かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

古代国家の見方が変わる?③~虎尾達哉著『古代日本の官僚』

2022年01月30日 | 旧ブログ記事(その他)
古代国家の見方が変わる?と題しまして、虎尾達哉さんの『古代日本の官僚』の紹介、連載3回目です。
今回を含めて(たぶん)、あと3回、かねうりきちじが本書の登場によってなぜ古代国家の見方が変わるのかということを、具体的に説明したいと思います。

史料を読み込んで歴史を描く文献史学者も、遺跡の発掘調査によって得られた情報によって歴史を再現しようとする考古学者も、今から1,300年前の大宝律令の施行を日本古代の最大の画期と見なすことに反対することはないでしょう。

その象徴としてよく引用されるのが、大宝元(西暦701年)年正月の元日朝賀を伝える『続日本紀』の以下の記事です。

天皇、大極殿に御して朝を受く。その儀、正門に烏形の幢(はた)を樹(た)つ。左は日像・青竜・朱雀の幡、右は月像・玄武・白虎の幡なり。蛮夷の使者は左右に陳列す。文物の儀、ここに備われり。(大宝元年正月朔条、原文は漢文で、かねうりきちじの読み下しです。)

この年の8月に大宝律令が完成することもあって、この時代の歴史学の概説書は、必ずといっていいほどこの史料を引用し、大宝元年が日本古代の画期だとしているのです。

そして、特に赤太字で強調した「文物の儀、ここに備われり」に着目し、大宝元年(西暦701年)が古代国家の出発点としています。

さらに、最近この登亀の儀式が行われた藤原宮(ふじわらのみや)から、左右に立てられた幡の痕跡が確認され、この記事の信憑性を高めています(詳しくはこちら)。

しかし、「文物の儀、ここに備われり」は地の文ではなく、『続日本紀』の編集者のコメントです。

これが、正鵠を得たものかどうか、虎尾達哉さんは2つの点から検証しています。

まず第一に、元日町我宜に無断欠席する官人が非常に多かったことを挙げています。
詳しくは、本書第二章「儀式を無断欠席する官人」をお読みいただきたいのですが、『続日本紀』が編纂された延暦16年(西暦797年)からさほど遠くない延暦21年には、多くの官人が元日朝賀に参加していないことを伝える史料があり、こうした状況は『続日本紀』編纂時点も変わりないだろうとしています。

第二に、出席していた官人も儀式に臨むにあたり、「文物の儀、ここに備われり」と誇れるような立ち振る舞いをしていなかったということです。
こちらもやはり詳しくは第四章「古来勤勉ではなかった官人たち」をお読みいただきたいのですが、以下2つの史料から指摘することができます。

まず、慶雲4年(707)年の元明天皇の詔(=命令)です。詔では「内外の庁前に皆厳粛ならず。進退礼なく、陳答度を失う」(内外諸官庁の前は本来厳粛な場であるのに、官人たちは誰一人顧みない。立ち振る舞いは礼法に反し、応答の仕方は規則に背いている。以上、虎尾達哉訳。本書156頁より)と述べられています。
つまり「文物の儀、ここに備わ」った大宝元年からさほどと多くない慶雲4年の時点で、官人の儀式における所作は全くなっていなかったということになります。

こうした官人たちは天皇の命令によって矯正されたでしょうか、答えは否です。
慶雲4年方約百年後の弘仁9年(西暦818年)に、「比年、賀正の臣、礼容を諳んじず、俛仰の間、あるいは遺失を致し威儀を闕(か)くことあり」(近年、賀正の臣(朝賀出席者)は礼式を諳んじて臨むべきであるのに、諳んじていない。そのため、儀式中の進退挙止を間違え、威儀を大いに損なっている。以上、虎尾達哉訳。本書158頁より)とあるからです。

このようなことから、虎尾達哉さんは大、『続日本紀』の[
文物の儀、ここに備われり」というコメントは、当時のだらしない元日朝賀の有様を目にしていた続日本紀編集者の、律令が完成した大宝元年の元日朝賀はこうであってほしいという希望的観測を述べたに過ぎないとしています。

とすれば、大宝元年、日本が国家として華々しく出発したという評価も割り引いて考える必要があるかもしれません。

そして、儀式に官人が無断欠席していたとなると、よく言われる「儀式は君臣関係を確認する場」ということも再考しなければなりません。

虎尾達哉さんの『古代日本の官僚』を詳しく読んでみてはいかがでしょうか。
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古代国家の見方が変わる?②~虎尾達哉著『古代日本の官僚』

2022年01月27日 | 旧ブログ記事(その他)
“古代国家の見方が変わる?”の2回目です。

ところで皆さん、古代日本の政治を支えていた官僚、専門用語でいえば律令官人となりますが、彼らにどんな印象をお持ちでしょうか?

