今日であの地震から7年が経ちました。
いまだに応急仮設住宅で暮らしている人、心の奥底にしまい込んでいたつらい思いと向き合っている人がたくさんいます。
写真は保存された三陸鉄道北リアス線・旧島越駅階段です。
この階段の先には何もありませんけれど、何もなくなったからこそ無限の可能性が広がっているともいえるかもしれません。
一人でも多くの人がこの階段の先に進めますように。
『 旧島越駅は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災大津波により、全壊流出しましたが、ホームに続く階段の一部が唯一残りました。
この階段は、1984年(昭和59年)4月1日の三陸鉄道開業から約27年間の間、宮古市や久慈市の高校や病院に通う学生やお年寄り、また、田野畑村を訪れる観光客など、三陸鉄道を利用するみなさんを迎える村の玄関口として利用された施設です。
地域に愛された三陸鉄道と島越駅の記録を後世に伝える施設として、その一部を保存しています。』(解説板より)
いまだに応急仮設住宅で暮らしている人、心の奥底にしまい込んでいたつらい思いと向き合っている人がたくさんいます。
写真は保存された三陸鉄道北リアス線・旧島越駅階段です。
この階段の先には何もありませんけれど、何もなくなったからこそ無限の可能性が広がっているともいえるかもしれません。
一人でも多くの人がこの階段の先に進めますように。
『 旧島越駅は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災大津波により、全壊流出しましたが、ホームに続く階段の一部が唯一残りました。
この階段は、1984年(昭和59年)4月1日の三陸鉄道開業から約27年間の間、宮古市や久慈市の高校や病院に通う学生やお年寄り、また、田野畑村を訪れる観光客など、三陸鉄道を利用するみなさんを迎える村の玄関口として利用された施設です。
地域に愛された三陸鉄道と島越駅の記録を後世に伝える施設として、その一部を保存しています。』(解説板より)
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