工学部の横にある神社で、鳥居をくぐりすぐの右手に芭蕉句碑がある。金沢小立野連中の建立で、元は宝幢寺の境内にありましたが明治にこの地に移したと言われている。



・芭蕉句碑は明治16年(1883)建立

 「山さむし 心の底や 水の月」

■写真は芭蕉句碑



9)田井菅原神社
・住所:金沢市天神町1丁目3-16
・ご祭神:菅原道真



ご神体は、田邊左衛門という者が菅原道真より賜った自画像と伝えられる。後の喜兵衛の代に田邊家は三代利常より代官を拝命。明治期に田邊邸内に神社が建てられ、明治13年(1880)、田井の生産神となった。

■写真は田井菅原神社



・芭蕉句碑は明治21年(1888)3月下旬建立

「風流の はじめや奧の 田植唄」

この句碑は、最初からこの地に、置かれたものではなく、当年に奉納という形で移されたと伝えられている。

■写真は芭蕉句碑



10)高野山真言宗 宝泉寺(ほうせんじ)
・住所:金沢市子来町57
・宗派:高野山真言宗

宝泉寺は真言宗のお寺で創建は慶長11年(1612)前田家の祈願寺で本尊の摩利支天は、前田利家の守本尊だったと言われている。

■写真は宝泉寺



■写真は宝泉寺からの金沢城公園、兼六園

卯辰山への東山からの登り口子来坂を上がった途中が宝泉寺の入り口になり階段がある。その階段を上った所のすぐ左の植え込みの中に石碑があり、柳陰軒址と刻まれている。
俳人鶴屋句空の草庵「柳陰軒」があった場所で、芭蕉が21日に訪ねたと言われています。ここで詠んだという句が横に刻まれている。



・芭蕉句碑は建立不詳

「ちる柳 あるじも我も 鐘を聞く」

■写真は芭蕉句碑



番外)小坂神社
・住所:金沢市山ノ上町42-1
・ご祭神:天兒屋根命 武甕槌神 比咩大神 經津主神 饒速日命

当社は養老元年(720)の創建の延喜式内加賀十三座の中の一社であり、社頭は一揆に依り焼失したが、寛永13年(1636)加賀藩主前田家に依り再興され、北効一円の春日社の総社として地域の人に親しまれ、藩主前田家もことある毎に当社に祈願したとされている。又、幣社富士社は玉姫病気祈願所とされ、以来病に霊験のあるお社として崇敬を集めている。芭蕉はこの小坂神社に参拝し、句会を開いたと言われている。



■写真は小坂神社



・「芭蕉巡錫地記念碑」建立は昭和24年(1949)

■写真は芭蕉巡錫地記念碑



11)野蛟(のづち)神社
・住所:金沢市神谷内町ヘ1
・ご祭神:高皇産靈神 猿田彦神 事代主命 野椎神



今をさる約1250年前(天平3年4月3日)に創立と言われる古社の一社です。当時神谷内を中心とした付近一帯に疫病が流行し、毎日のように住民が病に倒れ、亡くなる人もでたそうです。そうした時白髪の老人が現れ、「自分の言う通りに従えば、衆人一切を救ってしんぜよう。」と言うので、住民は老人の教える通りに行った処、不思議にも病気が治ってしまった。この老人は「ヌヅチの神である、永く祭祀(イツキマツルこと)せよ。」と言い残し“龍(アマレリ)”に乗って天上雲間に消えた。そこで住民は、その地に神社を創立して祀ったのが起りであると伝えられている。

■写真は野蛟神社



句碑は俳人闌更の建立で、もとは北国街道のわきにあったものを明治初年頃ここに移した。

・芭蕉句碑は宝暦12年(1762)建立

「うらやまし うき世の北の 山ざくら」

■写真は芭蕉句碑



12)潮聲山 本龍寺
・住所:金沢市金石西3-2-23
・宗派:浄土真宗大谷派

井波町瑞泉寺にゆかりのある寺院ということで、建物の彫刻もりっぱなものです。本龍寺には銭谷五兵衛の墓や芭蕉の句碑などがあり、金石で代表する寺院です。



■写真は本龍寺



芭蕉は一笑の追悼会の翌日(金沢を離れる前日)の23日に宮の腰(現在の金石)を訪れました。金沢の俳人達に誘われてこの宮の腰に来たようです。

現在金石の本龍寺にこの宮の腰(金石)で芭蕉が詠んだ句碑がある。

・芭蕉句碑は昭和24年(1949)建立

「子鯛さす 柳すゞしや 海士がつま」

■写真は芭蕉句碑



■写真は銭屋五兵衛墓所

(芭蕉句碑巡り2020 完)



ユーチューブ「金沢の芭蕉句碑巡り2020 Vol.2」UPしました。

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