真面目で、政府への忠誠心が強く、黙々と仕事をこなす・・・・といったものかもしれません。

現在日本経済新聞では、安部龍太郎氏『ふりさけみれば』という小説が連載されています。

遣唐使の一員として中国に渡るも、帰国できないまま彼の地で没した阿部仲麻呂が主人公の歴史小説です。
(詳しくは、副読本をご覧ください。)
その中で、主人公の阿部仲麻呂と、本来仲麻呂が一緒に帰国するはずだった遣唐使の一員・中臣名代との会話に、こんなくだりがありました。

仲麻呂「おおせの通りでございます。さすがに名代どのは中臣家のお生まれでございますね。祖国や帝への、ひとかたならぬ忠誠心を持っておられる」
名代「仲麻呂どのにはとても及びませんが、その心だけは片時も忘れてはならぬと肝に銘じています」(連載171回、2022年1月15日付け)

作者の安倍氏も、律令官人には『祖国や帝への、ひとかたならぬ忠誠心』があると考えているのでしょう。
これは特殊な見方ではなく、一般的なものと言えます。
かくいう、かねうりきちじも同じです。というより、あまり考えたことはなく、ぼんやりそんなものだろうというのが正直なところでした。

しかし、すべての律令官人が仲麻呂や名代のようではなかったらしい、副題にあるとおり『結構怠惰な面々』が結構いたというのが、今回紹介している『古代日本の官僚』の主張です。

ではなぜ、律令官人が怠惰だと古代国家の見方が変わるのでしょうか?

簡単に言ってしまえば、日本の古代国家は、中国から法律(専門用語で「律令」といいます)を学び、それに基づき天皇が官僚を手足として、中央集権的に本州から九州まで支配した専制君主国家だと考えられています。

法に基づき、「祖国や帝への、ひとかたならぬ忠誠心を持って」官僚が動く、それが専制君主国家なのですが、官僚のすべてがそうではない、むしろ怠惰な官僚の方が多かったとすれば、どうでしょうか?

官僚が怠惰だから専制君主国家ではないと考えればよいではないか、そう考えることもできるかもしれません。

けれども古代の日本が律令に基づく国家が樹立した直後、本州から九州の各地域には、郡家(ぐうけ)という今でいえば市町村庁舎が造営されます。

その郡家の構造がどこも似通っていて、古代政府が各地を画一的・均質的に支配した結果だと考古学的には(文献史学としても)されています。

こうした支配が可能だったのは天皇が専制君主として振る舞ったからだと考えられています。

つまり、古代の日本は専制君主国家でありながら、怠惰な律令官人によって回っていたのです。

かねうりきちじが、本書に衝撃を受けた理由は、怠惰な官僚によって画一的な政治支配が行われるという事実からです。

もしかしたら、本書は古代に限らず日本の社会の捉え方に再考を迫るきっかけを作るものになるかもしれません。

次回は、怠惰な官僚と専制君主国家の矛盾と言うことについて、もう少し詳しく説明したいと思います。
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古代国家の見方が変わる?①~虎尾達哉著『古代日本の官僚』

2022年01月26日 | 旧ブログ記事(その他)
大学、大学院と歴史を学んだかねうりきちじ。
十数年前までは、歴史学の周辺で働いていましたが※、今ではそれとはまったく関係のない仕事をしています

 ※岩手県奥州市で、長者ヶ原廃寺跡という国視して史跡の担当をしていて、世界遺産登録を目指していました。
  もとはと言えばこのブログも、長者ヶ原廃寺跡を宣伝するためにはじめたものです。


歴史学を職業にすることはもうできないかもしれませんが、学ぶことは続けています。
歴史学、特に専門の日本古代史の新書はなるべく目を通すようにしています。
今回紹介する、虎尾達哉著『古代日本の官僚』は、ここ数年読んだ中でも特に衝撃を受けた一冊です。

