上宮寺を見学した後、気になった看板があったので予定外の遺跡に立ち寄りました。
撮影し忘れたのですが、たしかその看板には「日本でただふたつ」と。
日本でここだけというのはよく見かけますが、「ただふたつ」という看板を見るのは初めて。
その遺跡とは龍岡城跡。
ただふたつなのは、平面形が星形をしている城郭、すなわち五稜郭ということのようです。
五稜郭といえば函館にしかないと思っていました。
たしかに五稜郭
入り口近くに“五稜郭であいの館”というガイダンス施設があったので、そこでにわか勉強。
五稜郭であいの館。手前の石は大手門の礎石だったようです。
ここにはボランティアガイドさんが常駐しているようで、いろいろ親切にレクチャーしてくれます。
石垣だけでなく、当時の建物も残っていますが、龍岡城跡は現在では小学校。

校内に入るのに許可はいらないようですが、なるべくなら迷惑にならないよう、授業時間を見計らって行くのがいいかもしれません。
建物内部も見学できるようです。
城跡の北にある通称“城山”の頂上から見ると、☆の形が見えるようです。
桜の名所のようですし、近くには「日本で一番海から遠いところ」があるので、桜が咲く頃再訪しようと思っています。
撮影し忘れたのですが、たしかその看板には「日本でただふたつ」と。
日本でここだけというのはよく見かけますが、「ただふたつ」という看板を見るのは初めて。
その遺跡とは龍岡城跡。
ただふたつなのは、平面形が星形をしている城郭、すなわち五稜郭ということのようです。
五稜郭といえば函館にしかないと思っていました。

入り口近くに“五稜郭であいの館”というガイダンス施設があったので、そこでにわか勉強。

ここにはボランティアガイドさんが常駐しているようで、いろいろ親切にレクチャーしてくれます。
石垣だけでなく、当時の建物も残っていますが、龍岡城跡は現在では小学校。


校内に入るのに許可はいらないようですが、なるべくなら迷惑にならないよう、授業時間を見計らって行くのがいいかもしれません。
建物内部も見学できるようです。
城跡の北にある通称“城山”の頂上から見ると、☆の形が見えるようです。
桜の名所のようですし、近くには「日本で一番海から遠いところ」があるので、桜が咲く頃再訪しようと思っています。
新海三社神社を見学した後、向かった先は近くにある上宮寺。
このお寺はもともと新海三社神社の境内にあったお寺で、明治の神仏分離によって現在の場所に移転したそうです。
本尊が安置されている本堂
ここには長野県宝の仁王像と梵鐘があります。

仁王像が安置されている仁王門(左)と梵鐘がある鐘楼
面白いのは県宝に指定された時期の差。
梵鐘は1977年ですが、仁王像はつい最近の2009年。
これには訳が。
梵鐘には銘文があり、それによれば暦応元年(1338)に今の群馬県で作られた東覚寺というお寺で使われていたようです。
そしてその後、天文12年(1543)に新海三社神社の神宮寺に移されたようです。
そうした由緒・来歴が明らかだったため、比較的早い段階で県宝指定されたのでしょう。
一方の仁王像。

阿と吽
こちらは2007年に解体修理・調査が行われ、その際内部に文字が記されているのが発見されたようです。
それによれば、文明2年(1470)に、佑得・雄真という二人の仏師によって造像されたことが判明しました。
県宝指定は、そうした新事実が明らかになったからでしょう。
ところで、文明2年といえば、新海三社神社の三重塔より古いことになります。
この仁王像は、神宮寺観音堂の仁王門
新海三社神社の神宮寺が徐々に整えられていったことが分かります。
調査によって新しいことが明らかになる典型的な事例といえるでしょう。
このお寺はもともと新海三社神社の境内にあったお寺で、明治の神仏分離によって現在の場所に移転したそうです。

ここには長野県宝の仁王像と梵鐘があります。


仁王像が安置されている仁王門(左)と梵鐘がある鐘楼
面白いのは県宝に指定された時期の差。
梵鐘は1977年ですが、仁王像はつい最近の2009年。
これには訳が。
梵鐘には銘文があり、それによれば暦応元年(1338)に今の群馬県で作られた東覚寺というお寺で使われていたようです。
そしてその後、天文12年(1543)に新海三社神社の神宮寺に移されたようです。
そうした由緒・来歴が明らかだったため、比較的早い段階で県宝指定されたのでしょう。
一方の仁王像。


阿と吽
こちらは2007年に解体修理・調査が行われ、その際内部に文字が記されているのが発見されたようです。
それによれば、文明2年(1470)に、佑得・雄真という二人の仏師によって造像されたことが判明しました。
県宝指定は、そうした新事実が明らかになったからでしょう。
ところで、文明2年といえば、新海三社神社の三重塔より古いことになります。
この仁王像は、神宮寺観音堂の仁王門
新海三社神社の神宮寺が徐々に整えられていったことが分かります。
調査によって新しいことが明らかになる典型的な事例といえるでしょう。
昨日、午前中で佐久市訪問の目的をはたしたので、午後は佐久平周辺の遺跡や寺社を見学することにしました。
最初に向かったのは、旧臼田町の新海三社神社。
※旧臼田町には宇宙航空開発機構の“はやぶさ”や“イカロス”と 交信している(た)
パラボナアンテナ(臼田空間観測所)があります。
ここには佐久地方の開拓神である興波岐命(おきはぎのみこと)を祀っている神社。
が、ここには近代の神社ではあまり見られない仏教建築が。
拝殿の向こうに・・・・
そう、ここには三重塔があるのです。

神社に三重塔。でも、これは明治の神仏分離以前は珍しいことではありませんでした。
むしろ、仏教が日本列島に伝えられてからの時間や両者の関わりを考えると、神社と寺院が別々になっている近代の方が特異なのかもしれません。
この三重塔は重要文化財に指定されていて、軒先につり下げられている風鐸に「永正十二年」=1515年と記されていることから、その頃に建立されたと考えられています。
三重塔の南側には、これもやはり重要文化財に指定されている東本社が鎮座しています。

東本社は室町時代の建物なので、三重塔と同時期に建立されたのでしょう。
ちなみに、この三重塔の背後にはそれより千年ほど前の円墳が2基築かれていて、この地が長い間信仰の場だったことが分かります。
発掘調査されているようなので、後で調べてみます。
最初に向かったのは、旧臼田町の新海三社神社。
※旧臼田町には宇宙航空開発機構の“はやぶさ”や“イカロス”と 交信している(た)
パラボナアンテナ(臼田空間観測所)があります。
ここには佐久地方の開拓神である興波岐命(おきはぎのみこと)を祀っている神社。
が、ここには近代の神社ではあまり見られない仏教建築が。

そう、ここには三重塔があるのです。

神社に三重塔。でも、これは明治の神仏分離以前は珍しいことではありませんでした。
むしろ、仏教が日本列島に伝えられてからの時間や両者の関わりを考えると、神社と寺院が別々になっている近代の方が特異なのかもしれません。
この三重塔は重要文化財に指定されていて、軒先につり下げられている風鐸に「永正十二年」=1515年と記されていることから、その頃に建立されたと考えられています。
三重塔の南側には、これもやはり重要文化財に指定されている東本社が鎮座しています。


東本社は室町時代の建物なので、三重塔と同時期に建立されたのでしょう。
ちなみに、この三重塔の背後にはそれより千年ほど前の円墳が2基築かれていて、この地が長い間信仰の場だったことが分かります。

何のことはない、今日、一日訪れていた佐久市のお土産です。

お酒220円、鯉の甘露煮210円。ワンコインで佐久市の味を楽しめます。
今まで訪れた土地のお土産はあまり買わない方だったのですが、最近、自分が盛岡の食べ物・飲み物を紹介しているうちに、他の地域のものも気になってきました。
で、これからなるべく、その土地の地酒と名物を買うようにしようというわけで、その第一弾です。
どちらも長野新幹線・佐久平駅に隣接する『プラザ佐久』で売っていたものです。
“寒竹”を選んだのは、JRAで年初に行われる3歳のレース名になっているからです。
鯉は佐久の名物なのは以前から知っていて、それを買うことに決めてはいました。
が、大きいのや数が多いのだったら手は出ないよなぁと思いながら店内を見回っていたら、小振りの1匹入りがお手ごろ価格だったので、迷わず購入。
今年最後の仕事を終えたら、ぬる燗で一杯やりたいと思います。
これを食べて、愛馬に『寒竹賞のゴールに1着で来い(鯉)!』といいたいです。
でも、愛馬エポキシは放牧中。
今1歳の愛馬に期待するとします。

お酒220円、鯉の甘露煮210円。ワンコインで佐久市の味を楽しめます。
今まで訪れた土地のお土産はあまり買わない方だったのですが、最近、自分が盛岡の食べ物・飲み物を紹介しているうちに、他の地域のものも気になってきました。
で、これからなるべく、その土地の地酒と名物を買うようにしようというわけで、その第一弾です。
どちらも長野新幹線・佐久平駅に隣接する『プラザ佐久』で売っていたものです。
“寒竹”を選んだのは、JRAで年初に行われる3歳のレース名になっているからです。
鯉は佐久の名物なのは以前から知っていて、それを買うことに決めてはいました。
が、大きいのや数が多いのだったら手は出ないよなぁと思いながら店内を見回っていたら、小振りの1匹入りがお手ごろ価格だったので、迷わず購入。
今年最後の仕事を終えたら、ぬる燗で一杯やりたいと思います。
これを食べて、愛馬に『寒竹賞のゴールに1着で来い(鯉)!』といいたいです。
でも、愛馬エポキシは放牧中。
今1歳の愛馬に期待するとします。