なぜかというと、日本の古代政府を支えた、専門用語でいうところの律令官人の生態が、虎夫氏の指摘通りだとすれば、日本古代の政治支配への見方を捉え猶さなければならないのではないかと考えたからです。

どんな生態かというと、「天皇に仕えた怠惰な面々」という副題のとおり。

なぜ律令官人が怠惰だと『日本古代の政治支配への見方を捉え猶さなければならない」のか。

話すと長くなるので、今回は何回かに分けてお話ししたいと思います。

初めての続き物になりますが、是非ご期待ください。

《目次》
はじめに ⅰ
第一章 律令官人とは何か 3
第二章 儀式を無断欠席する官人 43
第三章 職務を放棄する官人 87
第四章 古来勤勉ではなかった官人たち 141
第五章 官人たちを守る人事官庁 187
終章 官僚に優しかった「専制主義国家」 209
あとがき 225

総頁数234ページ
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世界は海でつながっている~竹田いさみ著『海の地政学』

2022年01月16日 | 旧ブログ記事(その他)
四方を海に囲まれた日本。

にもかかわらず、そこに住む私たちは、海洋権益について十分な知識を持っているでしょうか。少なくとも、かねうりきちじは「持っている」とは言えません。
例えば、昨年2021年10月に中国とロシアの軍艦が津軽海峡を通過しました。これについては、津軽海峡の真ん中は日本の領海ではないことは知っていましたが、それがどうしてなのかまでは知りませんでした。

本書は、世界の海洋秩序がどのように形成されたか、大航海時代のスペイン・ポルトガルによる海洋分割から説き起こし、オランダ⇒イギリス⇒アメリカと海洋覇権を有した国を中心に、その400年の流れを振り返ったものです。

第2次世界大戦後、海洋秩序は流動化しましたが、国連海洋法条約の発効により今のところ落ち着きを見せています。
しかし、台湾海峡、南シナ海、東シナ海をめぐる中国の野心は、日本だけでなく世界が知るところです。

こうした国際海洋秩序への挑戦をしようとする(している)中国にどう対処すべきか、前回紹介した『中国の行動原理』だけでなく、本書を読み、海洋秩序がどのように形成され、日本がどのようにそこに関わっていくべきなのかを知ることにあるのではないでしょうか。

目次
第1章 海を制した大英帝国
第2章 クジラが変えた海の覇権
第3章 海洋覇権の掌握へ向かうアメリカ
第4章 海洋ルールの形成
第5章 国際ルールに挑戦する中国
第6章 海洋秩序を守る日本
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隣人をよく理解するために~益尾知佐子著『中国の行動原理』

2022年01月09日 | 旧ブログ記事(その他)
今年、2022年に冬季オリンピックが開催される中国。

国別人口数は第2次世界大戦後一貫して世界首位、2010年にはGDP国内総生産で日本を抜き世界第2位になり、大国となった中国。
経済規模が格段に大きくなった21世紀以降、その対外行動は日本をはじめとする近隣国を戸惑わせ続けています。

けれども著者は、そうした中国の対外行動は、突発的なものでも中華思想によるものでもなく、中国社会特有の行動原理に基づくものだと指摘します。

その中国の行動原理を知るためには2つの鍵があるといいます。
すなわち、”家父長制”と”潮流に乗る”。

この2つの鍵から国内政治のあり方がどのように動き、対外行動に反映されるのか。筆者自身の体験も交え、緻密にしかも分かりやすく解説した1冊です。

本書を読めば、中国に関する報道も、その裏側まで読み込めるはず。

中国という国が隣国であり続ける日本列島人が読むべきだと、かねうりきちじは確信しています。

目次
まえがき
序 章 国内力学が決める対外行動ー中国共産党の統治
第1章 現代中国の世界観ー強調されるづける脅威
第2章 中国人を規定する伝統的家族観
第3章 対外関係の波動ー建国から毛沢東の死まで
第4章 政教分離というキメラー鄧小平から習近平へ
第5章 先走る地方政府ー広西チワン族自治区の21世紀
第6章 海洋問題はなぜ噴出したかー国家海洋局の盛衰
終 章 習近平とその後の中国
あとがき
参考文献
中国の行動原理 関連年表



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